簡単に 足のむくみを取る方法しりませんか

2016年06月29日 | 日記

 

 

ここ何日かの

寒暖差のせいか

運動不足のせいか

立ち仕事のせいか

だらしない性格のせいか

 

足のむくみとダル重さが 半端ない

 

ふくらはぎカチカチで、手のひらでもむと 激痛

脂肪がかちかち

しばらく揉むと、やわらかくなり、いくらか楽になるけど

 

何年もかけて、貯め込んだ 抜けない 水分が かなりある

 

膝から下が 冷たい

 

基本的に冷え性

冬は、靴下に カイロを貼ってすごしてきたが

今の季節はねぇ・・・

 

足裏痛いからの、ふくらはぎまで痛い 

 

これでは困るので

なんとかしないと

 

 

実践中

お風呂で コロコロマッサージ

手でさすりあげる

足冷えに効く ツボに 貼るタイプの 温灸膏

 

気が付いたときの、かかと 上げ 運動  100回くらいはやってる

朝ごはんと、昼ごはん   無塩 

 

低周波治療器での マッサージ  (大活躍です)

 

他になにか、手軽で、お金がかからない 方法 ご存知の方いませんか

 

リンパマッサージも ネットで調べて 実践したいところですが

時間がかかるのと

右ひじが悪いので ちょっと無理・・・

 

着圧タイツ

一足 夜用持っているけど

暑くて履けない

それに

サイズが ねぇ・・・・

 

 

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ブラック問題

2016年06月26日 | 日記

 

着られるとは思っていなかった

入るはずがない

気にはなっていた

でも、気にしていてはいけない

まだ時間があるし・・・・

まだいいか・・・・

 

 

突然の訃報に

動揺し

何も手につかず、でも忙しい

あっというまに お通夜になり

 

ブラック ツーピースに 体をねじ込む

はいった はいった

いんや

背中のジッパー 上まで上がらない

旦那に引き上げてもらったら、息ができない

 

仕方ない

時間がない

ジッパーを下げてもらい

上着で隠す

脱がなきゃ ばれない

気持ち悪いけど 仕方がない

買いに行く気持ちの余裕なんかない

 

 

一方

スリーピース の 義妹さん

上着とブラウスは何とかなったけど

スカートのボタンと ボタンホール

距離が はるか彼方で、届きそうもない

深夜に針仕事

白い平ゴム(パンツのゴム)

片側を縫い付けて、もう片側に切り込みを入れて ボタンホールを作る

ゴムスカートの完成

 

 

私ら二人を見た 母が あきれて笑った

 

ずいぶんきつそうだね

ぱっつんぱっつん

 

 

いや、事前に用意できないし

 

 

ブラック問題は

法事で解決しておいたほうがいい

いや、不経済に太る方がよろしくない

 

さて

次の法要まで1か月を切った

痩せるか  買うか

 

買う方に

一票

 

 

 

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はさみと老眼鏡は家中にあった方がいい

2016年06月25日 | 日記

 

 

つい先日の仕事中のお話です

細かい字が読めず

おでこにあるはずの、老眼鏡がない

ならば、Tシャツの首元か・・・  ない

手で体をアチコチ触るが・・・ない

 

仕方がないので、近くにいたお子様に

聞いてみた

 

「センセェの 体の どこかに メガネないか 見てくれる?」

 

背中にあるよ

 

え‘‘

 

首からぶら下げている

職員証明書 の 紐にひっかかり 背中に回っていた

 

仕事用は 1000円の高級品を使っているのですが

家では、100円のを使っています

 

メガネをかける習慣がないため

いつもいつもいつもいつも 

必要なとき、見つからない

 

だから 家用1000円老眼鏡は

バッグの中にしまい込み(外出先で困ることが増えてきたので)

100円老眼鏡は

台所・リビング・2個 洗面所・玄関・風呂場・自室

台所は重要  賞味期限の数字が読めず、「作り方」も読めない

 

 

 

必要事項が発生しやすい場所においている

 

ハサミというのも 曲者で

必要な時に見つからないことが多い

 

台所 キッチンハサミ

リビング  ハサミ 目立つところに 2本

玄関 1本

洗面所  2本 前髪用と詰め替え洗剤 切る用

お風呂  2本 前髪用と洗剤用

 

「家中、ハサミとメガネだらけだ」

物をキチンと管理できる旦那が怒りだす

 

老眼鏡とハサミの緊急必要事態は

いつ発生するかわからない

 

だから、老眼鏡とハサミは 増え続ける

 

増えれば増えるほど、効率よく時間がさばけ

生活の質は向上する

 

 

最近、ご飯を食べているとき

箸やスプーンの上に何がのっているのか

最近見えなくなった

 

テーブルに もう1個 買うかな・・・

 

 

 

 

 

 

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最後に見た夢

2016年06月24日 | おとうちゃん

人は最後の瞬間美しい夢をみるという

お花畑・光・虹・懐かしい人

自身の人生を振り返る

 

立花隆さんの著書によると

最後の瞬間、その時だけ活動する 脳の組織があるらしい

父は最後にどんな夢をみたのか

そんなことを

ここ数日考えていた

 

 

 

 

非常に暗く、長く、重いです

 

 

 

犬神サヘエには、娘が三人いた

マツコ・タケコ・ウメコ

男子がいないので、マツコに養子をとった

養子は フユヒコ(私の祖父)

マツコとフユヒコの間に 男子 イチロウ(父)  女子 ハナコ ができた

 

タケコは嫁に行った

不幸は突然起こった

マツコが病気で亡くなった

イチロウ 10歳 母を亡くした

 

養子なので、外から 後妻を迎えられない

まだ嫁に行っていなかった  ウメコ

サヘエが決め

ウメコとフユヒコは結婚した

戦前の話である

イチロウとウメコの年齢差は 10歳

 

 

ウメコは気性の激しい人で、この結婚で少し壊れた

ウメコにも 1男2女ができた

 

イチロウとハナコに猛烈ないじめをした

       オンナはオンナを より激しく攻撃する

 

ハナコは座敷に上がることを許されず、土間で生活をし、一人で食事をとった

フユヒコは娘を愛していたが、会話をすると  家付き娘の ウメコが激高する

 

フユヒコは 土間の炭火の灰の中に 手紙と小遣いを隠して ハナコに渡した

唯一のコミュニケーションだった

 

イチロウ(父)が19歳の時 妹 ハナコ 16歳

ハナコは農薬を飲んだ

 

父は妹を、祖父は娘を守れなかった

 

この事件で、 ウメコの精神はさらに病んだ

一度癇癪を起すと、何時間も 怒り、わめき、暴れ続ける

今なら、何かの病名がつくだろう

 

 

イチロウに縁談が来なかった  来るはずがない

この家に娘をやろうと 考える人はいない

 

フユヒコは 伝手を頼って、遠い縁の親戚(事情を知らない)に仲人を頼んだ

チヨコ(母)との縁談があった

 

チヨコの両親は 縁談を急ぐ、フユヒコを怪しみ

聞き込みをし、事情を知った

 

 

何度も話し合いが持たれた

長男が二人いる状態を解消しないままでは、嫁にやれない

 

高齢だった 犬神サヘエ は決断した

 

長女の長男 イチロウが 跡継ぎである

ウメコ・フユヒコと3人の子どもは すぐに分家する

田畑は半分に分ける

約束は最初の方だけ守られ、もう一軒家が建てらた

 

 

本家 サヘエ・イチロウ・チヨコ  

    があこ キヨシ が生まれた

 

サヘエが生存中はそれでも、なんとか抑えがきいた

亡くなったあと、ウメコが長年貯め込んでいた イチロウへの憎しみがさらに激しくなった

 

あっちの家・こっちの家

私と弟は あっちの赤ん坊 と 呼ばれた

 

サヘエ亡き後、イチロウとチヨコが仲睦まじく暮らすことを ウメコは許さなかった

 

ウメコの娘の一人を送り込み、逐一 報告させた

私の叔母人あたるこの人は、まだ中学生くらいの年齢だった

「何を食べた・どんな服をきてたか・どんな会話をしていたのか」

 

叔母も荒んだ 

 

叔母は私たち兄弟を虐待した

   オンナはオンナをいじめる

 

繰り返された

アマリオボエテイナイ

 

フユヒコは分家から毎日 本家に通い

チヨコ・イチロウと農作業をした

ウメコが見ていないので、イチロウと仲良く、孫の私たちをかわいがることができた

 

しかし、ウメコはその様子をずっと 物陰から 隠れてみていた

郵便物はいったん分家に届き、開封されたから こちらに届いた

 

 

時々叔母に連れられ、あっちの家に行かされた

家はおろか、門のなかにも 入ることは許されず

あれこれ質問され、どう答えていいのかわからないので、下を向いてしまうと怒られた

何時間もただ立っていることが多かった

 

両親が農作業に出ている時間

ウメコが何回かきたのを覚えている

他の子どもを従え、ありとあらゆる引き出しを開けて覗いていた

 

恐ろしい時間だった 小学校低学年ころだったと思う

 

両親は 私が叔母からいじめを受けていることに気づいていた

私は大人の顔色をうかがう、陰鬱な子供になっていた

テレビと炬燵のある部屋から追い出され 土間に座っているとき、父母が帰ってきた

父は力なく、私を見て微笑んだ

 

妹を守れなかったように 娘を守れない

腹違いの妹を叱ると、その報復は半端ではなかった

 

イチロウ一家の存在を認められない ウメコ

 

しだいに 祖父 フユヒコは 来なくなり

土地を切り売りして生活し始めた

 

イチロウとチヨコは 田畑を失い

自営で加工の仕事を始めた

 

同居していた叔母は 成人し、会社で勧誘され、カルト教団に入って救われた

宗教にのめり込んだが、兄夫婦 に対して謙虚になり、食費を直接渡すようになった

叔母にとっては 実母である ウメコ 

叔母なりに苦しんでいた

 

私が高校生の頃

叔母は嫁に行った

彼氏が軽トラを借りて叔母の荷物を取りにきた

その日が最後だった

父は、お祝いを渡し、叔母は泣いていた

いつどこで 挙式をし、どこに住むのか 伝えずに去った

 

 

 

祖父 フユヒコが来なくなり

叔母がいなくなったが

その代り、白い車が 家の周りを ぐるぐる回り

時に停まって、家の様子を伺うようになった

 

ウメコに命じられ フユヒコや 免許を持った 他の子どもに運転させ

相変わらず、監視をしていた

 

 

ある時期

突然、アッチの家が取り壊された

そしてアッチの家の人たちがいなくなった

 

遠縁を通して、かなり 遠いところに引っ越したことがわかった

 

 

近くに住んでいるから 気になってしかたがない

離れてしまえば ウメコの 奇矯な行動が減り

息子夫婦は安心して暮らせる

 

祖父 フユヒコが決断した

 

 

以降 私ら家族は 父の 親族からの呪縛から解放された

田畑を失い 貧乏になってしまったが その方がずっとよかった

 

母は好きな服が着られるようになり

旅行にいけるようになった

父は町会で肩身の狭い思いをしなくなった

町会の人は、みんな 父の事情をよく分かっていた

 

 

父は、フユヒコを 父として尊敬していた

フユヒコの訃報が届いたのは、20年前

「最後の時間には 呼んでもらえると信じていた」

でも、知らされたのは半年後で、フユヒコと取引をしていた不動産屋からであった

この不動産屋だけが、フユヒコ一家の様子を父に知らせてくれた

また、私たちのことも、こっそり フユヒコに 伝えてくれた

 

 

「長男さん 4月に結婚しました。長女さんは11月に結婚するそうです」

ウメコたちがいないとき、病院の枕元で、私たち兄弟の消息を伝えてくれた

フユヒコは 涙を流して頷いた と 聞いている

 

 

父が亡くなる二日前

父と話をしていたとき、郵便物を見つけた

私学の同窓会通信 

宛名

父の 腹違いの 弟だった

 

「最後に会ったのいつごろ?」

「小学5年生くらいかなぁ」

「会いたい ?」

 

返事はなかった

 

 

父は 家族の縁が薄かった

葬儀の時にきた親戚は ほとんどが 母方だった

父かた親戚は いとこの 子ども もう 代替わりをしていて

顔がわからない

 

父方にも 叔父叔母と その子供がいるらしい

ウメコは父より 10歳 年上 生きているとは思えない

 

 

 

だから私は 父の見た最後の夢が気になってしかたがない

だれにもわからないことだけど

 

父の最後の夢は 自分の妻子 家族 孫ではなく

 

父の 母 父 妹 

マツコ フユヒコ イチロウ ハナコ

少ししかなかった 父の幸せだった子供時代に戻って

4人で楽しく過ごしている

そんな夢であってほしい

 

そうでなければ

父の人生の 辻褄が合わないのだ

 

 

父は許していたようだったが

私は  父方の祖父 父の継母  腹違いの 弟妹 の 存在を

消してしまいたいと思っている

 

 

弟も私も 幼い時の記憶がない

 

 

 

陰鬱な記事にお付き合いくださりありがとうございました

父の夢を書こうと思っていたのですが

私自身の人格形成そのものにまで、広がってしまいました

 

 

こんな事情はどこにでもありますが

私の遺伝子に ウメコが 混じっていると思うだけで

怖くて仕方がないです

 

 

 

 

 

 

 

 

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おとうちゃんが 残したもの 勝手に増えていくもの

2016年06月21日 | おとうちゃん

日曜日に実家に行った

旦那が珍しく

「お線香をあげに行こう」と言ってくれた

お酒を止めてから、穏やかになり

父が亡くなってから

さらに 優しくなった

 

実家には

家中に父の気配があった

 

テレビ台の上に 往復はがき

洗濯機のそばに  シルクの襟巻

玄関に   サンダル

洗面所に 歯ブラシ メンズ白髪染め 櫛

作業ズボン 

家庭菜園道具

防火用水の金魚

薬 メガネ・メモなど 

 

 

亡くなる二日前の日曜日

息子と実家に行っていた

終活を初めていた父

無駄に力がある息子に

バイトを頼んだ

 

 

 

天井をはがれたところを、はがす

すぐそばで、父が指示出していた

 

新しいスーツを買ったと聞いて

私は、派手な半そでのワイシャツをプレゼントした

これが最後だとは思っていなかったので

なんとなく、昔の話をして、孫たちの話をきいた

よく覚えていない

派手なワイシャツは納棺された

 

 

先週の日曜日の実家の庭

 

 

夏野菜

内孫ちゃんたちは、キュウリ・トマト・イチゴ・ベリー系

熟しているのを見つけると、そのまま洗わずに食べてしまうので

随分気を付かって、作っていた

 

 

 

生生姜に味噌をつけて食べるのが大好きだった

これも豊作

 

 

 

小ねぎの 鉢と  百合の鉢が たくさん

仏壇ようの 百合には 当分不自由しないと、母が笑っていた

小ねぎの鉢は 二つ貰って帰った

 

 

 

実家、裏の公道に 昔からのおじぞうさん がいる

今のおじそうさんは、父が施主

先代のおじぞうさんは、祖父が施主

先代さんは 暴走族に 何度も投げ捨てられて  顔がなくなって

父と母で 取り替えた

祖父の前はどうだったのか、もともと誰が設置したのか

聞いていない

父に聞いておくべきだった

 

 

 

地域の高齢者さんの間でついたあだ名が

「ぽっくりさん」

拝むと ぽっくり いけるらしい

 

着飾って、色々なものがおいてあるけど

父母が買っているわけではなく

色々な人がお供えをしていく

毎月新しいベビー服を持ってきて 着替えさせている人がいる

 

 

愛称 「ぽっくりさん」 の 話を聞いて

若いころ、

母を教祖、ぽっくりさん を ご神体にして 一儲けをしようと考えた 

ぽっくりまんじゅう ぽっくりお守り 

よこしまな私は不適格者

 

これからは、母と 弟夫婦で守りをしていく

 

「ぽっくりさん」に助けられた」と

色々なエピソードがあるのですが、宣材になってしまうので、自粛

 

 

※ しゃちくん 記憶にないかもしれないけど 見たことあると思うよ あの道だからね

 

父が ぽっくり 逝けたので、旦那と二人で 久しぶりにちゃんと 拝んだ

旦那はお線香をあげて、すぐに帰った

 

兄弟が揃ったから みんなで 位牌を作りたい 

母が言ったので

仏具屋さんに行った

 

母と弟で話を聞いていた

値段があってないような、仏具の世界

母は父と同じ位牌に入りたいと願い

大きめの位牌を購入した

92000円なり

 

「うちでは 〇〇杉を扱う 唯一のお店です」

〇〇杉を進めてくる

プラス100000円

 

暇な私と義妹さんは

本当かよ と 突っ込みながら

スマホで調べてみる

 

なんでもネットで買える時代

〇〇杉  はるかに安い

 

おかげで、スマホでネットするたびに

仏壇の広告が張り付くようになってしまった

 

一生懸命 花や猫 服 お料理の検索をするが

仏壇広告は強い

なかなか 取れない

 

 

四十九日の話し合いをして

家に戻った

 

 

父が亡くなったとき

父が戻る前に 枕花が 3かご 届いた

3つとも、不動産屋

 

実家には一山分

お墓・仏具・香典返しのカタログが届いていた

 

不動産屋の電話

私がいる間だけでも、3回電話がかかった

 

商機は逃してはいけないけど、未亡人になったばかりの 76歳には

キツイ

 

 

 

 

 

 

次は 「 ぼうさん 考 」

罰当たりに 戻ってきた私

いくらか 現実に戻ってきました

 

 

繰り返し 繰り返し 陰鬱なブログにお付き合いくださりありがとうございます

 

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ずっと 泣いていていたわけじゃない

2016年06月16日 | おとうちゃん

 

 

父が緊急搬送された

母と連絡がつかない

死亡が確認された

 

現実感がないまま、冷静さをうしない

なにをどうしていいかわからず

 

息子の高校と旦那に電話をかけ

母の携帯に電話をかけ

母のいそうな、親戚の家に電話をかけ

弟・義妹さんからの ラインを見

職場に電話をかけ

 

あとは 呆然としていた

 

息子が帰ってきた

無口で、必要最低限のことを、もごもご としか言わない息子だが

玄関に入るやいなや

「母ちゃん ダイジョウブ?」

と、大きな声で声掛けをしてくれ

私は、号泣してしまい、息子は手を握り、背中をさすってくれた

 

とーちゃんが 帰ってくるまでに出かける支度をしてほしい

そう、息子に言うと

火の元確認や、家中の鍵閉めまで、してくれた   

 

旦那は、知り合ったばかりの頃の 旦那に戻り

辛抱強く、私の混乱につきあってくれた

 

父と病院で対面したとき、現実を受け入れられず  泣いた

父が死体袋に入れられ、警察車両に乗せられたとき   激しい怒りで泣いた

 

父は、金曜日に 自転車で病院に行き

その帰り道、紳士服店により、夏用スーツを購入していた

年齢が重なるごとに、オシャレに気を使い

「汚い年寄りにはなりたくない」が口癖で、ちょっとの外出でも

ズボンの前に、しっかり 線がついものしか、身に着けなかった

 残念ながら、火曜日に亡くなった

 

父が戻ったとき、そのスーツを着せてることにした

 

しかし、父の変化が止まらず、ワイシャツのボタンがちぎれそうになり

納棺時に、葬儀屋さんが用意した変な着物に着替えさせることになった

 

旅たちのお支度

旅たちのお手伝い

旅立つ故人様のために

 

葬儀屋さんの芝居かかった声が 癪に障る

 

着物のあちこちに紐があり、縛れ という

足元の紐を縛り、そこから 変な着物の父の全身を見たとき

はじけた

 

「おとうちゃんは どこにもいかない。旅なんていかない。ずっとここにいる。旅 旅 って 意味わかんない」

叫んでしまった

 

 スーツを着ていた父は耐えられたが、いかにもな 着物は 嫌だった

旦那と息子に抱えられ、別室連れていかれた

過呼吸を起こしてしまった

 

父が箱に入る

そんなことは受け入れられず、見る気にもなれず、息子が持ってきてくれた袋を口に当て

泣きながら、呼吸を整えようとした

 

お通夜の時間

母がレンタルした着物に着替えたとき 

「アレッ。いつ美容院にいったの?」

「午前中行って、髪をセットして二日間持つように 固くまとめてもらった

 こぎれいにしておかないと、お父ちゃんに怒られるから」

 

ちょっと 笑った

 

 

火葬場まで、父の写真を持って、初めてハイヤー乗った

弟が思い出した

「があこちゃんの結婚式の時、ロールスロイスにみんなで乗ったね」

 

私らはハワイ挙式で、ロールスロイスがセットになっていたが

両親や親戚がバスでは申し訳ないと、もう2台用意をしたことを思い出した

 

「あんとき おとうちゃん ハワイに夢中で、結婚式のスケジュールが入っていることを忘れたんだよね」

 

 

 

 

 

火葬場は、耐えられなかった

「お顔が見られる最後でございます」

 

そんなはずない

できるわけがない

認めることができない

でも、粛々と進む

私は止めることができない

 

また私が、叫びだすのではないかと心配した旦那と息子が

ずっと腕をつかみ、背中をさすってくれた

いやだ いやだ いやだ 

見送ることを拒み、隅で座り込んでしまった

また過呼吸

旦那と息子は、そばにいてくれた

 

灰とお骨をみて、ようやく 諦めがついた

でも、受け入れたわけではない

 

 

 初七日法要が終わり

実家に帰った

 

家に着くなり

弟が叫んだ

「こんな葬式 お父ちゃんが最後だ。俺は家族葬で十分だ」

肩の荷が下りた弟の魂の叫びに、噴き出して、笑った

 

叔父さんが尋ねてきた

「お通夜に ヒラサワ カツエイがきてたけど、お付き合いあったの?」

 

父の遺影を眺めていた、母が答えた

 

「あの人は、ありとあらゆるお通夜にきてるのよ。どこのお通夜にもいるの。有名よ」

 

「大分前から、よーかい っぽい。あそこに住んでるんじゃないの?」

 

みんな笑った

遺影の父も笑った

父はこういうジョークが大好きだ

 

 

 

 

 

 

書くと、大分 気持ちの整理ができます

申し訳ありませんが、もう少しお付き合いください

 

 

 

 

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上・中・下・普通

2016年06月14日 | おとうちゃん

 

父は不祝儀に詳しい人だった

いくら包めばいいのかわからないとき

父に電話をかけて、きいた

 

父は町会長をしていたとき

地域で大きなお葬式があると、葬儀委員長を頼まれていた

一番詳しい人が、いなくなってしまったので

それは大変だった

 

病院の霊安室で弟と会ったとき

「お寺と葬儀屋さんに電話をした」と言っていた

 

ぼうさんは、8.9.10 がいいと言ってた

どうしてもなら、土日でもなんとかする

 

「旅行の予定でもあんのかな」 弟が笑った

 

菩提寺は幼稚園経営もしている

私も弟も、甥姪も この幼稚園に通っていた

園長と住職の兼業なので、土日は休みたいのだろう

 

検死の都合もあり、9日・10日に決めた

葬儀屋さんも、空いていると連絡をくれた

父はこの葬儀屋さんの互助会に入っていた

 

 

家に戻ってから、戒名のことで再び電話をした

「普通で50万です」

ゴニョゴニョ言われるより、はっきり言ってもらった方がいい

その上は100万だとも聞いた

 母にどうするか聞いた

「普通でいい」と答えた

 

翌日、葬儀屋さんが、父を連れて帰ってきてくれた

先に、ワンボックス車が来て

実作業をする人が3人来た

父を受け入れる準備をし、その後、父をきれいにしてくれた

 

 

父と弟が戻ってきた

 

父を乗せてきてくれた人がコーディネーター のような 話を始めた

父がいないので、弟と私で決めるしかない

 

祭壇の流行りは、花祭壇ですが・・・

写真を見せてくれた

神社みたいな祭壇より高いが、流行りなら仕方がない

花祭壇は 上中下 3パターンあった

 

地味な葬式だと言われたくないので   中 にした

 

窯を選べと言われた  これも 上中下  中 にした

 

お通夜の料理を選ぶ   中

 

香典返しを選ぶ      中

どれもこれも、上中下の3つしかないので その他 色んなものが中になった

 

困ったのはお料理の人数 

ネットで調べると、見込の人数の 5割

葬儀屋さんは 7割 と言った

見込みの人数なんてわからない

 

母に決めてもらった

150人見込んで、100人分注文した

 

葬儀場から 火葬場までの車の用意

24人乗りのバスを何台借りるか

これも悩んだ 親戚をざっと数えて20人 そこに当日加わる人

ギュウギュウでは失礼なので、2台にした

火葬場まで来てくれた人は 37人だった

 

喪主の母が 中 を1対選んだので

その他の花は  下 になった

 

駆けつけてくれた叔父が

「花は多いほうがいい」と言うので

弟夫婦と、私ら夫婦 2対 

おかしな話だが 孫一同で 一対

 

「子供がお花を贈るのはおかしい」

母が却下してくれた

 

叔父さん達も頑張ってくれた

その後、親戚やご近所さんから、お花を戴けるという連絡があり

直接、葬儀屋さんに注文して、支払いを済ませてくだった方もいて

お花はたくさんあった

 

 

「おとうちゃんが今までしてきたことが、帰ってきてるだけ

不祝儀には随分お金がかかった」 母が言った

 

支払いは、坊さんと 葬儀屋さんだけだとおもっていたが、違っていた

火葬場代(チップ別) 待っている間の 茶菓子代

車代(会社が違っていた)

花やさん

料理屋さん

酒屋さん  別々だった

 

 

支払いはいつなのか 尋ねたら

酒屋さんが 瓶を数えてから と 言われた

 

甥は 初めて見る ビン飲み物と王冠に驚き

王冠を60個ゲットし、栓抜きデビューもした

 

支払いの部分が明確でなかったので

お通夜・葬儀を通して

私と弟は 黒いショルダーバックを背中に背負い

母から預かった大金を 分けて持った

 

結局支払いは、告別式の翌日でよかった

 

お通夜の読経の時

弟はずっと ブツブツ 言っていた 「うっ!」 唸った瞬間があった

お経でも唱えているのかと思っていた

後で聞いたら、来てくださった方の人数を数えていた

 

エレベーターが開くたびに、7.8人 出てくる

150人を超えたとき、唸った

「料理が足りない お父ちゃんに怒られる」 本気で焦ったそうだ

 

葬儀屋さんにきいたら、お料理は十分 余った そうだ

余るくらいが調度いい

 

お通夜に来てくださった人は 180人だった

 

自宅に戻り、告別式のことで、12時近くまで 話し合いをした

まだわからないことがある

 

その時、天井の一部が 「コツコツ」 鳴った

弟は 天井にむかい

 

「おとうちゃん なんとかなってるよ ちゃんとできてるよ 」  

笑いながら、話しかけた

 

コツコツ は 止まった

 

 

 

 

 

 

 

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今日からお仕事

2016年06月13日 | おとうちゃん

ざ~ざ~降ってます

 

本日から仕事復帰

先週の火曜日、2度電話をして

2度目の電話で

「今週のシフトは組みなおしました。仕事の事はもう忘れてください」

と、言ってくれた。現場責任者さんに感謝

 

現在、人手不足で、一人しか休みがとれない状況で

有休をとる予定だった、人はどうしたのか

 

 

 

いやいや、アラカン・アラフィフの集合体

同じリスクを抱えて働いているので

お互い様です

 

非日常空間に数日間どっぷりつかり、いまだに不安定

仕事=日常

 

いくらか、気持ちも日常に戻れるかもしれない

 

 

弟と母は、まだ非日常空間に住んでいる

父は、自営業だったが、亡くなるまで、地域社会と深く関わってきたので

弔問客が絶えないらしい

 

弟は役所関係を回り、石屋さんと、仏具屋さんと

四十九日にのために、発注作業がある

 

義妹さん

お母さんは15年間に亡くなっていて

一人暮らしをしていたお父さんが、骨折で入院中

父の病気のため、言い出せなかった

 

これからは、

義妹さんが実家に行きやすいよう

母が協力しなくてはならない

 

と、昨日電話で、母と話した

 

 

 

気にかけて、心配してくださった

みなさん、ありがとうございました

 

まだまだ、私の 陰鬱な毒吐きは 続きそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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できることなら

2016年06月11日 | おとうちゃん

 

 

 

自分の死に方

死ぬ場所

選ぶことはできないけど

できることなら

病院の方がいい

 

心肺停止状態で病院に搬送された

救命措置は2時間まで

これは仕方がない

 

 

医師は死亡宣告をしたが、「死亡証明書」を書くことができない

と言い

警察に回された

証明書に変わるもの

 

 

 

警察は、監察医の「検案書」

これがないと、「死亡届」が出せない

火葬許可証がでない 

と、言った

 

 

 

検死案件が多く

戻ってきたのは、翌日の2時ころ

 

弟と葬儀屋さんが、連れ帰ってきた

 

父の顔は前日とまったく違う、見知らぬ顔になってしまっていた

葬儀屋さんが

「お風呂とか・・・検死があると・・・・」 

 

「警察の霊安室は常温なんです」

 

知らなかった

 

「現状(げんじょう)維持が基本なんです」

 

 

すぐに、納棺して 葬儀屋さんに連れて行けば良かった

そうした方がいいと、だれも教えてくれなかった

 

 

 

何度も葬儀屋さんに処置してもらったが

元に戻すことはできず、維持することもできなかった

 

 

この変化は、徹底的に

家族を諦めさせてくれた

 

「眠っているような」「すぐ、目を覚ましそう」

息を吹き返すかもしれない

 

そのような希望など 微塵も与えてくれなかった

 

 

 

父は

末期がんだったが

ピンピン コロリ  だった

 

でも、このご時世

 

ピンピン コロリ

警察は、許してくれない

 

 

よくわかった

 

医者がそばにいないと

全部、不審死なのか

 

 

 

自分の家に戻って

まだ 匂う

 

喪服が匂う

 

 

 

 

 

 

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せっかちな人だった

2016年06月08日 | おとうちゃん

医師の予想では

正月頃の予定だった

癌の予定だった

 

予定通りに人生はすすまない

 

「今日は調子がいいから大丈夫」

父は母にゲートボールに行くよう勧めた

母は携帯電話を持たずにでかけた

 

12時ころ弟から、父が緊急搬送されたと連絡があった

 

調子がいいから、午前中 庭木の剪定をしていた

汗をかいた

お風呂を沸かし、一人で入った

 

2階にいた、義妹さんが宅急便を受け取るついでに

父の様子を見に来たのは11時ころ

父は湯船でなくなっていた

 

救急車を呼んだ

いつもの病院をお願いしたが

救命救急センターに運ばれた

医師から「30分で宣告」と言われ

義妹から電話がかかってきた

「私が宣告をうけていいでしょうか?」

「お願いします」と言った

 

旦那に帰宅してもらい、息子も戻り、実家に行った

母に電話をかけ続け、ようやくつながった

母は家の前で、ご近所さんと待っていた

 

義妹さんは、救急車に乗る前に、お隣に鍵を渡し

弟はお隣に電話をかけていた

母が家に戻るのをずっと待っていてくれた

母はもう知っていた

 

甥っ子と姪っ子がまだ学校

息子に留守番をさせ、病院に向かった

 

 

父はもう、霊安室にいた

病院に運ばれたときは、すでに心肺停止

変死扱いになり、警察がきていた

可愛そうに、義妹は1時間以上、尋問をうけていた

「形だけです」というが、しつこい

 

可愛そうに、父は警察に運ばれた

検死をしないと、帰れない

警察で一泊することになった

父は、小汚い、警察車両で病院をでた

 

父は、まだ温かく、やわらかかった

苦悶の表情はなく、おだやかだった

薬による、むくみもなくなっていた

苦しんだ様子はなかった

 

 

 

正月くらいの予定だった

癌で死ぬ予定だった

 

余命は8か月と聞いていた

 

3月もたなかった

 

 

実家に戻って、すぐ 警察が現場検証にきた

可愛そうに、義妹さん、また1時間以上 尋問された

 

「病気がわかってから、離れたことがないのに。なんで一人でお風呂にはいったんだろう」

母はないていた

 

「そいう人なんだよ。せっかちだから」

私も泣いた

 

実感がわかず、足元が宙に浮いている

実家に泊まる準備をして、 息子の制服にアイロンをかけて

数日家を空けてもいいように掃除をして

 

安定剤と眠剤を飲んだが

自分がここにいて、どこにいるのかわからない

 

私の心も、お父ちゃんの魂とおなじく、中有をさまよっている

 

もっとしっかりしないと、母を支えられない

 

 

全てが、あやふやで、

 

 

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