乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

相撲甚句であそぶ。

2011年08月09日 | 舞台・音楽 雑感メモ




       相撲甚句




 相撲甚句(すもうじんく)とは邦楽の一種。大相撲の巡業などで披露される七五調の囃子歌である。



 yahoo百科事典より ▼

 力士が歌う民謡の一種。江戸末期から「相撲取節」として始まったもので、盆踊り唄(うた)から転化して、節は江戸相撲、京坂相撲など地方によって異なる。最初は七七七五調26文字の四節でまとまった歌であったが、明治末ごろから名古屋甚句の影響でしだいに字余りの長文句が多くなり、現在、花相撲や巡業の余興で歌うのは、新作以外、明治末にはやった歌か、その替え歌がほとんどである。横綱、大関の引退相撲には土俵歴、地方場所では土地の観光名所を織り込んだ新作が多く披露される。力士が相撲甚句を歌いながら、円陣を組んで差す手・引く手、足を前後左右に運んで回るのは、相撲の四十八手の型を表現しているのであるが、近年はこの意味が薄れつつある。



 甚句(じんく) [ 日本大百科全書(小学館) ▼

 日本民謡分類上の一種目であり、また曲名そのものにもなっている。「甚句」という文字は当て字で、文字そのものにはまったく意味はなく、必要なのは「ジンク」ということばである。「ジンク」ということばについては、
     (1)「地ン句」のことで、土地土地で歌われている唄(うた)、
     (2)「神句」の意で、神に供える唄、
     (3)「海老屋(えびや)甚九」で、海老屋の甚九郎が歌い始めたのによる、
といった諸説もあるが、そうではない。まだ定説にはなっていないが、有力なものを掲げておく。

 東北地方にはいまなお「ジンコ」という名の唄が各地に点々と残っている。東北弁では、名詞の後に「コ」の字を加えたがる傾向が強いから、「ジンコ」は「ジン」+「コ」ということになり、問題になるのは「ジン」ということばだけということになる。ところで「甚句」ということばは、「音頭と甚句」というぐあいに対句として用いられることが多い。この対句は演唱形式がそのまま曲名になったもので、「音頭」は、1人の人が唄の一部を独唱すると、他の人々が他の部分を声をそろえて斉唱する演唱形式の唄である。これに対して「甚句」すなわち「ジン」は次のように考えられる。秋田、岩手、青森3県の山間部の古風な盆踊りをみると、歌垣(うたがき)的な性格を色濃く残している。すなわち、男女が手拭(てぬぐい)でほおかぶりをし、輪になって踊りながら、そのうちの1人が思う相手に問いかけるようにして歌うと、異性がこれをうけて返歌を歌うという形式である。こうして一晩中踊りが続いていくだけに、「ジン」は「順番」の「順」ではないかと考察される。これに「コ」の字を加えて「順コ」、それが「ジンコ」となまり、江戸時代末期に「甚句」の文字があてられて、以後急激に東日本に広まっていったとするものである。その「甚句」は、七七七五調26音を基本とする詞型で、曲は旧南部領(青森県東部と岩手県の大半)の『ナニャトヤラ』を母体にして派生、『秋田甚句』や『越後(えちご)甚句』が中心になって、その多様化したものが東日本一円に広まり、盆踊り唄、酒盛り唄にと利用されている。そして新潟県糸魚川(いといがわ)から長野県松本、さらに静岡県浜松を結ぶ線以東に集中し、西日本では飛び火のような感じで存在するにとどまっている。




相撲甚句 仲と言う字

安珍清姫川の中 お染久松藏の中 八百屋お七は火の中で
宮本武蔵は城の中 岩見重太郎 口の中 番随院長兵衛は風呂の中


相撲甚句 笑うと言う字

犬が片足を上げて小用する理由

相撲甚句〝祝(秋場所)千秋楽〟(唄:akira)


平成20年濱降祭 斎主 寒川神社還幸 茅ヶ崎甚句あり


相撲甚句(静岡市清水区鹿島神社)


相撲甚句 寄せ太鼓・花づくし

 相撲甚句・相撲歌には、「花づくしなどが載っている。」



花づくし

                                                           作詞・多賀之丞
                                                            
        (ハァー ドスコイ ドスコイ)
♪ハァーエー
        (ハァー ドスコイ ドスコイ)
花を 集めて 甚句にとけば ヨー 
        (ハァー ドスコイ ドスコイ)
ハァー 正月寿(ことほ)ぐ 福寿草
 二月に咲くのが 梅の花
 三月桜や 四月藤
 五月あやめに かきつばた
 六月牡丹に 舞う蝶や
 七月野山に 咲く萩の
 八月お盆で ハスの花
 桔梗かるかや おみなえし
 冬は水仙 玉椿
 あまた名花の ある中で
 自慢で抱えた 太鼓腹
 繻子(しゅす)の締め込み バレン付き
 雲州たばねの やぐら鬢(びん)
 きよめの塩や 化粧水
 四股踏みならす 土俵上
 四つに組んだる 雄々しさは
 これぞ誠の ヨーホホホイ
 ハァー 国の華 ヨー
        (ハァードスコイ ドスコイ)






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映画; 『弁天小僧』1958年 伊藤大輔監督 八尋不二脚本 大映 市川雷蔵    ☆追記あり

2011年08月09日 | 映画




 映画; 『弁天小僧』





 ★★★★★ ★★★☆☆



監督:伊藤大輔
脚本:八尋不二
出演:市川雷蔵 勝新太郎 青山京子 阿井美千子 近藤美恵子 島田竜三 黒川弥太郎
1958年
大映
86分
カラー
 河竹黙阿弥の歌舞伎狂言を題材にした娯楽時代劇。悪人に捕らわれた町娘の危機を救い、悪徳旗本の一味を出し抜き、豪商から大金を強請る弁天小僧菊之助、南郷力丸、忠信利平、赤星十三、日本左衛門の白浪五人男の活躍を痛快に描く。


 河竹黙阿弥による歌舞伎『白浪五人男』を映画化。女装した弁天小僧(市川雷蔵)が両肌脱いであぐらをかき、啖呵を切る見せ場が有名。手を付けようとした小娘に騒がれた雲州公が、彼女を座敷牢に閉じ込めたという噂が立った。悪旗本の鯉沼伊織はそれをネタに強請ろうと雲州邸に乗り込んだ。しかし娘お半はすでに、町のやくざ弁天小僧に連れ出されていた。弁天小僧はお半を売り飛ばすつもりだったが、その純情さにうたれ、金を持たせて、病気の父のもとへ返してやるのだった。(allcinema ONLINE)



 以前から映画『弁天小僧』を見たいと思っていたが、伊藤大輔監督作品とは知らなかった。

 映画『弁天小僧』では浜松屋の旦那は菊之助の父という設定。

 浜松屋の場での弁天の名台詞
「知らざあ言って、聞かせやしょう」
は菊五郎さんのように短く
「知らざあ言って聞かせやショ
では無く、私の好きなたっぷりがた口調
「知らざあ言って、聞かせやしょぉう~」


 ただ菊五郎さんは舞台によって「聞かせやしょう」のトーンが違う。

 昨年三月の歌舞伎座公演の『白波五人男』は幸運にも二度鑑賞したが、毎回 たっぷりの口調で表現された。


 名台詞は途中までで、
「まぁ未練がましく聞こえるから、この辺でやめておこう~」
と、あっけなく終わリ、話は展開する。


 浜松屋の場での丁稚や使用人の仕草や台詞は歌舞伎とほぼ似ている。

 日本左衛門の
「金の方が良い」という展開は早い。

 しかし浜松屋の話を聞くうちに助けるといった方向に…。

 ここで上に書いた浜松屋の旦那は菊之助の父という設定が活かされる。

 ラストシーンで、涙が出た。


 人情味あふれる遠山金四郎が『弁天小僧』に出てきた。



 市川雷蔵の弁天小僧菊之助もまた良い。

 彼は、文久2年(1862年)に三代目歌川豊国が描いた 十三代目市村羽左衛門(後の五代目尾上菊五郎)の弁天小僧菊之助の顔によく似ている。



 ところで南郷力丸扮するは先日素敵だと褒めちぎっていた田崎潤さんだったんだ。

 全く気づかなかった。

 時間があれば、もう一度見られればいいな。





  

 浜松屋の場での弁天の見顕し(初演の五代目尾上菊五郎の口跡)




知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児ヶ淵、江戸の百味講の蒔銭を、当てに小皿の一文字、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた祖父さんの、似ぬ声色で小ゆすりかたり、名せえ由縁の弁天小僧菊之助たあ、俺がことだ。


  



goo映画より ▼


キャスト(役名)

市川雷蔵 (弁天小僧菊之助)
勝新太郎 (遠山左衛門尉)
青山京子 (お半)
阿井美千子 (お吉)
近藤美恵子 (お鈴)
島田竜三 (赤星十三)
黒川弥太郎 (日本左衛門)
河津清三郎 (鯉沼伊織)
小堀明男 (三池要人)
舟木洋一 (忠信利平)
伊沢一郎 (横地帯刀)
荒木忍 (源之丞)
二代目中村鴈治郎 (松平左近将監)
香川良介 (浜松屋幸兵衛)
田崎潤 (南郷力丸)
清水元 (閻魔の仁助)
南条新太郎 (平井新八郎)
水原浩一 (松造)
尾上栄五郎 (黒木十太夫)
伊達三郎 (賀倉井兵馬)
天野一郎 (手代太介)
志摩靖彦 (白井市右衛門)
市川謹也 (手代与九郎)
遠山金四郎 (下ッ引文吉)
浅尾奥山 (番頭佐兵衛)
スタッフ

監督 伊藤大輔
企画 高桑義生
製作 酒井箴
脚本 八尋不二
撮影 宮川一夫
美術 西岡善信
照明 中岡源権
音楽 斎藤一郎
録音 林土太郎
編集 宮田味津三



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映画; 『岩見重太郎 決戦天の橋立』1954年 渡辺邦男監督 嵐寛寿郎 月形龍之介 大河内傳次郎 東宝

2011年08月09日 | 映画





    映画; 『岩見重太郎 決戦天の橋立』





『岩見重太郎 決戦天の橋立』


★★★★★ ★★★☆☆

監督:渡辺邦男
脚本:柳川眞一
出演:嵐寛寿郎 月形龍之介 大河内傳次郎 中川晴彦 扇千景
1954年
東宝
86分
モノクロ
国許で父が広瀬軍蔵に暗殺されたことを兄の重太郎に告げるため、弟・重蔵と妹・お継は旅に出るが、重蔵は広瀬に返り討ちにあってしまいます。父の死を知った重太郎は、父の仇を討とうとするが、藩は広瀬に五百名の助太刀を出した。そして天の橋立二百五十番斬りの幕が切って落とされた。


『岩見重太郎 決戦天の橋立』を見た。

 この映画は最後、「おもしろブック」と書かれていたので家族に聴いてみると講談?から転じた漫画だと言う。

 岩見重太郎 は、台詞と固い口調にはまる。

「岩見重太郎、天誅にかけても……。」の硬質の木材のような節回しが好きで、見終わっ他その日はやたらこの口調で家族みんなに話す。

「お母さん、今日は岩見重太郎ですか?」
と、丁寧な娘のことばに、
「いかにも。拙者岩見重太郎は……」
と言った具合で、家族全員諦め顔。


『岩見重太郎 決戦天の橋立』は初っぱなから年に一度の生け贄の儀にあう村一番の美しい娘を助けるとことから始まった。

 その後二転三転。

 曽我兄弟さながらの仇討ち話も加わり、昔の仇討ちがいかに皆にこのまれヒーロー化された加賀上手く表現されている。

 内容があるとか無いとかは問題じゃない。とにかく 岩見重太郎はスカットする☆

 すごいぞ、岩見重太郎。


 昔の映画って、おもしろいなぁ~☆


  


 岩見重太郎とは

 岩見重太郎という豪傑が諸国を漫遊しながら各地で狒々や大蛇を退治し、父の仇を宮津の天橋立で討ったという伝説は、数十年前までは多くの人々に知られていたものである。現在でも天橋立には仇討の碑があり、その周辺には岩見重太郎に関連する史跡が残っている。岩見重太郎は実在の人物であったが、伝説の成立過程において、講釈師らの手により各地に残る豪傑の伝説と結びつけられた。その結果、岩見重太郎の狒々退治伝説は、全国各地に残っているのである。





 Yahoo!百科事典より ▼

岩見重太郎(いわみじゅうたろう) [ 日本大百科全書(小学館) ]
生没年不詳。桃山時代の豪傑。筑前(ちくぜん)(福岡県)小早川(こばやかわ)家の臣岩見重兵衛の子で、父の敵(かたき)広瀬軍蔵を討ったのち豊臣(とよとみ)家に仕え、1615年(元和1)の大坂夏の陣で討ち死にしたという。同じ戦で勇名を得た薄田隼人兼相(すすきだはやとかねすけ)と同一視する説もあるが信用はできない。講談や読本(よみほん)(『岩見英雄録』など)には、天橋立(あまのはしだて)で仇討(あだうち)をするまで諸国を武者修行し、ヒヒや山賊を退治する豪傑として活躍、歌舞伎(かぶき)にも扱われている。


  




キャスト・スタッフ - 岩見重太郎 決戦天の橋立

スタッフ - 岩見重太郎 決戦天の橋立

監督 渡辺邦男
脚本 柳川真一
撮影 渡辺孝
美術 西七郎
照明 田辺憲一
音楽 山田栄一
録音 八島宇一郎



キャスト(役名) - 岩見重太郎 決戦天の橋立

嵐寛寿郎 (岩見重太郎)
月形龍之介 (塙団右衛門)
大河内傳次郎 (後藤又兵衛)
中川晴彦 (岩見重蔵)
扇千景 (妹お継)
桜井勇 (下男金助)
神代錦 (淡島大夫)
桜間秀子 (桜大夫)
時雨乙和 (梅大夫)
雅章子 (早川由紀)
南郷比加利 (妹田鶴)
大谷日出夫 (偽岩見)
大日向国照 (中村式部少輔)
荒木忍 (三浦将監)
藤間林太郎 (手代木平内)
広瀬恒美 (真柄新兵衛)
阿部九洲男 (広瀬軍蔵)
雲井三郎 (大川八右衛門)
沢田清 (岡部敬助)
山室耕 (伊東亘)
寺島雄作 (庄屋)
去川みよ (女房)
芝田信 (獅子ケ谷鬼蔵)
嵐三右衛門 (北見典膳)
坊屋三郎 (女一座の裏方(三吉))



「岩見重太郎 決戦天の橋立」

作品情報 - 岩見重太郎 決戦天の橋立

製作年 1954年
製作国 日本
配給 東宝











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ムクゲとフヨウ 似てるといえば似てますが…   (6景)

2011年08月09日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.






           ムクゲとフヨウ





 似てるといえば似てますが…

 葉が違い、シベが違う

 でも、

 どちらも美しいですね☆





 ムクゲ











 フヨウ










                    2011年8月5日 雨の馬見丘陵公園にて  奈良





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