見つけた 世に出ていた 2

2019年01月14日 | 半径3キロメートル以外

ネットにはたくさん彼の情報がでていた
彼の動画で、40年ぶりに顔見て、声をきいた

よくわからなかった
そもそも、顔をおぼえていなかった

でも、穏やかで、優しい笑顔だった
そして、とても50代には見えない若さだった


彼は、あちこちでインタビューを受けていて、その内容がネットに上がっていた




彼は幼い頃から、恐ろしいほどの虐待をうけていた

太っていた彼を、母は「醜い 豚」「お前は最初からいらなかった」と繰り返しののしっていた

父は、彼を縛り上げ、宙吊りにして 殴り、蹴っていた

離婚したあと、母の虐待は凄惨になっていった

刃物で刺していた




「僕は首に刺さった包丁の感触を忘れることができない」



彼は父の家、母の家、施設をたらい回しにされていた

「病気で1年入院していた」

本当は施設で暮らしていた

施設をでて、母の家でくらしていた

その頃、私達は出会っていた

母親が彼にあてがった部屋は、ベランダの物置だった


あんなに楽しくおしゃべりをし、キャッキャッと笑ったあと
彼が帰るところは、物置だった


家に居場所のない少年少女は、寂しさを紛らわすため
深夜、繁華街を徘徊する傾向にある

ナンパもストリップも深夜徘徊だったのではないか





彼は、同性愛というもう一つの深刻な悩みを抱えていた



バイト先で彼を「気持ち悪い」と言っていた人もいた
私達が彼を好きにならなかったはずだ

同性同士でおしゃべりをする「女子会」のような感じだった
異性として意識していなかったのかもしれない



今のように、簡単に情報が入らない時代
あの頃の
彼の気持ちを推し量ることはできない




私は、高校時代の彼の様子がわかるような言葉を探した

小さなネオンの一つでもいい
彼の灯りになっていないかと、探した



なかった



「物置は寒くて熱くて、いつも意識が朦朧としていてほとんど記憶がないんです」

当たり前だ。私はベランダの物置で暮らした経験がない



彼は、いつも清潔で、おしゃれだった
怪我をしている彼の記憶はない
あったかもしれないが、覚えていない



ネットでその後の彼の様子を知った

高校をやめて、母の家をでて、自立した
苦労して大学も卒業し、誰でも知っている企業に就職していた


バイト先での彼のあだ名は「うた」だった
私達もそう呼んでいた

彼は私達の下の名前に「おねぇさま」をつけて呼んでいた



10年まえ 私は、自分では解決できない深刻な問題を抱えた
他人には言えない、胸の中のどろどろしたものを吐き出したくて
ネットに頼り、gooとアメーバに登録した

アメーバは人気ブログの書籍化に力を入れている

自分のホームに人気ブログを紹介する枠があった
ある日、何気なく、そこをクリックした


あるゲイ夫婦の日常を描いた、コミックブログだった
ゲイの結婚生活には興味はなかった

でも、ほのぼのとした優しいタッチの絵と、互いを思いやる繊細な心の動き
に惹かれ、しばらく読んでいた

登場人物は「うた と ツレちゃん」

描いているのは「うた」だった

コミックの「うた」とバイトの「うた」
同一人物だとは思わなかった

そもそも「バイトのうた」の存在を忘れていた




あるインタビューで彼は答えていた

「僕の人生、プラスとマイナスがあって、今、ようやく黒字になってきたかな、と思います」


これを読んで、私の胸のざわつきが少し収まった








彼の本と映画のタイトル


「母さんがどんなに僕をきらいでも」









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見つけた 世に出ていた

2019年01月13日 | 半径3キロメートル以外
高校生のころ、バイトを少ししていた

小中学校で、仲が良かったH美に「一人だと怖いから、一緒にバイトしない」
と誘われて、それに乗った

H美は、美容学校の学費を貯めたい と、言っていた

二人で、某所でバイトを始めた

今のように、ギチギチに固められていなかったり、社員さんたちが
緩かったので、のんびり働くことができた


そこに 彼がいた

彼は、高校生ではなかった

「病気で1年入院していて、受験に間に合わなかった。1年遅れで高校受験をする」と言っていた


私は高2で、彼は、本来なら高1の年齢だった

彼は、背が高く、イケメンで、おしゃべりで、会話がうまく、優しかった

そして、言葉で表現することができない、なんか不思議な雰囲気をもっていた

バイト先での彼の人柄の評価は、2つに別れた

「面白い奴」「気持ち悪い奴」

私達は、彼と波長があった

よく、バッグヤードで、休憩室で、従業員通用門の外でおしゃべりをした

盛り上がると、そのまま喫茶店に行った

なんで、あんなにおしゃべりが尽きなかったのか、

一体何を話していたのか思い出せない


彼はものまねがうまかった

よく社員さんのものまねをして、笑わせてくれた

シフト制で働いていたので、毎日顔を合わせていたわけではなかった

私は週3日、夕方から3時間働いていた

H美はもっと多かったような気がする


彼は朝から働いていたので、上がる時間が早いときもあった

私らが、タイムカードを押して外にでると、彼が待っていることもあった

そして、またおしゃべり

彼はかっこよかった
でも、不思議と私達は彼に恋心いだくことはなかった


バイト先には、男女問わず高校生がたくさんいた
でも、浮いた話はなかった

彼とのおしゃべりで、記憶に残っていることがいくつかあった

両親は離婚していて、母とくらしている



10代
大人の世界の話で盛り上がることもあった(猥談ね)

そんなとき、彼が経験者だと、つい口を滑らせた

「えっ 彼女いるんだ」

「いない。渋谷を歩いていたら、OLさんにナンパされて・・・」


真っ赤になって、ボソボソと

本当にそういうことってあるんだ・・・

私は素朴な高校生だった



ある、仕事が薄い日
バックヤードで、彼は不思議なダンスを踊って見せてくれた

習ったことはないと言っていたが、とても上手だった

でも、変だった

ダンスの合間に「はぁ~どっこしょ・どっこいしょ」と自分で合いの手をいれて、腰を前後に振っていた

「なにそれ~」

「ストリップの踊り」


え’’っ・・・・・


「ストリップ見に行くの?」

「時々行く。面白いよ」

世の中に、そういう場所があるということは、知識として知っていたし、
どういうところかも、なんとなく知っていた
でも、せいぜい「ちょっとだけよ~」の加トちゃんレベル

リアル感が全く無く、地球から月を眺めるような距離感でしかなかった

そのお月さまが、目の前に迫って見えた

「おもしろいの?」

「うん。おじさんのじゃんけんが特に面白い」

そして、目を血走らせ、青筋をたて、鬼の形相で、おじさんのじゃんけんのマネをしてくれた

「なんで、じゃんけんにムキになるの?」


「じゃんけんで勝った人は、ステージに上がれるの。そこでね・・・」

彼は言葉を濁して、赤くなった

言わなくてもわかった


16歳の彼は、大人の世界に詳しかった


そして、おしゃれだった
コムサデモードが好きだと言っていた

私がコムサデモードを理解するのは大学生になってからだった


やがて彼は、高校生になり、私達は高3になった
彼と顔を合わせる機会が減っていった



彼は、演劇をやりたい と言っていた

下北沢系の劇団に入った とも聞いた

いつのまにか、彼はバイトをやめた

私は夏休みが終わってから、バイトをやめ、受験体制に入った

H美は、そのまま バイトを続け、美容師の学校に行った


彼の連絡先は知らなかった

バイトの時間だけの仲良しという 暗黙のルールのようなものがあった


家が近かったので、H美との交流はあった

同じ駅を利用していたので、偶然会い、そのまま、喫茶店でおしゃべりをすることもあった

話題はいつも、彼のことだった


20代になり、不思議な雰囲気を持つ、彼をもう少し理解できるように
なっていた

「劇団に入ったよね。いつかテレビに出てきそうなきがする」
「うん。あの不思議な空気感は 芸能人オーラなのかも」


さらに、ときが過ぎ、H美も私も、結婚して、住まいを変えた

年賀状だけの、関わりになった

H美はメールアドレスを年賀状に手書きしてくれた
パソコンから、携帯、スマホ

お互いにアドレスが変わるたびに、年賀状に手書きをした

しかし、互いにメールをすることはなく

30年経ってしまった


先週、ある朝 突然 H美からメールがきた


「お久しぶり」とかいう前ふりもなく、直球できた


「彼を、見つけた 新聞の2面に出ていた」
その新聞はうちはない

私も直球で返した

「フルネームわかる?」

スマホの音声入力で検索した

彼の名前がたくさん出てきた

ウィキペディアにもあった
映画の宣伝もあった
書籍の宣伝もあった


彼は 世に出ていた

そして、私達は

この年まで、死なず、殺されずにいたことが不思議に思えるくらい
辛い人生を歩み、今はとても幸せなっていることを知った






長いので

続きます



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ご挨拶と抱負

2019年01月06日 | 半径3キロメートル以外



遅れてしまいましたが
新年のご挨拶をさせていただきます


フルタイム勤務になってから、更新が思うようにできなかったり
皆様のブログも読み逃げが多くなり、コメントを入れることができないこと
が多くなってしまいました




年末は私の実家に
元日は旦那の実家に行きました

義父さん
秋が深まった頃、退院しました
正直、歩けるようになるとは思っていませんでした


介護保険の力を借りて、トイレの改装や手すりをつけ、ベッドも借りました

ただ、残念なことに腫瘍が見つかりました

医師から「私だったら治療はしません。年齢的にも進行は遅いので」

というお話があったそうです




居間にベッドをおいているので、座る場所もなく
小一時間ほどの滞在になりました


その後
レイトショーで
「ボヘミアン・ラプソディー」を三人で観ました

父ちゃんにとって、青春で

息子は息子で「クィーン」の音楽を聞いていたり
ドはまりしている友達から、アレコレのエピソードを聞いていたようでした

結構詳しかった



音楽を聞く習慣がない私の場合


どの曲も さわり だけ聞いたことがある程度でした
なんかのコマーシャルソングとか・・・

息子が幼児の頃、NHKの子供番組「ハッチポッチステーション」を
見せていたので、この番組で聞きかじった曲もあり


「ああ なるほど そういう音楽番組だったのね」

今更ながらの気付きでした



最後に三人で観た映画はハリーポッターの最終話だったので、数年前の出来事です

だから、この時期に、この映画を三人で見ることができたことが嬉しかったです

息子の年齢を考えても、3人映画は最後のような気がします 
(個人的にも、映画館で観たのはハリー・ポッターが最後でした)




「ボヘミアン・ラプソディー」の感想がかけるほど、私は音楽に詳しくないの割愛しますが、猫をたくさん飼っていたことが印象的でした






さて
今年も金柑が豊作でした






そして
私の今年度の目標は・・・・















石原さとみ
に、なることです



チコちゃんのように
お怒りのコメントお待ちしております


コメント (6)
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