うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

お大尽遊び

2005年05月16日 | 食う・着る・住む
私はだいぶ前から大人だ。仕事をしているし、家庭も家も車も持った。こどもの頃は心もとないことがたくさんあった。「誰かに頼らねばならぬ心もとなさ」というやつであろう。早く大人になりたいと思い続けた。誰か(親やら教師やら周りの大人やら)の気まぐれで生活を左右される子供なんて早くやめたいと思っていた。そうして私は大人になった。そうは言っても大人はそんなに面白いものではない。なんだかやっぱりこどもの頃の方が一つ一つの出来事が面白かったような気がしてしまうが、それがなぜなのか、大人の私はわからない。

そこで、ひとつ大人の遊びをしてみようと思った。
家庭も、家も、車も持っている大人の遊びって、どんなものだろうか...
よくはわからないが、とりあえず、「お大尽」をやってみよう。
まだ大人でなかった私が思う「お大尽」は、料亭でご飯を食べる人である。こじゃれた創作料理なんて問題外である。グルメを気取るこどもがいるところだからだ。(先日は先斗町で創作イタリアンを食べたが、「こども」だった)
「お大尽ご飯」のキーワードは「庭園」「番頭」「個室」である。
当地岐阜で「大尽遊び」をするにふさわしいところはどこだろう?私は幸せなことに食道楽の親戚を持ち「潜龍」「萬松館」は中学生の時経験済みである。また、「ひら井」は勤め先の慰安会で使ったことがある。しかし、それは「貰い飯」、やっぱり自分の懐から払う料理は経験すべきである。当然前の3つは候補である。
まず、手始めに敷居の低いところで練習してみた。「かいらん亭」である。そして、「後楽荘」「萬松館」へと、攻め入った。会社でえらいおじさんたちは、経費で食べているんだろうか!!!しかし、私は私のお金で食べる!!(と威張って言ってみるが、ランチどまり。可愛いもんだ。)仲居さんに部屋まで案内され、庭など眺める。「もそっと、ちこうよれ」「あれ、ご無体な」なんてことがあったりするんだろうかとどきどきするのも素敵だ。器もこじゃれていないとこがいい。「わかる人にはわかるのよ。あんたには私の価値がわかる?」という風情を持つ茶碗である。静かでありながら、挑戦的な器だ。(この点で創作料理屋とは大違い。えてしてケレンミだけの安いお茶碗なことが多い)お帰りはずーっと門のところでお見送りされる。
いい時代になったものです。世が世なら、私のようなものは、いくら大人になっても、こういうとこでご飯は食べられなかったでしょうに。
次のターゲットは、「ひら井」「潜龍」、そして、本丸「水琴亭」
.............ふと、考えた。お大尽でないのはいいことだ。こんなことでも日々を営む糧にできる。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする