49歳で卒業を決めました

2016年05月29日 | 日記

月曜から日曜まで

同じ様な服装をしています

土日だけ、ジャージははかない

無駄毛の処理が有効なときだけ、スカート (2枚しかない)きるときあります

 

夏場は、ずっと ハーフパンツを着ていました

膝が隠れる程度の長さ

すね毛処理 していました

 

この ハーフパンツ 49歳の夏で 卒業しました

その前から気になつていたのですが

 

足に出る、青紫の 血管の渦のような あざ

静脈瘤がねぇ・・・・(ため息)

 

美容皮膚科に行けば取れるらしいけど

 

すね毛剃らなければ、目立たないのですが、剃ると、目立つ

同世代で、同じような足を見て、

 

50歳の夏から

仕事は、夏用ロングのジャージ

家でも、短いものは、やめました

 

寝るときだけ、短パンとか、リラコです

 

静脈瘤 のセルフケア

検索はするものの、面倒なので

自然な劣化は受け入れて

美しくないものを隠します

 

すね毛処理は 続行します

 

 

 

 

 

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大人の工作

2016年05月21日 | 日記

ずっと考えていた

ずっと、ずっと考えていた

ある日、ひらめいた

すんごくいい感じだと思った

早速、アマゾンをクリックした

届いた

でも、ちょっと動けなくなった

届いたものは放置してあった

 

ようやく、やる気が出てきた

簡単 簡単 自分でできると思っていた

だって、ほんとに 簡単

 

でも、ひとつだけ自信がないことがあった

旦那に頼んだ

「ここに小さい穴あけてほしんだけど・・・・」

「いいよ。でも、開けたいところ ここです って 印つけてくれ」

「え‘‘ それが今回の工作で一番難しいとこなんだよ。ここです って 決める勇気ない」

「しょうがね~な。見せてみ」

旦那にアマゾン購入品を見せたら、がぜん やる気を出してきた

というか、取られてしまった

 吞んでないので、夕飯の後、時間を持て余している

 

それから、60分くらい

旦那は、いつも通り、

工具がねぇ・作業台がねぇ・暗くてみえねぇ・狭くて動くけねぇ

よし いくぞう みたいだ

 

うなったり、怒鳴ったり、ぼやいたりしていた

 

私の素敵なアイディア

とうてい自分でできない ということもわかった

 

 そして、完成した ♪

 

 

 

 

 

 

挽き物職人 かっつんさん の 木皿時計

 

 

 

 

わ~~~~い できた できた わ~~~い

 

 

ねぇ、今 何時 ? ずっと助手ぽいことをしていた 息子に聞いた

 

旦那が言った

「これ時計じゃないから、時間合わせても意味ねぇよ」

「? ? ? なんで? ムーブメント付けたじゃん 動いてるよ」

 

「基準がないから、合わせられねぇよ」

「???」

 

「だからぁ  こうだろう バカじゃねぇの」

 

 

 

2時48分

 

木皿をずらすと・・・

 

 

9時17分・・・・・・・

 

 

「どこが・・・12時なの?」

「それは自分で決めるんだよ」

 

難しい ここです より 難しい

決められない

このまんまの方が断然美しい

でも印をつけないと、何時だかわからない時計になってしまう

 

意を決して 印をつけた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

製作過程

 

 

 

 穴をあける(玄関汚いねぇ)

 

 

 

 

 

 

ムーブメントの形に合わせて四角く、5ミリ削った

 

 

 

 

ムーブメント付けた

 

 

 

 

針金ハンガーで 台もつくってもらった(みずらいね)

 

 

 

挽き物職人 かっつんさんからもらった木皿で ステキな 「時間がわかりずらい時計ができた ♪

 

 

 

ムーブメント  送料込みで900円

 

100均一の時計を解体して ムーブメントとれば 100円

セイコーの ムーブメントは 1500円くらい

 

 

全部 旦那がつくった

機械や、針を付ける おいしいとこも 持って行かれた

大人の工作ではなく  おやじの工作 になってしまった

 

 

 

構想    半月

 

 

 

 

 

お皿がいいから

機械を変えればずっと使えるよ

 

 

 

かっつんさん ありがとうございました

 

 

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福 作用

2016年05月19日 | 日記

 

 

 

先々週の日曜日

旦那の血圧が異常に高いとわかってから

旦那はお酒を飲んでいない

血圧は 190-110 くらい 

高いけど、 220-160 に比べたら大分ましになってきた

血圧は測れる

血糖値の方は、自分で測れ と 言われていなのでどうなっているかわからない

 

次の通院は、来週の月曜

通院日までは、吞まないじゃないかと思っている

 

お酒の代わりに、ペプシ ネックス 0コーラを飲んでる

 

 

そして・・・・・・・・

 

 

 

 

旦那が飲んでいないので、非常に快適な夕飯タイムを過ごしている

 

 

 

 

絡まれない

テレビを見ながら、静かに会話ができる

些細な会話の行き違いで、切れることがない

攻撃的・挑発的な話題を振ってこない

 

 

飲んでいないので、夕飯の時間が大幅に短縮され、片付けの時間も早くなった

夕飯後も静かにテレビを見ながら、スマホでゲームをしている

 

お酒を飲まない

これだけで、3キロ  痩せた 腹、凹んだ  (うらやましい)

ご飯はけっこう食べている

アルコールの離脱症状なのか、キャラメルを食べたがる

でも、禁断症状のようなものはでていない

 

 

自分の気持ちや、一日の清算

お酒なしでは消化できない人なので

どこか違う所に出てしまうんじゃないかと心配している

 

 

 

医師からは 1合程度なら飲んでいいと言われている

少ししか飲めないなら、飲まない方がまし だと言う

 

私にとって、思いがけない副作用

長く続きますように

 

 

父 退院しました

通院で、抗がん剤を続けるようです

点滴の方が副作用が軽い

治療ができることをとても喜んでました

電話で聞く父の声は、とても明るく、病気発覚前の声でした

足腰が弱ってしまったので、転倒だけは気をつけてくださいと

お願いしました

 

 

ありがとうございました

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ちょうどその時

2016年05月17日 | 日記

 

 昨夜、9時半頃 関東で 少し大きめの地震があった

 

 

ちょうど、そのとき

私は、スマホで、弁当用減塩レシピを検索していた

結構揺れた

すかさず、NHKにチャネルを変えた

生放送のニュース中

不謹慎だと思われてしまうのは覚悟の上

地震といったら、生放送

揺れるスタジオで、頑張る人を見るのが大好き

大昔、「笑っていいいとも」中に 地震が起きたのを見ていらい

この悪趣味が続いている

それでも、本当に大きな地震ではそうはいかない

生放送の番組が少ないのが残念

 

そのとき息子は

お風呂に入って、歯磨きをしていた

揺れがおさまってから、リビングに来た

早くも息子のスマホ

ラインがピーピー鳴り出した

スマホを見ながら

「〇〇 乗ってる電車止まったって」

「未来人が今日の地震予告してたんだって」

・・・・誰・・・未来人?・・・・

「知らねぇ」

10代のスマホには不思議な人がいるらしい

 

 

そのとき旦那は

そんな会話中に、旦那が二階から降りてきた

「大丈夫?」

・・・・・へっ?・・・・・大丈夫・・・・

 

なんか、おかしい なんか違和感・・・・

お風呂入ったのに、ジャージじゃない

 

パーカーにチノパン  バッグをしっかり抱え、糖尿と血圧の薬を袋ごと押し込んでいる

 

いつ、着替えたの?

「さっき」

旦那は、揺れながら、避難するつもりで、着替えていた

いや、そういうの 危ないでしょう・・・・

 

住んでいる地域では 震度4

 

今朝、余震もあった

 

 

先週の月曜日 抗がん剤の1投目を打った

水曜が辛そうだったと、母から連絡があった

経口抗がん剤より、予後がいい と 判断されて

退院日が決まった

退院後は、通院で 抗がん剤を打つそうです

 

副作用が重くならず、筋力と気力が戻り

庭仕事ができるくらい回復しますように

 

 

ご心配をおかけしました

泣きたくなると、自虐に走り

泣くくらいなら怒っている方がまし

なんとも、いびつな ヒトになってしまったと

我ながら、驚いています

 

「魔がさす」時間 耐え続けてこられたのは

誰かが聞いてくれる という 安心感以外の何物でもありません

 

 

 

 

 

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壊れた

2016年05月14日 | 日記
自転車で15分くらいのディスカウントショップに、旦那の弁当箱を
買いに行った。
帰り道、ペダルの軸みたいな所が外れて、チェーンも外れた。

チッ ついてない
ついてないことだらけだ

家まで40分歩いだ
途中で痛み止を飲んだ

悲しくなって、泣きたくなった
今、路上で泣いたら、
おっさん だか、おばさんだか
わからない人が泣きながら歩いていることになる。

客観的にかなり美しいない
迷惑なくらいだ

だから我慢して歩いた


些細なことがかなりこたえる

そういえば、学生のころ、渋谷の電話ボックスで泣いたことがある

あの頃は オトコがすぐ来てくれた



あのオトコも50だ
どこかでおばさん みたいな
おっさんになっているかもしれない
そう思うと、少し元気になった





15年
手入れをろくにされてないのに
毎年咲いてくれる
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少し慣れたけど、弁当メンドクサイ

2016年05月12日 | 日記

 

 

私の・・・いえ   人の適応力はなかなか強い

新しい局面に慣れてきました

 

 

旦那の血圧は、190-110 と 以前高いのですが

当初より、大分ましな数値で落ち着いてきました

自分の体に関心を持ったのか

血圧計と血圧ダイアリーを持参して会社に行ってます

喫煙前と喫煙後の数値を測るなどしているようです(爆

1ミリのメンソールに変えました

今の所、断酒してます(無理

 

薬は、ガツンと数値を落としてくれません

「ガツンと落とす方が危険なのだ」と話してします

 

火曜日から弁当を持たせています

息子も弁当なので、手間は大して変わらない

いや

旦那は 4時半に起きて、5時半に出るので

それに合わせて起きるのは辛い

前の夜におかずを、作って詰めて、冷蔵庫に保存

朝、旦那がご飯だけ詰める

 

夕飯を作って、洗って、また弁当を作るのは

なかなか気分的に辛い

この辛さを理解できるのは、料理嫌いの、料理担当さんだけだと思う

 

数時間冷蔵庫で冷やすと、塩気が飛び、旦那的にはいいのだが

味が大分落ちてしまう

息子には毎度、迷惑をかけてしまう

 

 

うちでは、互いの給与をしらず、それぞれ自分の担当分の支払いをしている

食費・日用品・自分のスマホ そこに 息子のスマホ代と弁当代が加わり

かなり辛い

 

 

旦那が弁当代を払うと言ってくれた

 

貯金箱です

 

 

1弁当 200円 貯金箱にいれてくれます

 

貯まったら外食とか、ご褒美 ♡ と行きたいところですが

1日 6合 になったので

お米代とか、減塩調味料代かな

 

血圧が異常に高いとわかってから

お酒を飲んでいません

10年以上前、何度も 休肝日を作ってくれとお願いしてきましたが

そのたび

「仕事やめていいなら、酒辞める」と言われてきました

 

病院の血液検査で、肝臓に異常はなく

「あんだけ飲んで、肝臓に異常がない、俺ってスゴイ」

私もすごいと、思います あんだけ、ノンデテ・・・・

 

 

 

2か月で退職する職員さんから

美味しいものをいただきました

 

血糖値があがりそうなので、私と息子で食べました

 

娘ちゃんの ご懐妊で退職する

うらやましいです

 

何がうらやましいって

その程度の理由で仕事をやめられること が です

ちょっと 苛立ってますね 

私  性格悪

 

 

ちょっとずつ、慣れていくと思います

 

 

 

応援してくれる人がいる 心配してくれる人がいる

幸せです

 

 

 

 

 

 

 

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もぉぉぉぉぉぉぉ

2016年05月09日 | 日記

日曜日、3人で父の病院に行った

30分ほど話して、病室を後にした

私は1階のトイレを利用した

出てきたら、旦那が情けない顔で

「かぁちゃん・・・・・・・」  小さい紙を渡された

自動血圧測定器で測っていた

 

 

220-160

 

ウソでしょ

反対の腕で測らせた

198-160

 

急いで家に帰った

私も血圧が高く、降圧剤を飲んでいる

数種類の薬を、自分で測定して飲み分けている

その中で。緊急用の降圧剤を飲ませた

 

1時間・・2時間・・・3時間   効かない   下がらない

 

あまりの驚きで、眠れなかった

 

今朝、一緒に総合病院の内科に行った

初診なので、問診票を書いた。そこに、昨日の紙をつけた

看護師さんに言われて、内科の自動血圧計で、また測った

エラーになった  

 

測定できないと伝えたら、

看護師さんが手動で血圧を測った

順番をかっ飛ばして、診察室に入れた

旦那は看護師さんと一緒に出てきた

私に対して「時間が長くなりますよ。大丈夫ですか?」と聞かれた

入院も覚悟していたので、そんなことはどうでもいい

 

旦那は処置室で、採血をし、薬を飲まされ、1時間の安静

でも下がらなかった

心電図・レントゲンをとり、内科に戻った

 

医師の話を聞いた

心臓に異常なし

肺に異常なし

すぐ、どうなるという状態ではない

でも、 血糖値が300あり(普通は100以下)

かなりの糖尿病

血圧の薬と糖尿の薬を飲むことになった

 

入院を覚悟していたが、そのまま帰された

薬局で、薬剤師さんに、数値を効かれた

答えると、驚かれ、その場で 降圧剤と糖尿の薬を飲まされた

いったん家に帰り、そのまま 旦那も私も仕事に行った

 

 

気が気じゃなかった

帰宅した

旦那も帰宅していた

さすがに飲んでいない

 

血圧を測った

180-110  少しさがった

 

思えばこの10年

旦那は全力でこうなるよう努力してきた

当然の結果に思えた

何度注意しても、聞こうとしなかった

「そのときは、そのときだ」 強気だった

でも、現実になるとそうはいかないらしい

 

食生活を改め、飲酒を控え、タバコを控えることにしたらしい

 

ちなみに今の会社、社保に入っているのに、健康診断をしてくれない

旦那は「国保の時期に1回健康診断を受けていると」と言った

あの時期も、なかなか健診に行ってくれなかった

 

8年ぶりの健診をしたような結果になった

 

明日から、弁当を持っていくことになった

カップめんとおにぎりでずっと済ましてきた

夜食もカップめん

朝も 汁気のあるものが食べたいと、乾燥ラーメンを食べていた

 

注意したところで、どうにもならないので、なにも言わなかった

結果がこうなった

 

 

10日退院する予定だった父

点滴の抗がん剤を強く希望した

3投1休 4週間 

もうやめて、家に帰ろうよ と、言いたかった

でも、言えない

職場では

新年度 職員1名 欠員でスタートした

一人辞めることになった

 

2名欠員では、休みがとれない

 

 

考えることが多すぎて

私・・・・消えたい・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

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今日は  3GB だった

2016年05月05日 | おとうちゃん

 

 

車なら30分

電車・バス・徒歩 だと 1時間以上かかるので

毎日、父の病院に行くことができなかった

寝る前にしか飲まないと決めていたロキソニン

出かける前に飲まないと、足裏の痛みがねぇ・・・

 

父は自力で体を起こし、座っていられるようになった

車椅子介助が必要だけど、トイレのドアから便座まで歩くようになった

話しの辻褄があうようになった

五分がゆになり、点滴が 1日1本になった

 

 

2日前まで粗相しても平気だった

着替えが足りないと、母をしかりつけていた

それが、突然変わった

 

その時の話をしてくれた

粗相をして、若い看護師さんの手間をとらせて、お父ちゃん悲しくなっちゃたんだよ

でな。目をつぶっていたら、今自分がどこにいるのか、わからなくなって、怖くなったんだよ。

もう1回目をつぶって、一生懸命思い出そうして、自分が入院していて、ここは病院のベッドだと

気が付いたんだ

 

抗がん剤が抜けて、意識が明瞭になったということなのだろうか

母の話によると、その日から、父は元に戻り、病人らしさが急速に消えていったという

もう、自分の葬儀委員長の心配をする という 思考もなくなった

 

「退院したら介護になると覚悟してたけど、これなら大丈夫」

母は嬉しそうだったが、治ったという意味での退院ではないこともわかっている

 

 

今日は2爺がきた 3GBの会 盛り上がる

現、町会長と、副会長

現役なのでちょっとお若い 70代半ば

地域に貢献してきた父には、お見舞い客が多い

(噂が広まりやすいともいえる)

 

昨日も2爺  3GBで、同窓会の話し合いをしたらしい

60人いた同窓生も、20名程度になり、自身の病気や配偶者の介護で

参加人数は、一桁になった

 

 

 

バス停から病院まで  15分くらい 歩く

半分は土手

 

 

 

 

ここで

四つ葉のクローバー 見つけた ♪

 

 

 

挽物職人 かっつんさん  の  木皿

 

塗り、2回目終了しました

時間がかかって ごめんなさい

 

 

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4GB

2016年05月03日 | おとうちゃん

4ギガバイトとは読まず

 

4爺 1婆 と 読む

 

昼前から、夕方まで 父の病室にいた

母の手伝いがしたかった

父は、頸椎ヘルニアの手術と、前立腺がんの手術をした

あの時は「早く治りたい」という気力があり

歩いてもいい という、許可が下りると、病院の廊下を一生懸命歩いてた

抗がん剤が抜け、悪心がなくなり、食事がとれるようになっても、父は歩こうとしない

トイレのたびに、看護師さんを呼び、車椅子に乗り、夜は紙パンツをはかされている

「もう、歩けるでしょう」母が言っても歩こうとせず

ブツブツの何か言っている

治らない病気になってしまい、がんばろうという気力がない

 

退院日は決まっているが、元に戻るとは思えなかった

介護申請が終わり。ケアマネさんがきたら、退院日までに、介護ベッドが届くことになっている

 

介護ベッドを受け入れる   とは、思わなかった

紙パンツを受け入れる    とも、思わなかった

 

体の中の悪い細胞が、父の気力と筋肉を奪っていく

 

2時ころ、老人会 元町会長OG会方が、3人お見舞いに来てくれた

3人とも、80代

キチンとスーツを着て、ネクタイをしていた

生存していて、出歩ける、同性代   3人

 

 

赤ん坊のように、母に我儘を言う、父だったが、3爺のお見舞いのときだけ

元に戻った

 

1爺 「俺も、腎不全で、週3回 透析だよ」

2爺 「俺は胃がんと、前立腺がん。この病院に月一回通ってるんだ」

3爺 「俺も、肺がんと、膀胱がん。女子医大に通っている」

1婆の母は、どこも悪くない

4爺 父

   「俺のはちょっと場所が悪くてね。治らないみたいだ」

3爺 「みんな、この年じゃ治らねぇよ」

 

その後、楽しかった、時代の話で盛り上がっていた

昭和から平成に変わったころ、みなさん、先の爺が鬼籍にはいり、当主となり

町会活動を仕切っていた、50代のころ

 

みなさん耳が遠いので、声が大きい

ロビーに響き渡る、話し声と笑い声

 

3爺も無理してきてくださり、父も無理している

 

3爺がお帰りになったあと、1爺の父はすっかり疲れてしまい、機嫌が悪くなる

1婆の母と、1おばさん の私に

 

「あれじゃ。しょうがねぇ・・・・。俺の葬儀委員長は誰がするんだ」

3爺に葬儀委員長は頼めないと言い出し、心配し始めた

「そんなことは、今心配することではないよ」

 

たしなめても聞かない

 

病院の雰囲気というか、風邪が吹かない、重い空気が悪いのか

どんどん病人になっていく

 

抗がん剤の副作用が厳しくて入院したはずだったが

風邪を引いていないのに、熱も下がらない

「抗がん剤が抜ければ、元に戻る」と思っていたが

 

なかなか厳しい。。。。。

 

 

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お見舞い その1

2016年05月01日 | おとうちゃん

連休の初日に、息子を連れて 父の病院にいきました

実家に寄って

 

 

 

 

つつじ  

 

 

 

なんか 花 ?

農業をしていただけあって

花や家庭菜園がとても上手な父

キュウリやナスの準備もしてありましたが、植えるところまでできませんでした

 

ナースステーション近くの個室から大部屋に移動したのは良い知らせ

意識もはっきりして、会話もできるようになった

 

弟の車でみんなで行きいました

沖縄組集合です♪

弟に頼んで、柴又帝釈天に寄ってもらいました

 

子どもの頃は親に内緒で友達とぶらぶら来ていました

江戸川の河川敷を歩いていると、なんとなくついてしまいます

 

甥姪は、徒歩遠足コース

私は何年振りだろう?

コインパーキングに車を止めてぞろぞろ歩いていたら

んんん ?「この感じ・・・デジャブ・・・」

弟に聞くと

「そうそう、この道歩いた。俺らの結納の時。川甚 のあと」

あの時は義妹さんの、叔父夫婦も来ていて、ぞろぞろ歩いたっけ

息子は 初めて

 

 

 

 

 

なんとなく、参拝して

 

なんとなく、歩いて・・・・・・・

 

 

 

病院に行った

母と弟で病室に行って、ロビーに連れてきてもらった

車いすで父はロビーにやってきて

私が「沖縄組全員集合だよ」

と、言ったら、父は泣き出した

「あれあれ、みんな来てくれた」

 

父は10歳くらい年をとってしまったように見えた

薬のせいで、皮膚がねぇ・・・・・

 

父はかわるがわる、孫に声をかけて、学校のことを聞いて笑っていた

沖縄の思い出話しに花が咲いた

 

毎日、自転車で病院通う母に、電動自転車を買うようにと話していた

 

点滴の他に、朝晩、黄色い点滴を1時間かけて入れている

父はこれを「抗がん剤」だと言っていた

母は、飲み薬であんなに苦しんだのに、すぐ、家族の相談なしに 抗がん剤を入れるはずがない

と、言う

父は、ずっと微熱が続いていて、なかなか下がらない

抗生剤じゃないかと思う

黄色い点滴には、私も覚えがある

「菌をやっけるお薬です」という説明を聞き間違えたのではないか

母と電話で話をしていた

「抗がん剤だ」言い切る父を、否定してはいけない

 

甥・姪は 両親と同居しているが、父がガタガタを悪化していった

先週の土日、下に降りてくるなと言われていた

久しぶりに、会う

おじいちゃんの容貌の変化や、車いすに少し怖がっていた

 

父をベッドに戻すとき、息子が、手伝った

何しろ力が強いので、かるがるとベッドに横にならせた

病人用のスリッパを脱がせ、足を乗せ、布団をかけた

 

翌日、母から電話があった

「おとうちゃん 喜んでたよ Gは無口だけど優しいって。普通あのくらいの年ごろの子は

怖がったり、気味悪がったりするのが普通なのに、Gは怖がらずに、おとうちゃんの体を触ったって・・・  あれなら、あんたの老後も安心だって」

 

 

 

お父ちゃん、もう旦那の事は信用していないのですが

息子が成長したので、いくらか安心してくれたようです

 

 

さて、これから 父に会いに行きます

実家に通うより、病院にいてくれた方が

嫁に出た、私は会いに行きやすいです

 

でも、弟夫婦とは、仲良しです

仲良しのままでいるためにも

遠慮しなくてはなりません

 

 

 

 

 

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