『小鍛冶』
土舞台顕彰記念/第27回篝能
桜井市民会館大ホール 入場無料
金春 康之
金春 欣三
小鍛冶 福王 知登
喜多 雅人
小笠原 匡 他
一条天皇は夢のお告げに従い、三条小鍛治宗近に御剣を打てと勅命を下す。
良い相槌が居ないのに悩んだ宗近は、神力を頼もうと氏神の稲荷明神に参詣。
美しい少年が悩みを言い当て、古今の名剣『草薙(くさなぎ)』の剣の奇跡を語り、支度して我を待てと言い置いて雲に乗って去る。
狐の姿で現れた明神の使は相槌を勤めて宝剣を打ち上げるというのが主なあらすじ。
この『小鍛冶』という曲は京都の稲荷神社や平安神宮、粟田口、伏見などといった京都になじみ深いもので、京都で生まれ育った私にとってはとても親しみを覚えた。
稲荷神社や平安神宮、粟田口にこんな面白い話があったのか・・・
稲荷神社といえば狐。
稲荷神社は京都では『おいなりさん』と呼ばれ、多くの人に親しまれている。
稲荷祭りも昔は盛大に行われ、各家庭が鯖寿司や巻き寿司(2本)、紅白の2本のかまぼこをそろえて半紙に巻いて、親戚一同に配り歩いたっけ・・・
稲荷祭りはさておき、『小鍛冶』は物語の展開が面白く、わかりやすい。
音楽と話の展開のバランス、面や百毛(?髪=赤頭)、狐のような動きの摺り足やひざの飛び上げる姿、鍛冶を打つ面白さなど心が高揚してきます。
『小鍛冶』はカブキでいえばまるで荒事(例えばカンジンチョウ)を観ているように興奮してしまいます。
言葉も少し聞き取りやすく、
「ちょうと打つ」
「ちょうと打つ」
「ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音・・・・・・」
「ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音・・・・・・」
の部分と
「天に声あり」
「天に声あれば」
「地に響く」
「地に響く」
の箇所。また
「ひと振りかざせば火の粉が消え・・・」
「ひと振りかざせば的が消え・・・」
の場面が私は今回に限っては特に好きでした。
(回を重ねるごとにかわるかもしれません・・・)
また狐の被り物をした赤面赤髪の稲荷の霊狐の動きに合わせて、小鼓が
「コーン」
と高い音で響き、まるで狐が鳴いているようの聞こえる。
素敵・・・・・・
動きも足袋のはいた足をめいっぱい丸めて、静かな動きや激しい動きの変化にも富んでいる。
稲荷の威厳のあるゆったりとした動きと きびきびとすばやい動きのバランス感が絶妙。
狐が去っていく時も、一端立ち止まり狐の仕草を二回演じてから中に入る。
なんて変化にとんだ曲なのでしょうか・・・
話が先ほどから前後し続けていますが・・・・・・
鍛冶を打つ前(中ごろ)に1.5メートル弱くらい(?)の台が、舞台の中央にが運びこまれる。
台には前・左・右に縄が張りめぐららされ、前に等間隔で9個、左右に各1個の神社によく飾られているような 『白い紙』が飾られている。
まず三条小鍛冶宗近が台の上で舞う。すると狐が現れる。
台の上には槌と剣が置かれていて、この上で三条小鍛冶宗近と霊狐が槌を持ち、互いに打つ。
リズムに合わせて激しく打つ振動で前に等間隔で9個の白い紙は左右に位に移動し、宗近や狐、観客の心の高鳴りを表すように、紙は秩序を無くす!
素晴らしい!!!
『能楽』を全く知らない私ですが、今回もあれこれと楽しめ、ますます能が好きになってしまいました。
多分カブキのようにはわかりにくい分、自分で想像力を巧みにして、自分で能や曲の世界を作り上げているせいかもしれません。
そのため能楽をよくご存知の方からすれば、初歩の初歩。おまけに間違った見解も多いことでしょう・・・・・・
決まりごとや言葉などもほとんど知らないのですが、『能楽』はかなり面白く奥の深い世界のようです。
ますます他の曲も観てみたいという気持ちが強くなった『小鍛冶』でした。
最後に……
能の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼が多々あると思われますが、お許しください。
能について 知らないことばかりで、多分かなり間違ったとんちんかんなことを書いているのではないかと感じてはいるのですが……私の場合今のところここまでしか理解できておりません。
後日読み返して 多分恥ずかしい思いをするのではないかと感じています……
忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。
どうぞ宜しくお願いいたします。