乗鞍岳への自転車道

40歳で突如、自転車乗りになろうと発心して早15年。CAAD9少佐と畳平へ駆け上がる日はくるのでしょうか。。。(汗)

今さら明かす、乗鞍直前の大敗退

2007年06月17日 | 自転車旅

みなさま、乗鞍スカイライン・サイクルヒルクライムの一件では、数々のお励まし、本当にありがとうございました。

実を申しますと……白状させていただきますと……乗鞍レースの直前、わたくしは、非常に先行き不安な、大失敗をやらかしていたのでございます。。。

そのことを、今日までブログで告白しなかったのは、その行動が、乗鞍レース失敗を予感させる、不吉な出来事に他ならなかったからでございまして……

レースを無事に終えることができた今、はじめて、この忌まわしい事件の全容を明かすことができるわけなのでございます。

その忌まわしい事件とは……

男がすなる鶴峠というものを、女もしてみむとて、するなり

さようでございます。ご想像のとおりでございます。わたくしは無謀にも、乗鞍直前のトレーニングに、上野原の鶴峠越えをチョイスしてしまったのでございます。

鶴峠といえば、実業団の方とか、 YOSHIDAXさまとか、はちみつさまとか……自転車乗りの強豪、お強い方々のトレーニングコースとして、有名なところでございます。

そのような過酷なルート、通常であれば、わたくしのような者が近づく場所ではなかったのでございます。

しかし……乗鞍岳へのヒルクライムレースという、常識を超えたイベントが目前に立ちはだかっていたわたくしは、とにかく、近場で最もキツイとこへ登らなくてはいけないと、かように奇妙な強迫観念に襲われていたのでございました。

とにかく、ロードレーサーの修験道、鶴峠と風張峠を、ダブルで攻略するのだ! と。。。

1_4

わたくしの判断ミスは、家を出たときから発生しておりました。

たぶん、わたくしのような者が鶴峠に挑むとなったら、中央本線の上野原駅までは、輪行すべきだったのでございます。

ところが、わたくしは、輪行という手段を使わずに、自宅からいきなり、走りはじめてしまったのでした。しかも、輪行袋を持たず、とにかく食糧を山ほど持って出発したのでございます。その食糧というのが、特大おにぎり3コ。わたくしは手が大きいのでございますから、わたくしのにぎるおにぎりは、相当に大きいのでございます。オレンジマートわかばやしのジャンボおにぎりの1.5倍はあろうかという勢いです。それを、3コも持ったものですから、それだけでわたくしのザックは、ズッシリと重くなってしまったのでした。

よく考えてみますれば、食料など、コンビニ等で補給することができるのですから、なにも家から大量に持っていかなくてもよかったのでございます。

それよりも、イザというときのために、輪行袋を持つべきだったのでございました。この失敗は、後々、悔やんでも悔やみきれないものとなるのでございます。。。

さて、娘の登校とほぼ同時刻に自宅を出たわたくし。鶴峠へのアプローチは、JR中央本線上野原駅付近でございますから、高尾から甲州街道を西へ向かえばよいのでございます。

しかし、大型トラックの多い甲州街道で、大垂水峠を越えることに一抹の不安を抱いたわたくし。なにを思ったか、城山湖に向かって南下してしまったのでございました。城山湖経由で津久井湖に下り、津久井湖から相模湖へと移動して、甲州街道へ合流するというプランでございました。これがいけませんでした。。。

大垂水峠越えは、たしかにトラックが多く、ストレスではございますが、高尾から相模湖へ抜けるには、最短ルートなのでございます。それを城山湖経由で行ったものですから、相模湖にとりつくまでに、かなりの体力をロスしてしまい、相模湖付近でもうヘトヘト。

わたくしは観念して、湖畔の公園でひと休みして、特大おにぎりを1コ食べたのでありました。(残りのおにぎりは、2コでございます。)

おにぎりは、荷物から姿を消しましたが、わたくしのお腹にこれまた、ずっしりと存在感を誇示しておりました。もたれております! メチャクチャ胃もたれ状態でございます!

この時点で、かなり意気消沈してしまったわたくし。ふだんなら、和田峠でも越えて自宅へもどるところでございましたが、なにしろ、目前に乗鞍岳のレースが迫っているのでございますから、ここでくじけるわけには参りません。わたくしは、先へと進むことにいたしました。

相模湖から、甲州街道沿いに上野原を目指します。この付近は、普段から走りなれているエリアですから、道の様子もわかっておりました。ところが!

わたくしったら、なにを思ったか、上野原駅前を通過してしまったのでございます!

そして、ひとつ先の四方津駅まで走ってしまったのでございました。

四方津といえば、談合坂SAに出かけたときに通った駅ですから、記憶に新しいところでございます。コモアしおつの看板を見て、わたくしは初めて、上野原を通り過ぎてしまったことに気がついたのでありました。

しぶしぶ、来た道をもどり、上野原市役所のところを左折して、県道33号線へと入ったのでありました。

最初のうちは、クルマの往来も多少ありましたが、しだいに、民家もまばらになり、山間の一本道となってまいりました。

上野原の町は遠くなり、まわり中、山ばかりです。

綱原の集落のところで、甲武トンネル方面との分岐に行き当たりました。

ここで、甲武トンネル方面へと進めば、本日のコースをショートカットして、五日市方面へ抜けることができるのです。

しかし! わたくしは、鶴峠をめざし、左折するのでありました。

県道18号・上野原丹波山線でございます。

標識には、「丹波山へ」と、気の遠くなるような地名が書かれているのでございました。

丹波山村といったら、奥多摩の最奥でございます。檜原村の比ではございません(ローカルな話題で申し訳ございません)。

ですが、走っていればいつか、着く! そう心に念じて、わたくしはひたすらにペダルをこぐのでございました。

す、すごい山奥になってまいりました。集落と集落の間隔が、非常に離れて感じられます。

ときおり、オートーバイのツーリングの人が、勢いよく追い抜いていくくらいで、他には、人ひとり出会いません。

このような山奥の場合、人に合うのは、かえって怖いと申しましょうか、オートバイの人に対しても、わたくしは、過剰に警戒心を抱いてしまうのでありました。

一度、わたくしを追い抜いたオートバイの人が、数百メートル先で、なぜか停止したのでございますが、そのときはもう、恐怖と緊張のピークでございます。まさか……犯罪っぽいことになってしまうのではないかと、一瞬、いやな予感が脳裏をよぎったのでございます。

わたくしは貧乏なのでございますからして、あまり現金は持ち歩きませんけれど、そんなこちらの懐具合まで先方が知るよしもありません。もしかしたら、お金めあてにナイフで刺されて、ガードレール下の谷底に落とされてしまうかもしれないと、わたくしは日常的にはめったに遭遇することのない恐怖心におびえるのでございました。

ですが、結局のところ、老婆心でございました。そのバイク乗りのお兄さんは、しばらく停止していた後、クルリと向きを変えて、Uターンして走り去ってしまったのでございます。

そのときのわたくしの安堵感たるや……心底、ほっとしたのでございました。

安心しつつ、引き続き、坂道を上ってまいります。

標高があがるとともに、道路わきの植生が、なんとなく高原っぽい感じに変わってまいりました。道は、よく整備されて、舗装の状態も上々です。心細い感じさえなかったら、とてもよいトレーニングコースには違いありません。

少佐どののトップチューブに、ポタポタと汗のしずくを落としながらがんばっていると、

とうとう、鶴峠に到着することができました。

バス停があり、「鶴峠」と書かれています。

長い道のりでございました~! 疲れました~!

わたくしは道端に腰を下ろして、2つ目のおにぎりを食べたのでございました。(残りはいよいよ、1コでございます。)

さて、鶴峠からの下り坂は、思ったよりも急勾配。臆病者のわたくしは、ブレーキたこにぎりで、必死の形相です。

あっという間に高度を下げ、いかにも奥多摩らしいスギ林の中の道を走り下ります。

途中、小菅村と丹波山村を分ける分岐に行き当たりましたので、少しでも残りの距離を短くするために、丹波山方面へ右折。白沢川にそってどんどん下ってまいりますと、白沢川と小菅川が合流するところまでやってまいりました。

ここで、国道139号線に合流します。

奥多摩湖に向かってゆるやかに国道を走っていきますと、玉川キャンプ場という看板がふと、目に入りました。

「玉川キャンプ場」

このキャンプ場に、わたくしは、一度だけ遊びにきたことがございます。

娘が1歳くらいのときでした。

このころ、元夫はフライキャスティングに夢中になっていて、わたくしたち夫婦は、小さな娘を連れて、よく週末にオートキャンプを楽しんだのでございました。

そのような時もあったというのに……

「玉川キャンプ場」の看板ひとつで、わたくしの心には、さまざまな葛藤がうずまくのでございました。ほんとうに……考えてもしかたのないことばかりが、次々と頭に浮かんでは消え、わたくしの胸はザワザワと波立つのでございました。

やがて、奥多摩湖のほとりまでやってまいりました。

三頭橋でございます。

ここから、奥多摩周遊道路のヒルクライムが始まるのでございます。

わたくしは、とうとう、3つ目のおにぎりを食べつくしました。

そして、風張峠にむかって、ペダルを踏み始めたのでございました。

しかし、スタート直後から、わたくしは体の異変を感じておりました。

なにやら、体中がクタクタとしてしまって、クランクをまわす足に力が入らないのでした。呼吸はそれほど苦しくはありません。心拍モニターも160前後を推移しています。

それなのに……

なんだか、力の入れ方がわからなくなってしまったような、もどかしい感じでございます。

スピードがどんどん落ちてきて、時速10kmを切ってしまいそうなほどでございました。

地図を思い浮かべ、わたくしは顔面蒼白になりました。

まだ、風張峠まですら至っていないのでございます。全行程の半分近くが残っているといっても言いすぎではありません。ここでこんなにへたばっていては、陽のあるうちに高尾に戻れなくなってしまいます。

ああ、輪行袋さえあれば、武蔵五日市の駅から、輪行にスイッチすることもできましたのに……

わたくし、おにぎりにばかり気をとられて、輪行袋を持参せずに出てきてしまったのでございます~。悔やんでも、悔やみきれないとは、このことでございます~。

(と、とにかく、風張峠を越えるしかない!)

わたくしは必死に自分に言い聞かせるのでした。しかし、あまりにスピードが遅くて、ハンドルがフラフラしてしまい、気を抜くと、パタリと横倒しに倒れてしまいそうになるのです。

(どうして、こんなに遅いのかしら……)

風張峠への登り坂は、そこそこ急ではありますが、和田峠のような激坂ではないのですから、これほどまでにスピードが落ちるのはおかしいのです。

ヒィヒィいいながら、必死にCAAD9少佐と格闘しているわたくしをよそに、オートバイのお兄さんたちが、ものすごい騒音と排気ガスをぶちまけながら、周遊道路を何度も往復するのでありました。

(ンも~! こっちは、息があがって苦しいんだから、排気ガスを撒き散らすのはよせ~!)

そんな気分でございます。

わたくしは、口の中でモゴモゴと「チクショウ!」とか「ムカツク~!」とか、さまざまに口汚い悪態をつきながら、ひたすら風張峠を目指すのでございました。

しかし、いよいよ力が入らなくなり、よろけて、思わず足をついてしまいました。

もう、少しも力が入りません。わたくしは、泣きそうになりながら、CAAD9少佐どのを押しながら歩きました。

山は斜光線に輝きはじめています。もうすぐ、日が暮れます。ああ、どうしたらよろしいのでしょう。このような奥多摩の山奥で、自転車を押して歩いているなんて!

もうダメです。もう限界です。

わたくしはついに、最終手段に打って出ました。携帯電話を取り出すと、武蔵五日市に住んでいる友達に電話をかけたのでございます。

「お願い! 風張峠まで迎えに来て! お願い~! 一生のお願い~!」

ついに、一生のお願いまで使ってしまいました。

わたくしのこの、身勝手な懇願に対して、友人は迷惑千万といった様子。そりゃ、そうですわね。夕食の準備で忙しい時に、いきなり電話してきて「風張峠まで迎えに来て」なんて、いくらなんでも、図々しいのでございます。

大人としての自覚が少しでもあったら、こんな自分勝手な発言、許されないのでございます。

ですが、こちとら、一生のお願い使ってますから。事態を重くみた友人は、しぶしぶ、クルマで迎えにきてくれたのでした。

う、うれしい~! ありがとう~! 持つべきものは、五日市の友でございます!

わたくしは、友人のクルマに乗り込むやいなや、疲労でグーグー眠ってしまいました。

そして、ふと気がつけば、自宅マンション前。風張峠から、ずっと眠っていたのでございました。

友達は……といいますと、もうプンプンです。

口もきかずに、CAAD9少佐を下ろして、そのまま走り去ってしまったのでした。

ああ……極端に憤慨させてしまったのでございました。申し訳ないのでございます。

ある意味、友人の反応は正しいのでございます。悪いのは、わたくしなのでございます。

このように、五日市の友人に多大な迷惑をかけて、わたくしの鶴峠&風張峠越えはポッキリと折れたのでございました。

そして、その3日後に、乗鞍へ出発したのでございますから!

わたくしの不安が大きかったのは、当然といえば当然だったのでございました。

ええ、ほんとうに……乗鞍を完走できたのは、返す返すも、みなさまのおかげでござます。

わたくしなど、個人のパワーとしては、鶴峠&風張峠すら、制覇できずに、くじけてしまうありさまなのでございます。。。

今日までナイショにしておりましたが、乗鞍レースの4日前に、実にこのような失態をやらかしていたわたくし。。。みなさまのお力をお借りして、なんとか完走はしたものの、まだまだ道のりは遠い……そう思う今日このごろでございます。。。