乱鳥の書きなぐり

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菅原道眞 (道真)23 菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞

2018-10-27 | 菅原道眞

 写真のポスターは2011年7月  松竹座前にて




 

 

 

 

 十五代目 片岡 仁左衛門 孝夫さん、おめでとう!!

 菅原道眞 (道真) 23 菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞




 菅原道眞 (道真)
 菅原道眞1 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 
 菅原道眞2 秀才道真、業平と親交が深かったか…

 菅原道眞3 東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』

 菅原道眞4 メモ

 菅原道眞 5 大宰権帥に左遷。「日本三代実録葉」完成を報告したのは、時平と大蔵善行(901年)

 菅原道眞6 菅原道真は ろ号券 五圓紙幣にも登場していた。

 菅原道眞7 手向山八幡宮 このたびはぬさもとりあへずたむけ山 紅葉の錦神のまにまに

 菅原道眞8 北野天満宮 梅花祭(御祭神菅公の祥月命日に行われる祭典) 2月28日

 菅原道眞9 北野神社 2014年2月28日 北野梅園 梅!只今五分咲きです。(4景)

 菅原道眞10『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)と、 絵馬堂の絵馬 

 菅原道真11 『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)「牛が動かなくなった場面」や「雷となった道真さんから歌を教えられる場面」など

 菅原道眞12 北野天満宮 2014年2月 宝物殿 『北野天神縁起(光信本)』「長谷川等伯の大型絵馬」

 菅原道眞13 神戸 北野天満宮神社では展望台では異人館「風見鶏の館」と神戸港を見る事ができます。

 菅原道眞14 八坂神社・石見神楽『天神』 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

 菅原道眞 15 天神祭  花火と船能 『翁』『羽衣』『土蜘蛛』観世流   2014年7月15日

 菅原道眞 16  菅原道真 16 名がわからない天満宮と、「菅原道真公」の絵馬  「稲葉そよびて秋風のふく」  (5景)

 菅原道眞 17 太宰府「梅ヶ枝餅」 元は梅の枝に栗餅を巻き付けて道真公に差し入れたらしい。 (5景)

 菅原道眞 18 仁左衛門が太宰府天満宮で「三月大歌舞伎」(歌舞伎座)成功祈願

 菅原道眞 19 仁左衛門丈が菅丞相 通し狂言『菅原伝授手習鑑』 三月歌舞伎座 チラシあり

 菅原道眞20 『決定版 番付集成』より「日本國中 天満宮鎮座」 青木美智男編 柏書房

 菅原道眞21 京都観世会9月例会〈其のニ〉 (能) 雷電 替装束 橋本忠樹

 菅原道眞22 『観世流謡曲続百番集』『雷電』(らいでん)  445頁から454頁(10枚)

 菅原道眞23(道真)菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞

   ☆ ☆ ☆
 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

 乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

 『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編




 私自身はドラマ自体をあまり見ない人間なので、仁左衛門丈と雖ドラマに関してはほとんど見たことがない。
 また、映画も半分ほどしか見tれないのが口惜しい。

 女殺油地獄は海老蔵さんのお怪我の代役をしてくださいましたので、松竹座で三度見ることができました。
 仁左衛門丈の女殺油地獄はもとよりたいそう見たかったので、海老蔵さんには手を合わせつつも、人生への贈り物だと幸せを噛み締めていました。

 上に書かれた主な当たり役以外にも、心に残る演目が多くあります。
 
 仁左衛門さんは孝玉時代から南座で見ていました。
 私が十代、孝夫さんが三十代でした。
 歌舞伎を全く知らなかった高校生の頃の私でさえ、お上手だな、美しいか、かっこいいなという三拍子が揃った役者さんの一人でした。
 高校生の頃の私にとっての歌舞伎は学生の頃見ていたお能と同様、、言葉を聞き取るのもままならず状態でした。
 しかしそれを上回るほど、見せ場を作ってくださいます役者さんのお一人でしたことを覚えています。

 菅原道眞が好きな私にとっては、仁左衛門丈の菅丞相 役はこの上なき喜びです。
 私にとっては、有原業平とも菅原道眞とも曾我五郎 とも感じられる片岡仁左衛門丈がこの度名誉ある文化功労者賞を受賞され、大変嬉しく感じております。





  屋号 松嶋屋
  定紋 七つ割丸に二引 
  生年月日 1944年3月14日(74歳)
  本名 片岡孝夫
  襲名歴 1. 片岡孝夫
        2. 十五代目片岡仁左衛門

  父 十三代目片岡仁左衛門
  兄弟 五代目片岡我當
     二代目片岡秀太郎
     片岡静香(女優)
  妻 一般女性
  子 片岡孝太郎
     片岡サチ
     片岡京子
  当たり役
    歌舞伎
      『女殺油地獄』の河内屋与兵衛
      『菅原伝授手習鑑』の菅丞相
    テレビ
      『眠狂四郎円月殺法』の眠狂四郎
      『太平記』の後醍醐天皇
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 十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえもん 1944年3月14日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「片岡仁左衛門」の当代。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。
 本名及び旧芸名は片岡 孝夫(かたおか たかお)。半世紀近くにわたって本名のまま舞台に立ち続けていたので、大名跡「仁左衛門」を襲名した今日でも「孝夫」と呼ぶ人は多い。


 受賞歴[編集]
    1986年 芸術祭賞
    1988年 日本芸術院賞
    1999年 毎日芸術賞、大阪舞台芸術賞
    2003年 朝日舞台芸術賞
    2006年 紫綬褒章、芸術院会員
    2010年 第13回坪内逍遙大賞
    2018年 文化功労者


 歌舞伎
 主な当たり役は以下の通り
    女殺油地獄 - 与兵衛 役
    伊賀越道中双六 - 呉服屋十兵衛 役
    伊勢音頭恋寝刃 - 福岡貢 役
    菅原伝授手習鑑 - 菅丞相 役
    勧進帳 - 弁慶 役
    助六曲輪初花櫻 - 曾我五郎 役
    与話情浮名横櫛 - 与三郎 役
    廓文章 - 藤屋伊左衛門 役
    恋飛脚大和往来 - 忠兵衛 役



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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」  仁左衛門丈が「文化功労者」を受賞されたので調べてみたい。

2018-10-27 | ことのは
 写真のポスターは、2014年7月  松竹座にて





 

 

 

 
 さらに古典を掘り下げたい 文化功労者に片岡仁左衛門さん





 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」





 気がつけば、乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱が多いことに気づく。
 だいたいはわかる。感覚ではわかる。
 だが、その実、しっかりと内容を把握せず、日常的に使っている言葉。
 そういった言葉に気づいた時点で、これからも取り上げていこうと思う。



「文化功労者」と「文化勲章」

「文化功労者」
 文化功労者(ぶんかこうろうしゃ)とは、日本において、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者をいう。
 文化功労者年金法[1](昭和26年法律第125号)に定められる。
 文化勲章よりも多くの者が選ばれ、文化勲章に次ぐ栄誉となっている。
 文化勲章受章者は、すでに亡くなっている人物を除いては、文化功労者にあわせて決定される。

 選考基準
 文部科学大臣が候補者の選考を文化審議会に諮問し、その選考した者のうちから文部科学大臣がこれを決定する(文化功労者法第2条)。
 文化功労者には、終身、政令で定める額の年金(年額350万円・平成21年度予算計約8億円)が支給される(同法第3条)。
 なお選考に国籍要件はなく、2014年(平成26年)末現在で、1978年(昭和53年)の南部陽一郎(物理学者])、1999年(平成11年)のマリウス・バーサス・ジャンセン(日本研究家)、2002年(平成14年)のドナルド・キーン(日本文学者)、2010年(平成22年)の王貞治(野球選手・監督)の4人の外国国籍者が選ばれている(南部陽一郎とドナルド・キーンは文化勲章も受章)。
 1989年(昭和64年/平成元年)に服飾デザインの森英恵、1990年(平成2年)に将棋の大山康晴・水泳の兵藤秀子、1991年(平成3年)にグラフィックデザインの亀倉雄策、1992年(平成4年)に囲碁の坂田栄男・野球の川上哲治、1994年(平成6年)に漫画の横山隆一、2012年(平成24年)にサッカーの岡野俊一郎、2012年(平成24年)にアニメーションの宮崎駿が選ばれるなど平成時代に入ってから対象ジャンルの拡大が顕著である。
 2009年(平成21年)には元横綱の大鵬幸喜が選ばれている。

 年金・褒賞金について
 日本国憲法第14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、文化勲章受章者に年金や褒賞金を支給することができなかった。
 このため1951年(昭和26年)に勲章とは別制度として「文化功労者」を設け、これに年金を支給することで実質的に文化勲章年金の機能を持たせた。
 なお、憲法の趣旨を潜脱する目的で文化勲章と別の名称にした経緯があり、一時の褒賞金に留まらず、掛金なしで高額の終身年金を与えることは特権であるとして憲法違反であるとする説もある。
 年金支給額は文化功労者年金法施行令(昭和26年政令第147号)で定められ、現在の額は1982年(昭和57年)に規定された年間350万円である。


 文化功労者との関係
 文化勲章には金品等の副賞は伴わない。
 これは日本国憲法第14条の規定(勲章への特権付与の禁止)によるものであるが、文化の発展向上への貢献者に報いたいとの意図により、文化勲章とは別制度として1951年(昭和26年)に文化功労者顕彰制度が創設され、前年度までの文化勲章受章者で存命者を一斉に文化功労者として顕彰するとともに、以後も文化勲章受章者は同時に文化功労者でもあるように運用することとした。これにより、文化勲章受章者は、文化功労者年金法に基づく終身年金(現在は年額350万円)が支給される。
 制度上は別のものであるとの制度設計であっても、実際の運用上において文化勲章受章者と文化功労者とを完全に同一にすると憲法の規定に抵触するおそれがあるため、文化勲章受章者とは別に、文化勲章受章者以外にも文化功労者として顕彰する者を選定する運用が行われてきた。
 1979年(昭和54年)度以降は、文化勲章受章者は原則として前年度までに文化功労者として顕彰を受けた者の中から選考するように改められた。



「文化勲章」
 文化勲章(ぶんかくんしょう)は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。
 当時の内閣総理大臣・廣田弘毅の発案により[1]、1937年の文化勲章令(昭和12年2月11日勅令第9号)を以て制定された。

 勲章のデザイン
 文化勲章の場合、制式と図様も1937年の「文化勲章令」(昭和12年2月11日勅令第9号)により定められている。
 賞勲局及び造幣局の嘱託で東京高等工芸学校教授の畑正吉がデザインした[2]。意匠案と昭和天皇との関係は別項を参照のこと。
 文化勲章は、章、鈕、環、綬の各部から構成されている。

 章
 勲章は橘の五弁の花の中心に三つ巴の曲玉を配する。鈕にも橘の実と葉が用いられる。綬の織地は淡紫色。

 授与
 2000年11月3日、皇居にて明仁天皇(手前左)から文化勲章を授与される筑波大学名誉教授白川英樹
 親授式が毎年11月3日の文化の日に皇居宮殿松の間で行われ、天皇から直接授与(親授)される。
 1997年(平成9年)から現行の天皇親授に切り替えられたが、それまでは宮中で天皇臨席のもとに内閣総理大臣が勲記と勲章を手交する伝達式の形式で行われていた。
 そのため、以前は同じく宮中伝達式により授与される旧勲二等と同位に位置づけられていたが、現在では同じく天皇親授により授与される大綬章(旧勲一等)と同位に位置づけられている。

 受章者選考手続き
 文化庁文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会の意見を聞いて文部科学大臣が推薦し、内閣府賞勲局で審査したうえ、閣議で決定する[4]。文化勲章受章候補者推薦要綱(平成2年12月12日内閣総理大臣決定、平成2年12月14日閣議報告)によると、文部科学大臣は、“文化の発達に関し勲績卓絶な者”を文化功労者のうちから選考し、毎年度おおむね5名を内閣総理大臣に推薦する。文化功労者以外の者でも必要と認められる場合には選ばれることがある(この場合、併せて文化功労者になる)。
 慣例として、当年のノーベル賞受賞者が文化勲章未受章の場合にも授けられてきた。
 この慣例は、未受章者であった江崎玲於奈が1973年(昭和48年)に物理学賞を受賞した際翌年受章することになったことに端を発し、それ以降のケースではノーベル賞と同年となった(これが“ノーベル賞受賞で政府が慌てて文化勲章を授ける”ように見える一因である。
 江崎以前のノーベル賞受賞者は全員が先に文化勲章を受章していた。
 但し1974年(昭和49年)に平和賞を受賞した佐藤栄作は「文化に直結しない」として授与されておらず[5]、1994年(平成6年)に文学賞を受賞した大江健三郎は辞退している)。
 しかし2017年(平成29年)に文学賞を受賞したカズオ・イシグロは文化勲章が贈られず、この慣例は破られた[5]。幼年期に母国日本を離れており作品を英語で書いているイシグロが、日本文化への貢献が顕著かどうか解釈が分かれるため、慣例通り文化勲章が授与されるかは注目された。
 なお、文部科学省はイシグロが文化勲章の選考から漏れた理由をコメントしていない。
 イシグロは翌2018年(平成30年)4月29日付の春の叙勲で文化勲章や大綬章よりも一つ下の旧勲二等格である旭日重光章に叙されている。

 

 
               (ウィキペディア)


 



 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3 丈(じょう )と 丈(たけ)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 


 



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片岡仁左衛門丈が平成30年度文化功労者に選出された。  おめでとう!考夫さん!!!

2018-10-27 | 舞台・音楽 雑感メモ
 写真のポスターは、2018年2月松竹座


 

 

 

 片岡仁左衛門が平成30年度文化功労者に選出「ただただ、歌舞伎が好き」



 片岡仁左衛門丈が平成30年度文化功労者に選出された。  
 おめでとう!考夫さん!!!



 片岡仁左衛門が平成30年度文化功労者に選出された。
 ああ!やっと!と嬉しい気持ちが波寄せる。
 考夫さん、おめでとうございます!!!

 孝玉の頃から演技が好きだった仁左衛門丈
『惜しいな』と思われるうちに辞めたいとおっしゃっているが、先代のように。上手からしもてへ歩かれるだけでも良いので、舞台好きの心意気を最後まで見せていただきたいと説に願う。
 今や十代の頃から大変好きだった役者さんといえば、唐十郎丈と仁左衛門丈だけである。
 いついつまでもお元気で、私たちに本当の歌舞伎を見せ続けていただきたいと願ってやみません。  



 
 「死ぬまで修業」 文化功労者に片岡仁左衛門さんら(18/10/26)

 
 2018年10月26日 11:30

 文化功労者は、文部科学省が決定する、文化の向上発達に功績を残した人に送られる称号。
 仁左衛門は歌舞伎での功績を認められ、このたびの選出となった。
 選出に際し、取材に応じた仁左衛門は
「栄誉に浴しまして、身の引き締まる思いでございます」
と挨拶。
 市川團十郎が助六を勤める公演のビデオを自宅で観ている最中に、受賞の知らせを電話で受けたと言い、自身と妻の2役を演じそのシーン再現してみせ、会見場を和ませる。

 記者から当日の装いについて尋ねられ、中学1年か2年のときに父から褒美に贈られたという腕時計を「いつも着けている物ですが」と紹介する片岡仁左衛門。

 記者から当日の装いについて尋ねられ、中学1年か2年のときに父から褒美に贈られたという腕時計を「いつも着けている物ですが」と紹介する片岡仁左衛門。
 自身の原動力を「ただただ、歌舞伎が好きということですね」と語る仁左衛門は、
「正直、廃業しようという時期もありましたが、やはり歌舞伎の魅力から離れられなかったと言うか、逃げられなかったと言うか……」
と振り返り、「常に挑戦」「何でも命がけ」と歌舞伎に対する貪欲な姿勢を見せる。
 そして1993年の大病からの復帰を、
「非常におこがましい言い方なんですけれども」
と前置きしながら
「神様が『歌舞伎のためにもっとがんばれ』とおっしゃってくださったんだと思いました」
と回想し、
「私から歌舞伎を取ったら何もなくなります」
とコメント。さらに
「うぬぼれ……甘えではないのですが、お見せしても恥ずかしくないと思える段階、『惜しいな』と思われるうちに辞めたい
と引き際についても言及した。

 父から贈られた腕時計を見つめる片岡仁左衛門。

 父から贈られた腕時計を見つめる片岡仁左衛門。
 歌舞伎界の今後については
「とにかく古典ものの掘り下げ。そして掘り下げることで生まれる芝居の新しい魅力を、歌舞伎をご存知ないお客様方に訴えたい」
と目標を掲げ、
「お客様を目新しいことで捕まえるのではなく、掘り下げる努力をすることが一番大事だと思います」
とやわらかな表情の中にも真摯な持論を忍ばせる。続けて
「言い古された言葉ですけど、『死ぬまで修行』。我々に終点はないわけですから、とにかく体力の許す限り“歌舞伎”というものを、多くの人に伝えていきたい」
と語り、“歌舞伎”の箇所で声に力を込めた。

 一方で、来年2019年で芸歴70年を迎える自身の展望については、
「私は本当に頼りない男でね」
と笑い、
「不逆流生(ふぎゃくりゅうせい)という私が作った言葉があるのですが、“流れに逆らわず、流れを生かす”が私のモットー。だから来年は、どういう流れが来るか次第ですね」
とフワリ、笑顔でかわす。
 そして仁左衛門は「今までのこういう会見の中で、私が一番阿呆でしょ?(笑)」
と、終始笑いの絶えなかった会見場を笑顔であとにした。
     (ステージ ナタリーより)




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