拝啓 15の君へ

2016年01月20日 | 日記

お誕生日 おめでとうございます

君は1月生まれなので、同級生より遅く、15歳になりました

母は、無事15歳になったことで、根拠のない 安堵感を感じています

 

君が生まれる何年も前に、14歳の男子が恐ろしい事件をおこしました

その後も14歳が、大きな事件を起こすことが続き

マスコミは

「14歳の危機」と名付け、報道をしていました

どの子も、普通の子、「あんな事件を起こすような子には見えなかった」

という、関係者のコメントを新聞で読みました

 

母は君が10歳くらいから

漠然と、「君の14歳」が怖く感じ、「早く15歳になってほしい」

この1年 そう思ってきました

 

14も15も 記号のようなもので、突然何かが変わるわけではなく

君は、依然として、10代で、思春期で、

まだまだ、安心できない年ごろです

そして、君が得体のしれない 男子に見えます

 

「おかえり」と言ってあげられなくなったのは小学2年生でした

あのころの、君はなんとなく、親の事情を理解していて

父、母の役割が変わったことを、受け入れてくれました

君にも言いたいことがたくさんあったと思いますが、

何も言わず我慢をしてくれて、ありがとう

 

低学年の君はとてもいい子でした

学校から帰ると、まず お箸セットを自分で洗っていました

 

いつのまにか、君はお箸セットを出すことはできても

自分で洗わなくなりました

君を叱る元気がなかった、母は無言で洗うようになりました

 

中学に入って、君はお箸セットを出すことすらしなくなりました

部活が始まり、激しい筋肉痛で半べそかいて帰宅し、かばんは玄関に置きっぱなし

ちょっと可哀そう だと 思った 母が バカでした

母は、カバンからお箸セットを取り出し、洗って、またカバンにいれるという過保護をしてしまいました

 

何事も最初が肝心です

母は間違えてしまいました

 

部活のしごきに慣れたころ

母は、君に言いました

「自分で洗うか、洗わないか  どちらか一つだ」

 

君はお箸セットを洗わない選択をしました

あれから、2年と6か月 

 

母は一度も 君の 「おぞましいお箸セット」を見たことがありません

 

学校で食べる前に洗っているのですか?

箸箱にカビははえていませんか?

うがい用のコップの底に黒いものはありませんか?

 

君の皆勤賞は「お箸セット」おかげですか?

 

 

君は、もうすぐ中学を卒業し、どこかの高校に入学します

母はもう 「学校給食」の恩恵をうけることができなくなります

毎日、母弁当です

君が、弁当箱を洗わなかったら

その弁当箱に、翌朝、ためらいもせず、ご飯を詰める決意をしました

おかずも同様です

 

15歳になった君に お祝いの言葉をおくります

 

 

 

 

「お箸 腐ってんじゃないの!」

 

 

 

 

哺乳瓶中の 君  哺乳瓶の消毒は大変だった

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かんちがい ばっかり 今更紅白

2016年01月15日 | 日記

なんとなく耳にしていた

「セカオワ」「ゲス乙女」「バンチキ」「デジタル音源」「ラブライブ」

多分、旦那と息子の会話で覚えて、ネットで目に入って

興味がないから、スルーしてた

 

紅白歌合戦が録画してあった

 

3人が3人 見たい場面が違うので、3が日 息子と 旦那はそれぞれ

見たいところだけ、飛ばして見ていたようだった

それをちら見していた

 

昨日、電気点検が入った

時間が午後 3時までの間 というあいまいな 予定だったので

2時間遅刻で、調整した

ぽっかり時間が空いたので、「自分だけが見たい紅白」を見てみた

 

よくわからない グループが なんか歌っている

「おっ ゲスの極み乙女」か・・・

大晦日と今では、少し状況が違っている

「どの人が、ゲス男なんだ・・・」スキャンダル男はボーカルなのか?

・・・・・・・・

「ゲス乙女」ではなく 「セカオワ」だと気が付くのに時間がかかった

そのあと

「ゲス乙女」をちゃんと見たけど、顔が似ているような気がして

(イケメンではないよね) 覚えられそうにないし 覚える気がもない

 

息子が言ってた「ラブライブ」 アニメと聞いていたが

これも、女子の集合体で、他の集合体との 違いが覚えられそうにない

女子の集合体はみんな、頭の中で AKB に なってしまう

 

「バンチキ が バンプ オブ チキン」だと 認識ができた

 

「千本桜」小林幸子が歌うのか・・・・

旦那と息子が 不満そうだったのを覚えている

 

じゃあ 誰が歌っていたんだ ?  デジタル音源  何それ

 

私が見たかった 女性が 見つからない 見つからない みつからない

 

見つからないはずである

 

私は「竹内まりあ」が出ると思いこんでいたが

「今井美樹」の間違いだった

 

ジャニーズの「NEWS」は楽しめた

真ん中の子がお気に入りで、息子に似ている(名前は知らない)

その後ろで踊る ジュニア の中に 10歳くらいの男の子が数人いて

可愛いこと

 

 

勘違いばかりで、年齢をしみじみ感じたけど

これだけは自信があった

 

「妖怪ウオッチ」

私、完璧に踊れる (笑

 

 

米 ちゃんと調べていないので、アーティストさんの名前に誤りがあるかもしれませんが

 スルーしてください

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大みそかに詣でる 

2016年01月05日 | 日記

新年のご挨拶もせず

ブログの更新もできず、コメントも入れられず

申し訳ありませんでした

ワタシ、罰があたっていました(嘘です)

 

 

 

結婚して以来、大晦日は、私の実家過ごしている

かれこれ20年になる

お腹いっぱい食べたあと、腹ごなしに出かけるのが

「しばられ地蔵さん」 

しばられ地蔵さんはの縁起は「江戸時代の奉行 大岡越前」の事件簿に由来する

ちょっとお散歩するにはちょうどいい距離にある

 

このお寺さん

私が子供の頃は、よい遊び場になっていた

大して悪さをするわけではないが、境内で自由に遊んでいても

怒られるようなことはなかった

墓地と幼稚園経営をしていた

そこに、信じられない数の縄で縛られたお地蔵さんがいた

顔を見ることができなかった

 

「願掛けをしたいとき、家から縄を持っていき、お願いしながら、縄を巻く

願が叶ったら、縄を解きにいく」

父から教わった

 縄だけでなく、腰ひものようなものが巻かれていて、文字が書いてあるものもあった

 

幼稚園のない土日は、人がいることがほとんどなく

大人の目を盗んで遊べるお寺さんだった

いつも静かだった 地域のお地蔵さん

 

縄は埃と煤でどす黒く、ちぎれかけているものもあった

「願いはなかなか叶わない」 子ども心にそう思った

縄が減っていることも、増えていることもなく

ずっと同じだった

そのうち、私は大きくなり、遊びにいくようなこともなくなった

 

が、

ワタシが25歳くらいの頃、院主が代替わりし、その様子は一変した

比較的近隣にある柴又帝釈天と抱き合わせで、観光バスがくるようになった

なかなかの経営者

いつの間にやら、門構えが立派になり、塀も美しく作り直されていた

マスコミにも登場するようになった

 

大晦日は年々派手になっていった

「縄とき式」なる行事が始まったのも25年くらい前からだと思う

願をかけた人の都合には合わせず、縄を全部ほどいて、(切って)

お地蔵さんが1年に1回だけ、その姿を現すようになった

12時近くになると、お坊さんが数人、本堂から経を唱えながら出てきて

マイクの前で、さらに唱え、縛られ地蔵さんの縄を解く

縛られていない地蔵さんを初めて見たのは15年くらい前だと思う

普通のお地蔵さんだったので、がっかりした記憶がある

裸にされたようで、「寒そう」なんて思った

 

昨年、大晦日も、いつものように 縛られ地蔵さんまで歩いていった

 

旦那に聞いた

「初詣 したっけ ?」

「おれは、どこにもいってない」

「じゃぁ 大晦日に初詣か・・・」

毎年似たような話をしている

 

息子が小さい頃は、自宅の近所の神社に行っていたが

旦那が病んでしまってから、そういうこともできなくなった

今は、病んでいないらしいが、わざわざ 行くこともなくなった

 

この10年 大晦日に 縛られ地蔵さんにいくだけになっていた

性格の悪い私の楽しみは、

「今年はどのようなイベントがあるのか」 にしか興味がない

「坊主まるもうけ」 を見るのが好きなのだ

達磨さん販売・縄販売・破魔矢販売

次々増えている

 

 

 

 

 

 

NHKの生放送が入った年はさらに、演出が凝っていた

おぼうさん専用、特設花道が設置され

照明は、消され、松明やかがり火の明かりだけになった

 

今年は中継車がきていない

一昨年は、振袖をきた女性が二人、ニュース原稿の下読みをしていたのを見かけた

元旦のニュース用なのかな

 

 

しかし 寺社仏閣が好きな息子

今年初めて願をかけた

そう、「合格祈願」

100円で縄を購入して

 

 

スンゴイでしょう 

 

時間は夜 8時ころ

3時間後には、縄解かれてしまう

 

五色の幕が張られた小さいステージがあった

 

「お母ちゃん、明日ここで2回踊るのよ」

地域の日舞サークルに参加している母が笑った

他に、民謡、ジャズの演目があった

 

 

このようにして

例年通りの大晦日を過ごして、10時頃帰宅した

除夜の鐘が聞こえる頃、激しい悪寒と咽喉痛に襲われた

数日前から喉が痛かったが、高熱をだしてしまった

扁桃腺炎だった

 

正月3が日

寝ていることもできず、病院にもいけず、思い出したくもない時間をすごした

(ご想像におまかせします)

仕事始めの4日の午前中に病院に行き、午後から仕事に行ったときは

心底ほっとした

 

 

ということで

今年もよろしくお願いします 

遅いよね ごめんなさい

 

 

 

 

 

 

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする