少林寺流空手道拳昇会

道場案内・活動記録・会員間出来事など

ドッグカフェで新年会

2014-01-30 22:25:47 | 日記

H26,1,30

箕面市のドッグカフェで新年会。

(パピーウォーカー仲間の集まりです。私は元パピーウォーカーですが)

パピーちゃん2頭とキャリアチェンジのワンちゃんとキャバリアのワンちゃん。

存在感があって、おとなしく優しいまなざしのこの子達には、いつもノックアウトされます。

そばにいてくれるだけで絵になるし、癒されます。

人間のほうが嬉しすぎてキャピキャピしてしまいます。

写真を見てもご覧の通り。

ワンコちゃん達のほうが、「しつこいな。もうええんちゃう。」って感じですヽ(´▽`)/

それにしても一斉にカメラ目線になることは一度もありませんでした。

食事中もおとなしくダウンして待っていてくれた彼らのささやかな抵抗?かしら(笑)

そんな素っ気ない素振りもハートに染みます(´∀`)

                        (骨なしになった支部長の一日でした)

 

 

 


関西盲導犬訓練センター

2014-01-24 11:58:52 | 日記

H26,1,24  小春日和

眩く美しい朝日 一日の始まりです 

~私事ですが~

今日は関西盲導犬訓練センターにボランティアとして訓練犬のお世話に出かけました。

昨年パピーウォーカーをさせていただいたご縁です。

訓練センターのある亀岡市に入るためには、箕面の山を越えて、もうひと山越えて小一時間。最後のヘアピンカーブを過ぎると、途端にのどかな人里が広がる。 

この看板が見えると来たなあという実感です。

犬舎に入るときは雑菌を持ち込まないよう専用の長靴に履き替えて、掃除も行き届き、清潔な空間だ。

今日はまず訓練犬の散歩から始まり、シャンプー、ドライヤーと夕ご飯をあげたり、食器の洗浄、翌朝のフードの準備など。

散歩はのどかな田舎道を歩く。うれしそうに尻尾ふりふりセンターを出て行く。歩きながらここまで育てたパピーウオーカー(二ヶ月の子犬から成犬になる一年間、家庭で預かり育てる人)のことを思う。手塩にかけて育てた人の代わりにはならないけれど、気持ちを込めてリードをにぎる。どの子も本当に可愛い。

シャンプーやドライヤーも湿疹ができないよう丹念にする。フードも個体に合わせて量を計り、体調によっては粉ミルクやオイルも調合する。

盲導犬として世にでる子は三割程度だが、どの子も盲導犬になるためにこの世に生を受けた尊い命なのです。

犬舎担当の訓練士さんの手際よくお世話する姿にも頭が下がる。

私が手伝うのはひと月に一回のほんの数時間。何十頭ものワンちゃんのうち、1頭しか洗ってあげれない。

でも私のような人が10人集まれば10頭の子達のシャンプーをしてあげれる。大勢の少しずつが大切だと思う。

盲導犬育成のための費用はすべて寄付金から賄われていると聞きます。

私自身微力ながら、少しずつ細々と続けていこうと思う。

もしこのボランティアに興味のある方は関西盲導犬協会にご連絡ください。

もしくは私に連絡いただければお供もいたします

パピーの仲間(我が家のやんちゃ坊主イエローラブ・イブキ、黒ラブ・ジンジャーちゃん、ゴールデン・カリンちゃん)

訓練センターに戻る前に川遊びを楽しんだ。

今はこの子達もキャリアチェンジになり、一般家庭で暮らしている。

パピーウォーカーの私達は幸せを祈るのみ。いや絶対に幸せになるんだよ!。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


懐かしい場所

2014-01-16 13:29:28 | 日記

長年、道場を続けていると、当然のことながら、道場を通していろいろな人との出会いや別れがある。

「一期一会」  人との出会いを大切にしたいと思いつつも、お互いに日々の暮らしに追われ、いつの間にか疎遠になったりする。道場に通う子供たちも、あっという間に学校のクラブで忙しくなったり、進路に悩む時期に突入する。そして受験、高校・大学入学、就職等で物理的に通えなくなったり、自然に足が遠のいてしまう。

「去る者は追わず、来る者は拒まず」 当たり前のことと自分に言い聞かせ、常に前を向いているが、ふと、今頃あの子はどうしているのかな? と道場に向かう車の中で思い出す。

そして昨日、稽古が始まる前に、ブラッと一人の女性が顔を出してくれた。

看護師を目指し、学業が忙しくなり、いつの間にか道場に通えなくなっていたY子さんだった。もう7、8年も前のこと。そう、最近も車の中で思い出していた一人だ。

志通り看護師になって働き、結婚もし、来月に出産を控えているという。大きなお腹を抱えてバスに乗って、「出産をすれば、また長く来れないので」と思い切って私に会いに来てくれたと言う。 私と同じように心のどこかに懐かしい思いを持ち続けてくれたからこそ再会出来たのだろう。不思議なことだが、本当に思いは通じるのだ。 冷え込む夜の道場の片隅で、一時間も見学してくれた。有難う!Y子さん。

彼女にとって、道場が「懐かしい場所」になってくれていたことを何よりも嬉しく思う。

親もまた同じだと思う。子供にとって、偉い親、尊敬される親よりも懐かしがられる存在、どんなに遠くに羽ばたいても、凧の糸のようにたぐり寄せれば繋がっている。

「懐かしい親」が一番ではないだろうか。

彼女の無事出産を願いながら、そんなことを思う。

1月14日 上新田天神社とんど焼き

沈みゆく夕景

 


おばあちゃんち

2014-01-12 19:23:54 | 日記

~雑記~

各道場の稽古始め、1部で参加する幼、小学生の豆拳士諸君に聞いてみた。

「お正月で楽しかったこと一つ教えて」と

圧倒的に多かったのが「おばあちゃんちに行った」ことだった。

決しておじいちゃんがいないわけではないがなぜか皆口を揃えたようにおばあちゃんのおうちと言う

おじいちゃんは苦笑いすることだろうな

いっぱいおもちゃや欲しい物買ってあげてるだろうに、公園にも連れてってあげてるだろうに

やっぱり子供って、うちではお母さんに、遊びに行ったらおばあちゃんに身の周りのこと、ごはんのことしてもらっているから、お母さんやおばあちゃんが一番なのかな。

おじいちゃんだって、目の中に入れても痛くないくらい可愛いと思っているのに、影が薄くてちょっとお気の毒ですね(´;ω;`)。

物を買ってもらう時だけじゃなくて、もっとおじいちゃんにも甘えてあげてね。

来年の初稽古では、おじいちゃん票も入ることを願って。

フレー フレーおじいちゃん

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「やぶにらみ」より

2014-01-11 10:03:53 | 日記

少林寺流錬心舘の機関紙「拳友時報」は昭和48年頃の初版から始まり、現在420号を超えている。流派の技術等の解説本は独自では一切世に出すことのない錬心舘にとって、「拳友時報」はまさに錬心舘の歴史を紐解き、拳学・拳行を導く貴重なバイブルである。折々の時代や世相も伺い知ることができる。

拳友時報の中の「やぶにらみ」と題した辛口のコラムもまたしかり。「学ぶ」ということ というテーマで掲載している第424号のコラムの一部を抜粋して紹介しよう。

ノーベル賞候補になった、女子教育の権利を主張してイスラム原理主義のタリバンに銃撃され、奇跡的に一命をとりとめたパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんであったが、その受賞は見送られた。16歳という異例の若さや、受賞したため再びテロの標的となる恐れを避けるため、と理由は色々取り沙汰されているが、近年これほど世界中の賞賛を集め、平和賞の名に値する存在はいなかっただけに残念でならない。テロの恐怖を乗り越え女性の権利と教育の大切さを命がけで発信している彼女の勇気に比べたら、「平和賞ではなく政治ショー」と皮肉られ、国際政治の力学によって選ばれたとしか思えない過去の受賞者たちは、大いに恥じ入り、自ら返上してもらいたいぐらいである。たとえば、米政府と重大な密約を交わしておきながら、沖縄返還の業績で平和賞受賞者となった故佐藤栄作氏。たとえば、具体的結果はまだ何も残していないのに、核無き世界を訴えた「プラハ演説」だけで口先受賞したオバマ大統領。核廃絶の理想を口にしながら、彼はいまだに被爆地を訪れることすらしていない。

「一人の子供、一人の教師、一冊の本、一本のペンでも、世界を変えることができるスクールバス内での銃撃から一年足らず、銃弾摘出手術を経て奇跡の生還を果たした少女の口からほとばしったこの一節は、数奇な運命の重みと死の恐怖を克服した信念の強さで、「剣よりペン」という使い古された言葉に、新たな、そして永遠の命を吹き込んだ。国連議場が鳴り止まぬ総立ちの拍手で彼女を迎えたのも当然である。

学びへの欲求はこんなにも切実で、人間にとって本源的なものなのだ。

貧しい人への支援の方法は、いろいろあるだろう。しかし、援助の仕方や考え方を誤ると、それはときとして、援助する人とされる人の関係を不幸な形で固定し、あってはならない「ほどこし」や「依存」の歪んだ観念を生むもととなる。これに対し、教師の派遣や学校の建設を含めた学ぶ機会の提供は、人の自立を促す本質的な支援であり、マララさんの言葉にあるとおり、適切に行われれば「世界を変える」唯一の道となる。宗家がインドで連綿と続けている教育支援も、その一例といえよう。

「明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい。自らも終生「学ぶ人」であったインド独立の父、マハトマ・ガンジーが残した、有名な言葉である。

以上、抜粋して紹介しましたが、毎回「やぶにらみ」コラムは報道新聞よりわかりやすく、焦点をついている。

そして、何より、読む者に問題を提示し、どう生きるべきかを示してくれる。まさに拳学である。

この日の空は雲が拡がり、切れ間に太陽が見え隠れ。刻一刻表情が変わる。