本日の読売新聞より
露骨に偏ってんちゃいますの だから社説は読みません。読売から安倍売新聞に社名変更しては
新潟県民の民意で選ばれた知事に、公正たるべきマスメディアが
新聞に書かれていることは鵜呑みにするべからず。読むときは紙面に書かれし報道の裏を読み取りましょう。
本日の読売新聞より
露骨に偏ってんちゃいますの だから社説は読みません。読売から安倍売新聞に社名変更しては
新潟県民の民意で選ばれた知事に、公正たるべきマスメディアが
新聞に書かれていることは鵜呑みにするべからず。読むときは紙面に書かれし報道の裏を読み取りましょう。
鹿屋東部道場ブログでの掲載より転記させていただきます。なるほど、現在の子供にとっての空手道の意義が的確に~拳友時報 最新号(445号)の「宗家に聴く」と合わせて一読あれ!
[空手は野球上回る人気 子供の習い事、武道が復権]
空手や剣道などの武道を習う子どもが増えている。1980年代のブームの頃は格闘家やマンガの登場人物の「強さ」にあこがれて始める子どもが多かった。最近では、礼儀作法や精神力を磨かせようと、親が率先して習わせる傾向にある。道場側も、激しい稽古だけなく、長く続けられるよう指導を工夫している。
10月から、小学1年生の子どもを入会させた小阪郁子さん(40)は、自らも合気道の経験者。「小学校に上がると環境も変わるので色々と心配。何事にも動じない強い心を身につけてほしい」。他に水泳と学習塾にも通わせており「負担は重いが、子どもには多くを経験させてあげたい」という考えだ。息子の僚君(7)も「とても面白かった。友達もできそう」と楽しげだ。
空手の型を演じる子どもたち(東京都中央区の日本橋小学校)
「強くなったねと、あまり子どもを褒めないよう、親御さんにお願いしています」と話すのは、東京で空手教室に指導員を派遣している東京空手倶楽部代表の瀧川英治さん。派遣先の教室には合計100人以上の幼児が通っているが、相手と対峙して技を繰り出す「組み手」はほとんど行わない。大会に出場する子どもも全体の2、3割にとどまる。基本は突きや蹴りといった動作や型の繰り返しだ。「空手は自分との戦い。同じことを続けることによって忍耐力を養う」(瀧川さん)。
3歳の娘を中央区の教室に通わせる30代の母親は「スイミングやピアノも習っているが、空手では我慢強さを身につけさせたい。将来の勉強でも生きてくるはず」と期待を込める。
空手は武道の中でも、特に低年齢で習う子どもが多い。ベネッセ教育総合研究所の2013年の調査では、幼児と小学生のスポーツ活動の中で、空手は5位。野球やバスケットボールを上回った。
用具も要らず簡単に始められるうえ、組み手をしなければ相手との接触もなく、ケガの心配が少ない点が親の支持を集めている。女性の愛好者も多く、全日本空手道連盟によると「小学校から高校までの登録会員のうち、女性が約半分を占める」という
9/11 梅田スカィビルにて
金城幸政氏の講演会「自分を生きる」に参加しました。内容は目からウロコ、共感共鳴、2時間笑いの渦
支部のお母さん方と共有したく、すでに公開されている講演会の中から一つ掲載します。長いですが、後半になるほど面白く心にズーンと響きます。 とにかく笑ってください。
金城 幸政 ~『 全て公開 』 やんちゃな神さまの著者が語る 「幸せになるためのシンプルな方法 」
ある地方版新聞の「編集日記」にこんなコラムが・・・誰しもが過ぎ行く夏を振り返りながら似たようなことを感じているはず。そんな思いで転記します。
~ オリンピック開催でとりわけ盛り上がった今年の夏も過ぎていこうとしている。いや、もうとっくに夏の後ろ姿を見送ったのかもしれないけれど、夏休みが終わるまでは、どこかに夏のかけらは残ってくれているようにも思う。 子供の頃も、大人になってからも、夏の終わりはちょっぴり切ないものである。春夏秋冬4つの季節の中で、季節の終わりにそんな風に感じるのは夏という季節だけかもしれない。 昼間の暑さはまだ厳しいのに、朝夕の吹く風の中に涼しさを感じる時。ふと見上げた空に一片のうろこ雲を見つけたとき。セミの声がピタリと止んでしまっているのに気づいた時。地元の市場に季節の果物(自分の地域ではぶどうである)が並び始めた時。夏の終わりを感じる。 しかしこれほどはっきりと別れを告げる季節はないのではないか。夏以外の季節は、なんだかいつの間にか移り変わっていたなと思うのに。だからどの季節より別れの寂しさを感じるのかもしれない。 取り返しのつかない後悔も、最高に輝く栄光も、過去のことだよと告げて夏はゆくのだ。よろこびもかなしみも決して立ち止まりはしないことを笑顔で伝えながら。~ (K)
皆さんはどんなことに夏の終わりを感じますか? 強烈な暑さを乗り越えるほどに、「よおがんばったなあ、自分よ」って、頑張った自分とのお別れ感もひとしおになる。秋めいて心地よいはずの風にさえ、物足りなさを感じてしまう。強烈な西日を浴びて道場に向かうことから開放されるというのに、日の落ちる早さが身に染みる季節の侘しさを思う。人間ってほんとあまのじゃくだなあ。
さあ、「編集日記」のKさんの言うように、フェスティバルも終わり、一つの夏にケリをつけて、また前に進んでいこう。