10日の早朝に「すみれ」が天国旅立ちました。
まだ8歳という若さでした。
食べれなくなってから1ヶ月ほどでしたが、最期は全く苦しむことが無く
眠ったまま逝ってしまいました。
「すみれ」が元気な時に沢山写真を撮りました。
女の子らしい、表情がとても可愛い猫ちゃんでした。
この時以来どんどん痩せてしまいましたので、
写真はこの時以来撮れませんでした。
数年前に「すみれ」が体調を崩し病院で血液検査を受けた際に、
「ウィイルス性白血病」に感染している事が分かりました。
当時我が家には3匹の猫ちゃんがおりましたので、
全猫検査を受けたところ、今は亡き「りょうすけ」と「すみれ」が陽性で
「けんすけ」は陰性であることが分かりました。
その時「すみれ」は特に発病はせず元気になりましたが、
今から2年半前に「りょうすけ」が発病し亡くなりました。
猫によっては発病しないで一生を終えることもあるようですが。
「すみれ」も発病すれば難しいと思っておりましたので、
発病しない事だけを祈っておりました。
ウィルス性白血病は人間には感染しませんし、予防注射があります。
ただ予防は出来ても発病すると直す薬がありません。
今回「すみれ」が食べなくなり医者に連れて行き血液検査を受けたところ
まだ発病しておらず、風邪ではないかと言われましたが、
あまりにも以前亡くなった「りょうすけ」に症状が似ておりましたので
私の中ではすでに覚悟をしなければと思いました。
餌は食べれなくなったものの、水は飲んでおり、おしっこもしておりました。
飲む栄養剤を数時間おきに注射器のようなもので飲ませましたが、
吐くこともなかったので、まだまだ生きてくれるものと思っていました。
最期は急でしたね。あっという間に逝ってしまいました。
ー 思い出の写真 -
お隣の物置の下で生まれた6匹の猫ちゃん達でしたが、
母親に餌をあげた事がきっかけで、数日後には
6匹全部我が家の縁の下に。
いたずら盛りで裏の家に早朝から遊びに出掛け、
何度苦情が来た事か。
我が家では絶対、大も小もしないのに、
裏の家で全部済ませて帰って来ると言う素晴らしい猫ちゃん達でした。
冬は寒いので温室の中に寒さよけのケージを用意して電気毛布を掛けました。
上に乗っているのが「すみれ」です。
餌を与え、もうすでに我が家の猫でしたが、
当時家の中には高齢の猫「らんちゃん」がおりましたので、
家に入れる事が出来ず、外飼い状態でした。
今は懐かしい写真ですが、6匹いた猫ちゃんも
8年経った現在残っているのは「けんすけ」ただ1匹です。
真ん中にいるのが「すみれ」です。
6匹中ただ1匹だけの女の子でした。
3枚目の餌を食べている写真は家に入れるようになってからのものです。
この時はまだ4匹いました。(6年ほど前の写真です)
「すみれ」は朝夕餌を食べに来て、
後はどこかで一日中過ごすような猫ちゃんでしたが
最期の1ヶ月は外に行かずにじっと家におりました。
この1ヶ月いままでの何年分も一緒にいた気がします。
亡くなる1週間ほど前に細くなった体で何処かに出掛けて帰って来ない時があり、
もう帰らないのではと相当心配しました。
猫は最期は身を隠すと言われておりますので。
すると夜遅くふらふらしながら帰って来たのです。
私は涙が止まりませんでしたね。
今は歴代の猫ちゃんと同じく庭に眠っております。
まだ8歳という若さでした。
食べれなくなってから1ヶ月ほどでしたが、最期は全く苦しむことが無く
眠ったまま逝ってしまいました。
「すみれ」が元気な時に沢山写真を撮りました。
女の子らしい、表情がとても可愛い猫ちゃんでした。
この時以来どんどん痩せてしまいましたので、
写真はこの時以来撮れませんでした。
数年前に「すみれ」が体調を崩し病院で血液検査を受けた際に、
「ウィイルス性白血病」に感染している事が分かりました。
当時我が家には3匹の猫ちゃんがおりましたので、
全猫検査を受けたところ、今は亡き「りょうすけ」と「すみれ」が陽性で
「けんすけ」は陰性であることが分かりました。
その時「すみれ」は特に発病はせず元気になりましたが、
今から2年半前に「りょうすけ」が発病し亡くなりました。
猫によっては発病しないで一生を終えることもあるようですが。
「すみれ」も発病すれば難しいと思っておりましたので、
発病しない事だけを祈っておりました。
ウィルス性白血病は人間には感染しませんし、予防注射があります。
ただ予防は出来ても発病すると直す薬がありません。
今回「すみれ」が食べなくなり医者に連れて行き血液検査を受けたところ
まだ発病しておらず、風邪ではないかと言われましたが、
あまりにも以前亡くなった「りょうすけ」に症状が似ておりましたので
私の中ではすでに覚悟をしなければと思いました。
餌は食べれなくなったものの、水は飲んでおり、おしっこもしておりました。
飲む栄養剤を数時間おきに注射器のようなもので飲ませましたが、
吐くこともなかったので、まだまだ生きてくれるものと思っていました。
最期は急でしたね。あっという間に逝ってしまいました。
ー 思い出の写真 -
お隣の物置の下で生まれた6匹の猫ちゃん達でしたが、
母親に餌をあげた事がきっかけで、数日後には
6匹全部我が家の縁の下に。
いたずら盛りで裏の家に早朝から遊びに出掛け、
何度苦情が来た事か。
我が家では絶対、大も小もしないのに、
裏の家で全部済ませて帰って来ると言う素晴らしい猫ちゃん達でした。
冬は寒いので温室の中に寒さよけのケージを用意して電気毛布を掛けました。
上に乗っているのが「すみれ」です。
餌を与え、もうすでに我が家の猫でしたが、
当時家の中には高齢の猫「らんちゃん」がおりましたので、
家に入れる事が出来ず、外飼い状態でした。
今は懐かしい写真ですが、6匹いた猫ちゃんも
8年経った現在残っているのは「けんすけ」ただ1匹です。
真ん中にいるのが「すみれ」です。
6匹中ただ1匹だけの女の子でした。
3枚目の餌を食べている写真は家に入れるようになってからのものです。
この時はまだ4匹いました。(6年ほど前の写真です)
「すみれ」は朝夕餌を食べに来て、
後はどこかで一日中過ごすような猫ちゃんでしたが
最期の1ヶ月は外に行かずにじっと家におりました。
この1ヶ月いままでの何年分も一緒にいた気がします。
亡くなる1週間ほど前に細くなった体で何処かに出掛けて帰って来ない時があり、
もう帰らないのではと相当心配しました。
猫は最期は身を隠すと言われておりますので。
すると夜遅くふらふらしながら帰って来たのです。
私は涙が止まりませんでしたね。
今は歴代の猫ちゃんと同じく庭に眠っております。