鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

下衆

2016年01月29日 | 日記
年明けから世間を騒がせている「下衆」って言葉。

まぁ、よその人のことは取りあえずとして、私の知る
彼も最後は、それの極みだったと思うのだ。

具体的には

・甘えれば最後は許されると思っている

・自分だけ楽をしたい

・自分勝手

・経済観念が崩壊している

・こっちはちっとも助けてもらえない

あ~~~~、数え上げたら切がない~~~。

だいたい、妻子を姉・姪と偽り、無収入のくせに
遠距離で付き合うひとがいたって…。

ありえねぇ~~~~。

まぁ、取りあえずそこを掘り下げると地雷がいくつも
あるので、ほっておくとして問題はそれと、病気との
因果関係だ。

病気だから、ああだったのか。

それとも、そもそもそういう下衆野郎だったのか。

それが、問題なのである。


つまり、私が会った時、私が結婚を決意した時点で
彼は下衆野郎だったのか…もっと言えば、私は男を
見る目、さらに人間を見る目がなかったのか???

ってことが問題なのである。

だって、もしそうだとしたらもう誰も選べないじゃん。

もちろん、今すぐどうこうなんてことはないし、たぶん
先々もないとは思うけど、でも見る目なしってことなったら
ちょっとした人間不信だよね…。

たぶん、地金は下衆要素があっただとは思う。

そもそも甘やかせれて育っていたし、自分だけのこだわりも
強いタイプだし、お金も苦労がなかった分計画性もなったし。

でもさ~、その地金を覆うメッキはある程度あったと思うのよ。

未だにうちの母親は

「○○と△△(私と娘)を絶対幸せにします!」

って言っていたのにね…って懐かしそうに話す時がある。

たぶん、そのそういう言葉いいたいキャラだったんだけど、それでも
そこに誠意みたいなものをね、感じ取っていたんだと思うわけ。

あ~~~でも、それがメッキだって時点で見る目ないってことかな~。


自分だって、そうできた人間じゃないことはわかっている。

過去にだって、今にだって、娘に語れないことだっていっぱい
やってる。

でも、誠意ってバロメーターでいえば、彼よりもよっぽど上等だと
思いたい。

人間、ギリギリの環境でもどこまで踏ん張れるか?と思うとき
私はギリギリまで頑張ったと思う。

そういう10年だったし、そういう最後だった。


あ~~~、どうすればそういう判断力がつくんだろう。

いっそ、誰も選ばなければその力はいらないんだろうか。



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