うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

プアジャパン

2006年12月11日 | ことばを巡る色色
10日ほど前に引いた風邪がなかなか抜けきらず、先週は低速飛行だった。お休みの日曜も、近場にお買い物に行った程度で終わってしまった。秋の日の怒涛の名所名跡名邸名庭めぐりも、一休止になってしまった格好。ちょっとねた切れでもあったし、毎週のお出かけだったので、燃料低下となっていたのかもしれない。内職はやっと終わったけれど、途中で発熱休憩だったので、やりきった気分がしない。と思うまもなく、もう年末。残念ながら、預金額一億ははるか遠く、「ワーキングプアⅡ」を見る。もう、景色が見えたときからどきどき。ひょっとしてあのシャッター街は、あの山並みは、わが町ではないか。・・・わが街岐阜でした。「低迷する地場産業のあおりを受けてワーキングプアが増えている街」の代表になっている。まあねえ、一昔前まではどこのおかあちゃんもミシンを踏んでいたものだ。マトメ(ボタンつけとか糸切とか)の内職もたくさんあったし、街中の用水路はプレス屋さんの流すお湯で蒸気がたっていた。今はといえば、安売りスーパーにチュンゴレンのお嬢さんたちがちょいと派手な格好して自転車に乗ってやってくる。
多分間違えているんだろうと、思うよ。付加価値のある新規展開の失敗したんだろうよ。たとえばユニクロが岐阜から出た企業だったら、違う展開があったかもしれない。たくさんの箱物に旧県知事が費やした税金を違う使い方をするべきだったんだろう。世の中が泡の時代に浮かれている間にね。
昼下がりの街にラジオとミシンの音が聞こえる前は、そう、どこからも機織の音がした。既製服は、傾いた機織の仕事からの移行だった。笠松競馬は副社長の母ちゃんにミシンを任せた既製品屋の父ちゃん社長で溢れていた。ざぶざぶと日銭が入って、柳ヶ瀬はまっすぐに歩けないほど賑わっていた。そう、そのとき母ちゃんのいうことを聞いて幾ばくかでも小銭をためておけばよかったのさ、って言うことは簡単だけれど、あれよあれよという間だったよね。
賢い者、強い者、大きい者、先を読める者、そういう人たちが、「当然の利益」を受ける世の中である。
しかし、国は、既製品屋のおじちゃんやおばちゃんに、ライフモデルのシミュレーションを示したことがあったろうか。国民年金はあなたが65歳(前は60だったね)になった時これだけしか出ないし、その上健康保険やら税金やらもこれだけ払わねばなりません。病気をしたらこれだけの預金を持っていないと、治療費が払えません。だから、60になるまでにこれだけは預金をしておいてくださいね、ってちゃんと数字を示してくれたろうか。せめてそれをしてくれれば、父ちゃんも母ちゃんも計画的に老後や病気になったときを描いたろうに。でも、多分、国もそんなこといっこも考えずにいたんだろうな。だからコロコロ税制も保険料も変えて、役に立たないとこに集まった税金やら保険料やら使ってる。そうして、今も国は若い人たちに、その数字を示さない。早く言えばいいのに。この国で暮らしていくには大きな企業の正社員になって定年まで社会保険を払い続けなければ駄目ですよ。それが出来ない人は、この国では生きていけませんよって。それはみんなみんな自己責任ですよって。私の生まれる前この国には公的保険制度なんてなかった。そんでもみんな何とか生きてこれた。まさか国はその頃とおんなじだと思ってはいないだろうね。その頃は地域共同体が強固だった。村に困ったお年寄りがいれば、おかずの一皿も持って訪ねたろう。しかし,今この国はそれを持っていない。それが「美しい」あり方であったかどうかなんて関係ない。今あるのはそれを持たない国としてのこの国の現実だけだ。弱い人には生きる場を、若い人には生きる術を、そんな簡単なことさえ損得づくのいやらしい議論の中で混ぜこぜにしている私の母国よ。
こうなったら、病院は国営にしてしまって医療費は全部無料、社会保険も源泉徴収しちゃう。なぁんて、私の策も陳腐なんだけれど。共産主義みたいだけれど。ミギとかヒダリとかいうのも辟易。アノ時代の人たちは陣営を守ることばっかしで辟易。仲間(せくとトカイウノカナ?)作りばっかしで、誰が味方で誰がよそ者か、そんなことばっかししているうちに、こんな国になってしまったんじゃないのか。革の付くとことか、民青とか、幼い私はポカーンと見ているだけだった。その人たちはちゃんと企業に勤めてそろそろ年金生活かな。
若い人よ、この国は厳しい国だ。議論に浮かれて、R⇔Lなんてしている時間はないかもしれない。遠浅と見えた浜は深みを隠し持っているかもしれない。
なんとかしなければ。なにをすればいいんだろう。

購買予定「タペストリーホワイト」「知られざる福澤諭吉」
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドーハの火 | トップ | 胡散臭い »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
義務と権利 (けんちゃん)
2006-12-11 21:43:32
権利の主張ばかりになったんだ廊下。国家組織の肥大成長と老化。これが故の苦労かも知れません。
個の時代と言われて久しいがもはや共同生活の風景は望めなくなっています。諦めている自分がいます。せめて廻りには迷惑を掛けないようにと義務の範囲を拡げたり縮めたりして様子を窺っています。
返信する
長い廊下 (家主うさと)
2006-12-11 23:23:55
出かける前に急いで書いて推敲できなかった。一個や二個は誤変換あるぞって思ってたけど、そうか、急いだ私がいけなかったんだ廊下。
社会の中で義務を果たそうと思っている人に生きづらい社会は、「国」ではなく、単なる「場」でしかない。肥大化したのはきっと企業社会で、そこで個は下部にある。壊れてしまったものを懐かしむのはノスタルジイ。そんなものはジイさんに任せねば。
問題は本当はシンプル。シンプルに考えねば。
返信する
天下り先 (けんちゃん)
2006-12-12 00:36:47
特定行政法人を作っては税金の使い道を増やす。要求ばかりする国民が規制を強化して作りやすくしているのでは!?ノスタルジイに浸れる余裕のある爺さんは天下らず辞意を表明しなくてはならぬ筈。
場もシンプルにしなくては!
返信する
岐阜 (bube)
2006-12-12 10:26:13
最近、よく、TVで、岐阜を拝見します。
そのたびに、うさとさんを思い出してます。
返信する
天の声 (家主うさと)
2006-12-12 16:23:47
日本には、天が、あまり麗しくない形であるようで。要求ばかししている?いや、偏っているんだと思う。声高な人はまるで正しいかのように、大多数かのように聞こえる。混乱している。マニュアルはない、失敗した物がその時初めて、間違っていたといわれる。それは正しい?
返信する
木の国山の国 (家主うさと)
2006-12-12 16:25:51
bubeさん。岐阜はええとこです。夏はちょっと暑いけれど、毎日がゆっくりで、便利で、鵜飼の鵜みたいなのかも知れない。
返信する

コメントを投稿