私はかつてカラオケ、マン喫は行かないという信条を持っていたが、いくらか前から、マン喫の常連になってしまった。きっかけは、無理やり浦沢直樹の「20世紀少年」を読まされたことにある。「絶対面白いから」と、1.2巻を渡され、はまってしまったわけだ。
「20世紀少年」の主人公たちは、大阪万博の頃、小学高学年。その点が共感を覚えながら読む要素になっているのかもしれない。
そうしてテーマは「正義」である。私たちは「正義」の時代だったかもしれない。こどもの頃に馴染んだものは「正義」のために身を捧げるものばかりだった。けして豊かとはいえない国の子達は、ひたすら「正義の味方」を応援しながら育ったのだ。大人になり、自分の倫理観を考える時、そのほとんどがマンガやら、テレビのヒーロー物やらから出来上がっていることに愕然とする。「それは許せん」の意味を考えると、ジャングル大帝やら、リボンの騎士やら、ジョーやらが体の中に巣食っているのに気付く。思想家とか、哲学者とかいうのなら、聞こえもよかろう。私の思想的バックグランドはサファイア姫です、とかって、ちょっとヘナヘナであるが、否定しようのない事実は事実なのである。
そして私たちは求めながら流離する。諸国流離が簡単になっている現代において、それはWEBの中かもしれないが。(流離譚については、またいつか。)
私たちは、正義と民主主義と自由と平等を教室で教えられ、マンガで読み、ヒーローから語られた世代である。時に戦後教育の失敗といわれることもあるが、捨てたもんじゃないぜ、同世代。
私は信じ続ける。
「20世紀少年」の主人公たちは、大阪万博の頃、小学高学年。その点が共感を覚えながら読む要素になっているのかもしれない。
そうしてテーマは「正義」である。私たちは「正義」の時代だったかもしれない。こどもの頃に馴染んだものは「正義」のために身を捧げるものばかりだった。けして豊かとはいえない国の子達は、ひたすら「正義の味方」を応援しながら育ったのだ。大人になり、自分の倫理観を考える時、そのほとんどがマンガやら、テレビのヒーロー物やらから出来上がっていることに愕然とする。「それは許せん」の意味を考えると、ジャングル大帝やら、リボンの騎士やら、ジョーやらが体の中に巣食っているのに気付く。思想家とか、哲学者とかいうのなら、聞こえもよかろう。私の思想的バックグランドはサファイア姫です、とかって、ちょっとヘナヘナであるが、否定しようのない事実は事実なのである。
そして私たちは求めながら流離する。諸国流離が簡単になっている現代において、それはWEBの中かもしれないが。(流離譚については、またいつか。)
私たちは、正義と民主主義と自由と平等を教室で教えられ、マンガで読み、ヒーローから語られた世代である。時に戦後教育の失敗といわれることもあるが、捨てたもんじゃないぜ、同世代。
私は信じ続ける。