オンナは どこ から 老けはじめるのか ?

2013年11月30日 | 日記


このところ愚痴ばかり書いているので
趣向を変えて

20代の頃、私の下着は、繊細で 華奢 でふわふわしたものが多かった
女友達との旅行は、下着と基礎化粧品とメイク用品の品評会のようだった

バブルだったので、それはまぁ高級な化粧品ばかり使っていて、それを交換して使い心地や発色を確かめたりした

もっと盛り上がるのは、ランジェリーだった
その時々の彼氏の影響もあり
「きゃ~なにそれ~そういうの好みなんだ
 と盛り上がる、盛り上がる


結婚後もそれなりに、機能よりもデザインで選んでいたが、ある日転機が訪れた


結婚して半年くらいたった頃、私は産婦人科で緊急入院、緊急手術をしなくてはならなくなった

診察のつもりだった私は、バッグ一つで来ていたので、一度帰りたいと行ったが、その道中が危険と言われ、私は旦那と両親に電話をした

術前検査が終わった頃、両親がきたが、旦那が来ない
待っていられないということで、両親が手術同意書にサインをした

私の左の卵巣にはチョコレートのような 膿腫がたまっていて、小さい穴が二つ開いていた     卵巣破裂だった

術後、ドクターは言った「何で救急車を呼ばなかったんですか。痛みでショック死することもあるんです」
通りで痛かったはずである
私は よくよく 我慢強い

翌朝、麻酔で朦朧とした頭で、私は家から持ってきて欲しいものを旦那に伝えた

その中には当然下着の着替えが入っていた

旦那が持ってきたものは、旦那が見慣れた ランジェリーだった
オンナの下着には用途別があることを知らなかったのだ
私に必要なのは、用のものだった

3日後、導尿カテーテルが外され、小さい下着をつけたが、これが消毒と出血量を確認する看護婦さんをいらつかせた

「もっとしっかりしたものを履きなさい」毎回違う看護婦さんに注意された
母に頼んで「しっかりしたパンツ」を買ってきてもらった

このあと、私はいつ入院してもいいよう
「しっかりパンツ」を愛用するようになった

息子が幼稚園に入った後、いくらか自分の時間が持てるようになり
久しぶりに読書をしようと思い立った

本棚から出したのは、あの頃、私が人生の師匠と呼んでいた、林真理子さんのエッセイで、以前は気にならなかった、ある一文に衝撃をうけた。


  
     「オンナは下着から年を取る」


  ヤダ アタシッタラ オバパン シカ モッテナイシ

これ以上老けたくなかった私は、心を入れ替え、早速買い換えた

褒めてくれたのは息子だけだった
一緒にお風呂に入った時、息子は私の下着を「かわいい」とよく褒めてくれた
息子のお気に入りはアニマル柄で
「かあちゃんのパンツ カッケー」
アニマル柄が増えたのは言うまでもない


そして、今、働くお母さんになった私は

夏は  ドライインナー
冬は  ヒートテック
春秋  しっかり になってしまった


最近また、「オンナは下着から年をとる」を思い出した

う~ん もう少し オサレなものを買うか・・・・
いんや あせもできるし   冷えるの嫌だし


すてきな ランジェリーに憧れつつ
尿漏れパンツも気になる


どっちも買ったら、尿漏れパンツの上にヒーテックをはくのは間違いない
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1年   薄皮

2013年11月30日 | 日記


旦那が再就職して1年過ぎた
製造系の会社なので
土曜は通常稼動
納期に間に合いそうにないときは
日曜も出勤

祝日なし、お盆休みなし

それでも、きちんと働いている
目に見える物を作っているので
数が足りなければ、作るしかない
多少の愚痴はでるが、以前の業種にいたときと全然違う



エンジニアだった頃
目に見えないモノを作っていた
技術の進歩が加速していく中で
付いていくための勉強にも時間がかかるようになる40代
付いていかないと自分の椅子がなくなる
厳しい世界だった

薄皮を一枚、一枚一枚 はぐように すこしずつ穏やかになってきた
まだ時々、深酒をして 突然切れて
私に対する執拗な口撃をする
何年も前にさかのぼって・・・・
そして感情が高ぶると、メソメソ泣き出す

ひたすら、うなずき、誤り続ける私
これでコトが納まれば、我慢するしかない
一言でも反論すると、途方もない議論、喧嘩になり
私の心がもたなくなるので
    
「酔っているから」と 我慢する


酒が飲めない私は、酔った人の気持ちがわからない
怒り上戸・泣き上戸
だと思って その時間をやり過ごす
メソメソしながら2階あがる旦那

その後
私の我慢が発散される
過呼吸発作


5年間(うち3年間仕事が少ない自営業)
自分の社会的地位がなかった

給与は安いが 役員という肩書きを頂き
社長とともに、営業努力をしていけば
業績上昇の結果が出るかもしれないという 希望がある

50歳を前にしての 転職 業種変え
これが最後だと信じたい


でも、旦那はサイクルは3、4年で
会社全体の様子がわかってくると
おかしくなってくる

製造は 厳しい業種で、倒産も多い
来年同じ会社にいられたらラッキー


なんて、軽くいえない
50歳前である

どうか、来年も会社にいられますように

ちなみに 家業も多少ですが 継続しており
若干の収入もあるようです

一家の家計管理を渡しているので
私は私の給与だけで、日々の雑費をまかなっている

足りないときは、くれるのだが

悔しいので、「ください」が言えない

私も、頑固である










アレルギー性鼻炎のうららん
鼻をかむことができないので
くしゃみで 家中に 鼻水を飛ばして
リビングが 鼻水のしみだらけに・・・・・

乾いた鼻水は 水ぶきでは 落ちないので
秘密兵器を注文したのよ


コメント (8)
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