ネットにはたくさん彼の情報がでていた
彼の動画で、40年ぶりに顔見て、声をきいた
よくわからなかった
そもそも、顔をおぼえていなかった
でも、穏やかで、優しい笑顔だった
そして、とても50代には見えない若さだった
彼は、あちこちでインタビューを受けていて、その内容がネットに上がっていた
彼は幼い頃から、恐ろしいほどの虐待をうけていた
太っていた彼を、母は「醜い 豚」「お前は最初からいらなかった」と繰り返しののしっていた
父は、彼を縛り上げ、宙吊りにして 殴り、蹴っていた
離婚したあと、母の虐待は凄惨になっていった
刃物で刺していた
「僕は首に刺さった包丁の感触を忘れることができない」
彼は父の家、母の家、施設をたらい回しにされていた
「病気で1年入院していた」
本当は施設で暮らしていた
施設をでて、母の家でくらしていた
その頃、私達は出会っていた
母親が彼にあてがった部屋は、ベランダの物置だった
あんなに楽しくおしゃべりをし、キャッキャッと笑ったあと
彼が帰るところは、物置だった
家に居場所のない少年少女は、寂しさを紛らわすため
深夜、繁華街を徘徊する傾向にある
ナンパもストリップも深夜徘徊だったのではないか
彼は、同性愛というもう一つの深刻な悩みを抱えていた
バイト先で彼を「気持ち悪い」と言っていた人もいた
私達が彼を好きにならなかったはずだ
同性同士でおしゃべりをする「女子会」のような感じだった
異性として意識していなかったのかもしれない
今のように、簡単に情報が入らない時代
あの頃の
彼の気持ちを推し量ることはできない
私は、高校時代の彼の様子がわかるような言葉を探した
小さなネオンの一つでもいい
彼の灯りになっていないかと、探した
なかった
「物置は寒くて熱くて、いつも意識が朦朧としていてほとんど記憶がないんです」
当たり前だ。私はベランダの物置で暮らした経験がない
彼は、いつも清潔で、おしゃれだった
怪我をしている彼の記憶はない
あったかもしれないが、覚えていない
ネットでその後の彼の様子を知った
高校をやめて、母の家をでて、自立した
苦労して大学も卒業し、誰でも知っている企業に就職していた
バイト先での彼のあだ名は「うた」だった
私達もそう呼んでいた
彼は私達の下の名前に「おねぇさま」をつけて呼んでいた
10年まえ 私は、自分では解決できない深刻な問題を抱えた
他人には言えない、胸の中のどろどろしたものを吐き出したくて
ネットに頼り、gooとアメーバに登録した
アメーバは人気ブログの書籍化に力を入れている
自分のホームに人気ブログを紹介する枠があった
ある日、何気なく、そこをクリックした
あるゲイ夫婦の日常を描いた、コミックブログだった
ゲイの結婚生活には興味はなかった
でも、ほのぼのとした優しいタッチの絵と、互いを思いやる繊細な心の動き
に惹かれ、しばらく読んでいた
登場人物は「うた と ツレちゃん」
描いているのは「うた」だった
コミックの「うた」とバイトの「うた」
同一人物だとは思わなかった
そもそも「バイトのうた」の存在を忘れていた
あるインタビューで彼は答えていた
「僕の人生、プラスとマイナスがあって、今、ようやく黒字になってきたかな、と思います」
これを読んで、私の胸のざわつきが少し収まった
彼の本と映画のタイトル
「母さんがどんなに僕をきらいでも」