父が施設に入所したのは母が亡くなる14ヶ月前2005年5月でした。
その年の1月15日、80歳の誕生日を迎えた父でしたが、翌日16日にトイレに行く時に足がもつれ転倒したのが発端でした。
その時は気付きませんでしたが、最初の症状として現れたのが足のもつれだったのです。
転倒したのは夜間でしたから、子供に出来るだけ迷惑を掛けたくない母は自分で父を起こそうとして自分も体を痛めました。
翌日、事の顛末を聞いた私は父を診察に連れて行きましたが特別な異常は見受けられないとの所見を受けて帰宅しました。
が、その夜も転倒したというので次の夜から実家に泊まることにしました。そして・・・父はその日から急激な変化を見せたのです。
その時に色々と力になってくれたのがケアマネージャーさんでした。ヘルパーさんを毎日派遣してくれるようにスケジュールを調整。そのヘルパーさんの報告を受けてケアマネさんも何度も訪問してくれました。
次の診察のために父の様子をメモに書きとめて置くようにと助言してくれたのもケアマネさんでした。
そのメモを見ながら当時の様子を思い起こしてみました。
翌朝はスプーンを口に運ぶことが出来なくなりました。その日のうちに幼児退行とも思える症状が現れ、私の感情を受けて父が涙を浮かべる事も
その翌日、早朝から間断なくうわ言をいうようになりました。せん妄の症状が現れたのです。トイレは介助すると何とか行くことは出来たものの便が出たかどうか自分では分からない。
薬の服用も困難になり衣服の着脱も出来なくなりました。どこから頭を入れるのか、腕はどこに入れるのか分からないのです。
担当医師は出張で不在でしたが、この日再受診のために病院へ行くことにしたのです。が、簡単な問診の結果認知症という事でそのまま帰宅せざるを得ませんでした。
せん妄は夜間のほうがひどくなりますから母も私も浅い眠りしかとることが出来ません。
せん妄に続いて幻覚が出てきました。目は異常にギラギラとして大声で威嚇したり、かと思えば怖がったり
トイレに行きたいという意思表示もなくなり、介助歩行も困難になってオムツを使用するしかなくなりました。
トイレでの排泄量は決して多くは無かったのに、オムツにしたら尿量だけでなく多量の便を排泄してシーツの下まで汚し、また普段は食が細くほとんど間食はしない父が袋菓子をペロッと食べてしまう。食欲にも異状が出てきていました。
椅子での座位保持も困難になり、ついには攻撃的な様相を呈すに至りました。自分に危害を加えると思うのかヘルパーさんにも暴言を吐き介助の手も払いのける。
夜昼なく、大声で叫んだり意味不明の事を喋りつづけ私も母も眠ることは出来ません。そして4日目の夜、ベッドの父を覗き込んだ母に父がつかみかかり普段では想像できない力で引っ張ったのです。変に力が掛かると母の体には大変なことになります。泣きたい思いで父の手を引き離しました。
母は父さんを殺して自分も死にたいけど、(リウマチの)この手ではそれも出来ないと嘆きました。
排泄の処置も大変だけれども、一番堪えたのは幻覚症状と攻撃性でした。
オムツを交換しようとして蹴られたり、食事のときも手を払いのけられたり
そんな状態を支えたのは担当医師が帰ってくるまでという思い。
20年来掛かっている病院で、大きな手術を受けたことも2度、3度。毎年のように入院し、一年の半分以上を病院で過ごしたこともある父です。
何の根拠もないのですが 担当医師の診察さえ受けられれば入院させてもらえるとの確信がありました。その思いだけで頑張ることが出来たのです。
診察の日、病院へ行くために福祉タクシーを予約してくれ、父を移乗させるために早朝から訪問してくれたケアマネさんでした。
それまでずーっと騒ぎ通した父が、その朝は眠りに落ちたまま起きません。その父に声をかけ身支度を整え車椅子に移乗させ、そしてタクシーに乗せて、出発するまで見送ってくれました。
入院できなかった場合の事まで心配してくれたケアマネさんには、いくら感謝しても足りません。
検査のときに暴れるかと心配していたのですが眠たい様子の父は暴れることも無く検査を受け、そのまま入院となりました。
これだけの急激な変化は医師にとっても初めての事だったようです。
まず、今まで服用していた薬を見直してみるけれども現在よりも悪い状態になることもありうる と言われました。
悪い状態になったとしてももう限界でした。 入院させてもらえるならそれ以外の選択肢は無かったのです。
2005年の今日、1月22日。父は入院しました。足のもつれという最初の症状が現れて7日後の事でした。
その年の1月15日、80歳の誕生日を迎えた父でしたが、翌日16日にトイレに行く時に足がもつれ転倒したのが発端でした。
その時は気付きませんでしたが、最初の症状として現れたのが足のもつれだったのです。
転倒したのは夜間でしたから、子供に出来るだけ迷惑を掛けたくない母は自分で父を起こそうとして自分も体を痛めました。
翌日、事の顛末を聞いた私は父を診察に連れて行きましたが特別な異常は見受けられないとの所見を受けて帰宅しました。
が、その夜も転倒したというので次の夜から実家に泊まることにしました。そして・・・父はその日から急激な変化を見せたのです。
その時に色々と力になってくれたのがケアマネージャーさんでした。ヘルパーさんを毎日派遣してくれるようにスケジュールを調整。そのヘルパーさんの報告を受けてケアマネさんも何度も訪問してくれました。
次の診察のために父の様子をメモに書きとめて置くようにと助言してくれたのもケアマネさんでした。
そのメモを見ながら当時の様子を思い起こしてみました。
翌朝はスプーンを口に運ぶことが出来なくなりました。その日のうちに幼児退行とも思える症状が現れ、私の感情を受けて父が涙を浮かべる事も

その翌日、早朝から間断なくうわ言をいうようになりました。せん妄の症状が現れたのです。トイレは介助すると何とか行くことは出来たものの便が出たかどうか自分では分からない。
薬の服用も困難になり衣服の着脱も出来なくなりました。どこから頭を入れるのか、腕はどこに入れるのか分からないのです。
担当医師は出張で不在でしたが、この日再受診のために病院へ行くことにしたのです。が、簡単な問診の結果認知症という事でそのまま帰宅せざるを得ませんでした。
せん妄は夜間のほうがひどくなりますから母も私も浅い眠りしかとることが出来ません。
せん妄に続いて幻覚が出てきました。目は異常にギラギラとして大声で威嚇したり、かと思えば怖がったり

トイレに行きたいという意思表示もなくなり、介助歩行も困難になってオムツを使用するしかなくなりました。
トイレでの排泄量は決して多くは無かったのに、オムツにしたら尿量だけでなく多量の便を排泄してシーツの下まで汚し、また普段は食が細くほとんど間食はしない父が袋菓子をペロッと食べてしまう。食欲にも異状が出てきていました。
椅子での座位保持も困難になり、ついには攻撃的な様相を呈すに至りました。自分に危害を加えると思うのかヘルパーさんにも暴言を吐き介助の手も払いのける。
夜昼なく、大声で叫んだり意味不明の事を喋りつづけ私も母も眠ることは出来ません。そして4日目の夜、ベッドの父を覗き込んだ母に父がつかみかかり普段では想像できない力で引っ張ったのです。変に力が掛かると母の体には大変なことになります。泣きたい思いで父の手を引き離しました。
母は父さんを殺して自分も死にたいけど、(リウマチの)この手ではそれも出来ないと嘆きました。
排泄の処置も大変だけれども、一番堪えたのは幻覚症状と攻撃性でした。
オムツを交換しようとして蹴られたり、食事のときも手を払いのけられたり

そんな状態を支えたのは担当医師が帰ってくるまでという思い。
20年来掛かっている病院で、大きな手術を受けたことも2度、3度。毎年のように入院し、一年の半分以上を病院で過ごしたこともある父です。
何の根拠もないのですが 担当医師の診察さえ受けられれば入院させてもらえるとの確信がありました。その思いだけで頑張ることが出来たのです。
診察の日、病院へ行くために福祉タクシーを予約してくれ、父を移乗させるために早朝から訪問してくれたケアマネさんでした。
それまでずーっと騒ぎ通した父が、その朝は眠りに落ちたまま起きません。その父に声をかけ身支度を整え車椅子に移乗させ、そしてタクシーに乗せて、出発するまで見送ってくれました。
入院できなかった場合の事まで心配してくれたケアマネさんには、いくら感謝しても足りません。
検査のときに暴れるかと心配していたのですが眠たい様子の父は暴れることも無く検査を受け、そのまま入院となりました。
これだけの急激な変化は医師にとっても初めての事だったようです。
まず、今まで服用していた薬を見直してみるけれども現在よりも悪い状態になることもありうる と言われました。
悪い状態になったとしてももう限界でした。 入院させてもらえるならそれ以外の選択肢は無かったのです。
2005年の今日、1月22日。父は入院しました。足のもつれという最初の症状が現れて7日後の事でした。