うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

がんばれ、強いぞ、正義の味方

2005年05月19日 | 語る!
私はかつてカラオケ、マン喫は行かないという信条を持っていたが、いくらか前から、マン喫の常連になってしまった。きっかけは、無理やり浦沢直樹の「20世紀少年」を読まされたことにある。「絶対面白いから」と、1.2巻を渡され、はまってしまったわけだ。
「20世紀少年」の主人公たちは、大阪万博の頃、小学高学年。その点が共感を覚えながら読む要素になっているのかもしれない。
そうしてテーマは「正義」である。私たちは「正義」の時代だったかもしれない。こどもの頃に馴染んだものは「正義」のために身を捧げるものばかりだった。けして豊かとはいえない国の子達は、ひたすら「正義の味方」を応援しながら育ったのだ。大人になり、自分の倫理観を考える時、そのほとんどがマンガやら、テレビのヒーロー物やらから出来上がっていることに愕然とする。「それは許せん」の意味を考えると、ジャングル大帝やら、リボンの騎士やら、ジョーやらが体の中に巣食っているのに気付く。思想家とか、哲学者とかいうのなら、聞こえもよかろう。私の思想的バックグランドはサファイア姫です、とかって、ちょっとヘナヘナであるが、否定しようのない事実は事実なのである。
そして私たちは求めながら流離する。諸国流離が簡単になっている現代において、それはWEBの中かもしれないが。(流離譚については、またいつか。)


私たちは、正義と民主主義と自由と平等を教室で教えられ、マンガで読み、ヒーローから語られた世代である。時に戦後教育の失敗といわれることもあるが、捨てたもんじゃないぜ、同世代。
私は信じ続ける。
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2 コメント

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空白の世代 (猫わん)
2005-05-20 22:23:37
大阪万博のころ小学高学年・・・。

そんな僕らの世代の代名詞が見当たりません。

団塊の世代には、学生運動とか、フォークソング集会など、時代を象徴するシンボルがあります。

また、かつて新人類などと呼ばれた若者たちは、無節操、無感動など、それなりに世代の個性として認知されていました。

僕らの世代の代名詞は、ありません。

いいじゃない。望むところです。そんなレッテルは、いりません。

♪空を越えて、ラララ、星の彼方♪

僕らは世代の隙間に生まれた流離い人です。



(世代という言葉は誤用だったかもしれません。他に思いつかなかったので。。。)
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20世紀少年 (うさと)
2005-05-21 10:09:36
こんにちは、猫わんさん。そうですよね。この時代の人たちの呼び名って考えてみるとないですよね。あえて言えば、「20世紀少年」なのかもしれません。団塊の人たちは濃いし、新人類は薄いって思えてしまいますもんね。昔に浸るのは好きではないけど、自分たちの時代性は、昔抜きには考えられませんよね。また、どうぞ、語りにおいでください。お待ちしております。
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