どこいくの?

2017年05月29日 | おとうちゃん



土曜日、息子が突然言い出す

「明日Dと東京のLOFTに行く」


「ん?LOFTなら、すごそこにあるじゃん」


「Dの欲しものは、東京のLOFTにしかないらしい」



「で。どこのLOFT?」

「だから、東京のLOFT」


うーん 東京にはLOFTたくさんあるんだけど・・・・  突っ込まないことにした


息子は自分から行動することがあまりないので、いつもⅮ君まかせ よくわかっていない

日曜日
朝9時 東京のLOFTに自転車で向かった
久しぶりのロングライド

帰ってきたのは7時
煤煙で顔が真っ黒^^


昼過ぎ、旦那のアイフォンでどこにいるのかチェックした 池袋にいた
(あの日以来、息子が出掛けると、不安で不安でしかたがない)

旦那は旦那で、いつでも現地に迎えに行けるよう、車の解体修理を我慢していた





何気なく聞いてみた

「浅草行って、湯島天神行って、池袋に行った。浅草まで2時間かかったけど、あとは楽だった」


へー池袋だけじゃないんだ

Ⅾ君の欲しいものはみつかったの?


「あった。俺新しい筆箱かった」

「お昼は?」

「牛丼特盛」


テンションが高いので、良くしゃべる

あと、2,3人、自転車仲間がいるといいねぇ


「うん」



何キロ走った?

「わかんねぇ Dはスマホアプリで計っているけど。100キロ以上かなぁ」


息子2度目の 冒険の書は 池袋のLOFTでした


田舎の子は、東京に行きたがるよね






コメント (8)
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がんばりましょう

2017年05月27日 | 日記


高校生の頃の思い出です

入学して、友達もあまりいなく、心細いまま、委員会に入り
そこで、先輩を含めて、10数人の男女混合仲良しグループができたのは
2学期に入ったころ


その中に、げんちゃんと呼ばれる、同学年の男子が気になっていた(好きだった)

げんちゃん
あだ名の由来は、原動付き自転車(原チャリ)の筆記試験に3回おちて、先輩にからかわれて げんちゃん と、呼ばれるようになった

そのころの流行りだからしかたない
げんちゃんは、アイパーをかけて、改造学生服を着て「中学の友達の暴走族がいる」と自慢していた
いかつい、見た目だったが、優しい男子だった


緩い委員会の、なんとなくのグループで、それぞれ部活したり、バイトしたり、同級生と遊んだりで
放課後だけの関わりだった

委員会室を覗き、誰かいるとおしゃべりして、盛り上がると
駅前の喫茶店に入ったり、お金がないと、マックに
全くお金がないと、駄菓子屋によって、おしゃべりしていた


げんちゃんが、のんちゃんことを好きなのはわかっていた


2年の夏休みあけ
廊下で呼び止められ「旅行のお土産だよ」と言って、小さな包みを貰った

男子から何かを貰うなんて初めてで

これだけで、もう ドキドキだった

こ・こ・これは・・・・告白 ? その 前触れ ?

先走る私は、廊下の隅で、急いで包みを開けた


キーホルダー

毛筆体の型抜きで、赤い塗装の










「努力」




えっ??? 一瞬だけ、「努力」から、なにかのメッセージを読み取ろうとした
意味なんてない  げんちゃんの趣味の キーホルダー だった






そのあと、のんちゃん
同じ包みを開けているのを、偶然見た

のんちゃんのキーホルダーもおんなじで
















「根性」





のんちゃん、複雑な表情だった(私も同じ顔してたと思う)





げんちゃん  何個キーホルダーを買ったのかわからないけど
何人かに、同じキーホルダーを配ったようだった



げんちゃんは、見た目はいかついけど、性格がいいので、モテていた

めぐちゃん・みどりちゃん・エミ先輩 告白されて付き合い始めるのに、2,3か月でなぜか振られる

なんとなく、その残念感わかる気がする



高校2年の3学期
学年末試験あと、2週間高校が休みになり、その後、終業式

げんちゃんとは同じクラスになったことはなく、教室での様子は全く知らなかった

げんちゃん 終業式にいなかった

ホームルームで、担任の先生が「転校した」と言っていた

そういう話を、友達を介して聞いた


げんちゃん 成績も出席日数も足らず、退学して、定時制高校にはいったらしい


放課後だけの関係だったので、住所も電話もわからない
連絡を取ろうとしても嫌がるかもしれない


かなりショックを受けた記憶があるが、仲良しグループの先輩たちも卒業して
そのまま同学年の友達も私も受験モードに突入した


成人式で一度だけ、げんちゃんと再会した
相変わらず、アイパーで、派手なスーツに口ひげを生やしていた

でも人懐こい性格は変わっていなかった

差し障りのない会話をして、終わった






なぜ、突然こんなことを思い出したのか?


旦那の会社に16歳の男子が正社員で入社して、その面倒を旦那が頼まれてしまった

「成績も出席日数も足りなくて、高2になれなかった。息子と同じ年じゃ、どうあつかったらいいのかわかんねぇ」

旦那がぼやいていた





げんちゃんを思い出すことは、結構多い




私は、音楽を聴くのが苦手
という残念な能力の持ち主で、なんとなくのCMソングで、サビの部分だけ、無意識に刷り込まれる程度


カラオケのお付き合いで、困らない程度のレパートリーはあるけど、まず、カラオケにはいかない



そんな私でも好き と言える 曲がある


スマップの初期の 曲だと思う

タイトルは「がんばりましょう」かな ?

「とおおきょ~お~タワーで むかし みかけた みやげものぉ~ はありつーぃてた ことばぁは努力根性うぉ~」


この曲のこの部分だけ が好きで、わざわざ聴こうとは思わないけど、偶然耳に入ると




「なんだか もう 元気になる」








旦那の会社の16歳 三日目から 来てないそうです















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父の日

2017年05月15日 | おとうちゃん


昨日、日曜日は、全国的に母の日でした

しかし、父の1周忌法要のため

私らは、父の日でした

去年の今頃は、積極的治療に意欲を燃やし
副作用に苦しんでいました


遺影の父は年を取らず、私たち家族は年を取りました

お寺さんの高いところに、父の戒名を書き込んだ卒塔婆が並べられ
父は、あちらの人になったのだ

そう思いました

マツリゴトの仕切りはいつも父でした

その父がマツラレ、弟が仕切っていました




お昼は、近所のお寿司屋さんでした
親族だけで、集まりました


お料理の最後にお蕎麦がでましたが

立派なお刺身とてんぷらを見て

育ち盛りの、男子二人は、最初に

「ご飯がないと食べられない」と主張し

大盛ご飯を別注し、食べきれない、叔父叔母の分も食べきり、母を喜ばせました


久しぶりにお会いした、母方のおじさんが、息子に「身長何センチ」と尋ね

息子は「176センチ」と答えていました


えっ 174センチだったよね
高校に入り、2センチ伸びていたようです
道理で、運動部辞めたのに、よく食べるはずです




穏やかな良い一日でした






父の葬儀。告別式のとき、ブラックフォーマルツーピース着たました
パツンパツンで、背中のジッパーが半分しか上がらず、上着で隠していたワタクシ

-5キロのおかげで、スッー と入り、ジッパーも何の抵抗もなく、上まで上がりました


重ね重ね、良い一日でした



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鯉ライダー

2017年05月08日 | 日記


1泊二日で、日光に行ってきた
「旅行はいいけど、親と同じ部屋に泊まるの無理」と息子に言われたので
1泊朝食付き、シングル3つのビジネスホテル(宇都宮)



日光東照宮 陽明門の平成大修理が終わって、一般公開になったということで、東照宮がメインイベント






無計画で出かけたので、大渋滞にはまり、東照宮のパーキングに近づくこともでえきず、初日は東照宮のは諦め、滝や湖に行った
翌朝、再挑戦
朝一で朝食を済ませ、パーキングが開く前にスタンバイ
無事、中に入ることができた

関東首都圏の小学生は、鎌倉か日光に修学旅行に行くことが多い。
息子は鎌倉
私と旦那は日光で

息子、初めての日光









陽明門




今回、私は自分の足腰の弱さに、自分で驚いてしまった
足底筋膜炎は、もう3年目にはいる
悪化させなうよう、痛い思いをしないよう気を付けてきた結果がよろしくなかった
普段使わない強めの薬や、インソールを用意して、痛い思いはあまりしなかったけど

つま先が上がらない、足が上がらない、小さい段差でもたつく、歩幅が狭い、下りが怖い


小一時間のトレッキングでも、私より年上の女性に、抜かれる 抜かれる







何度も待たせてしまいまった


帰宅後の疲労も、半端ではなく、筋肉痛やむくみで二日間 役立たずになり

どうでも、足底筋膜炎を治して、健脚になりたいと思う もう 願いに近い



52でこの体力でどうすんだ
20年後歩けなくなるんじゃないか


足腰強化が私の課題になりました



(息子は、旅行の翌日、彼女と水族館に行ったし、旦那は、門扉の修理してたし)





私ら3人は、同じ家で寝起きをしているけど、顔を合わせる時間は短く
土日なんて、ご飯の時間になると、リビングを覗きにくる程度のコミュニケーション


旅行にいくと、時間、視野、目的 を共有することができるので、普段より、濃い時間がもてたような気がする



息子は今回、どこに行って、何をするのか全く興味がなく、ただ車にのっているという姿勢だったけど、
パーキング渋滞にはまったとき、「東照宮とは、なんなのか」スマホで調べ、画像をみつけた

「東照宮って、たくさんあるけど、これ ?」


「徳川家康は死んだあと、仏にならずに、東照大権現サマになった。カミサマだから、あちこちに東照宮という神社がある。日光は一番お金をかけてて立派なんだよ。豊臣秀吉もカミサマになったけど、家康にデリートされたの。あの時代、生きてるころからヨシダさんやテンカイさんに、いいことをたくさんしておくと、カミサマにしてもらえたんだよ」

と、怪しげな解説をしたり  



トレッキングガイドマップを見ながら、「ここまで歩こう」と話し合ったり






混雑で行き場を失い、渋滞情報が出ていない小さい温泉にたどり着き、運よく「足湯」を見つけたり









父ちゃん大好物の連続カーブ「いろは坂」で 車酔いしたり

(父ちゃん 加減しない)









ただ、疲れに行くだけのGW旅行ではないと思えた



東照宮には、大昔、旦那と来た記憶があり
「こんなに混んでたっけ ?」「大修理の後だからなぁ」「ここ歩いたよね?」という会話が成立


しかし、滝には来ていなかったようで


「水量減ったよね?もっと迫力あった気がする」










「俺はあんたと、滝には来ていない 」と言われて、あらら~~ 



滝には来ていなかったようです(日光は日帰りで行かれます)





ところで、記事タイトルの「鯉ライダー」とは

東照宮は、うんざりするほど  彩色の木彫りがあり、「三猿」「眠り猫」が有名なのですが、一つ一つ鑑賞するには量が多すぎ、人も多すぎで


でも陽明門で見つけた 木彫りが気に入った



















鯉ライダー






あと  竜ライダー








なんか調子に乗っている顔が、族っぽくてよかったです






以上、日光国立公園 内   日光社寺群   中禅寺湖  華厳の滝  戦場ヶ原 あとギョーザの町  でした







※ 文章まとめるのに、3日かかり、読み返してみても、散らかった文章になってしまった
  気分はだいぶあがりましたが、脳の芯に力が入らない感じが残っています
  仕事のミスも多し
  


コメント (12)
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