海とオルゴールBLOG

イルカにあえる海辺のカフェ『 海とオルゴール』さとみママからのお便りです

能登島イルカを保護する一委員として会を発足しました。

2011-11-08 21:34:32 | 能登島イルカウォッチング 観察日記

夏の疲れが出たのかな・・・シーズン中は、少ない頭数で、人のために純粋なイルカ達は、たくさんの愛を注いでくれた・・・
パタンとどこへ行ってしまったのか・・・どこ探してもイルカがいない。

・・・・イルカはもう居ないよ。でも、海とオルゴールには、たまに来ることがあります。
それは、わたしが長電話をしているときに限って猛スピードでジャンプをして、やって来ます。
この能登島には、もう居ないよ。でも、能登には居ます。
残念ながら何処にいると言うことは、お伝え出来ません。
能登島から、船で、約25分くらいかな・・・幸せに暮らしていました。

シーズン中は、がんばったイルカだから疲れを癒して欲しい思います。

11月5日午前9時15分頃 海とオルゴール店内からイルカ撮影 
猛スピード40キロ速度で、曇り空を映す海に現れた、3頭のイルカたち。 向って正面から撮影。


11月5日午前9時15分頃 海とオルゴール店内からイルカ撮影
向って右方向から撮影。3頭のイルカ。


11月5日午前9時15分頃
向って左方向から撮影。3頭のイルカ。


11月5日午前9時15分頃
向って左方向から撮影。子供イルカの尾っぽ。



11月5日午前11時頃
向って左方向。3頭のイルカ。


11月5日午前11時頃
向って左方向。3頭のイルカ。


11月6日 午前9時59分
イルカを必死になって探す、とうまじーちゃん。


11月6日 午前10時9分

他の方のお船です。寒そう~。



11月6日午前11時
雨の中、ご苦労さまです。


11月6日午前11時
カモメとわたしは、見ていました・・・。


11月6日午前11時10分
雲り空の中、お疲れさまです。


11月7日午後1時3分
雨の中寒くないのかな〜。


紅葉の秋・・・2001年~2011年。。。10年間の能登島イルカのストーリー
最初は、一隻の船で私はイルカを見に行った。けど今は違う・・・
イルカの頭数よりも船の隻数が多いことに、イルカの気持ちを考えたとき。大丈夫なのかなって心配になる。
どうしてだろう。それは、この10年間、イルカ達の心の中に入ってしまった私の心の中の、イルカへのメッセージ
なのかもしれない。

海は誰のものでにない。みんなのもの。もっとイルカに対するルールを急がねば・・・・



11月8日午前8時
ここに平和に暮らしていたことが、平和ではなくなったことを、知ることが大切だと思うよ。
毎日、嵐の日も、雨の日も、台風の日も、大雪の日も・・・晴れの日も、くもり空の日も・・・
どんな時も、この場所へ足を運んでいると、イルカの気配を感じない時があります。
気配がしない時は、船に乗らない。そう決めている。



11月8日午前8時

自然環境・動物愛護・環境省。。。と出向き、能登島イルカの現状を訴えた。
いつまでも能登島にいてほしいを願う気持ちから行動に出てしまいました。
もっとイルカ達に休息を与えて、ルールを・・・イルカを保護しないとめちゃくちゃに・・・。
能登島イルカを守る 保護する一員として。私はいつまでもイルカを見つめます。


わたしは、イルカたちを、これからも、ずっと遠くから見守って行きます。
また、イルカたちの近況をお伝えします。



今日は立冬だね

2011-11-08 20:39:23 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

今日は立冬だね。一眼レフのレンズをちょっと変えてみました。より鮮明になりました。
紅葉の能登半島を、海とオルゴールから眺めています。

向って右方向、祖母ヶ浦灯台。手前、釣りいかだ。


向って右方向、重蛇島、その向こうの街並みは穴水町。標高が高い山は輪島市。山のてっぺんに見える丸いものが、輪島の
高州山のレーダーサイトです。


先日、輪島市の窓岩海岸へ向うアクセスに、新しい道(確か、ふらっと訪夢付近の信号)から見ると、
この山になります。実際に輪島市からまじかに見ると、こんなに大きなレーダーサイトです。


向って左方向、水産試験場。山の麓に見えるのが、恵寿鳩ヶ丘病院。すっきり見えています。


今日から立冬ですね。冬の鳥が、海とオルゴールに訪れました。
首の長い鳥です。確か、鵜だったかな?
腹ばいになって撮影しました。
静かな午後を満喫しています。
無になる時間です。シーズンもガクンと終わりを告げ・・・静かな時間を満喫する海とオルゴールの空間です。


雲が手で掴みそうなくらい、雲が低く、ほのぼのしています。のんびりしています。
そんな日に、いらっしゃるお客様は、のんびり、何時間もゆっくり、じんのびして、なかなか帰りません。。。
2時間3時間があっという間に、そろそろと立ち上がり・・・また来るね・・・っておっしゃっていただける笑顔が
とっても、励みになります。
とっておきの時間をお楽しみいただける、海とオルゴールになりました。


夏に咲かなかったハイビスカスの原種。今、元気に花咲きました。
なんども、なんども・・・咲いてくれてありがとう・・・って、花にむかってお辞儀をしました。


バラ(ミラト)が咲きました。隅っこで咲いている気配がして、覗いてみると、素敵な赤色に、
惚れ惚れして、いっとき見入っていました。


海とオルゴールからのお知らせ

11月 9日 午後3時半でクローズします。ご迷惑をおかけします。 午前9時~午後3時半まで営業です。

11月10日 さとみママ休日です。スタッフのななちゃんがお店にいます。午前10時~午後5時まで営業です。




秋の陽だまりの中で

2011-11-08 18:29:38 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

昭和の喫茶店の雰囲気が漂う・・・おしぼり。
山中温泉の喫茶ルーブル(山中温泉の消防署の横、今は建物だけになっていますが・・)
に働いていた頃、いつも巻いていたおしぼりの巻き方があります。
ひとつひとつ丁寧に、それから、巻くときは、気持ちを込めて巻くように、今日訪れる大切なお客様に使っていただく
あたたかい気持ちを静かな時間、心注ぎます。

(11月4日 朝の支度。。。店内テーブルにて)


11月だとは、思えないぽかぽか陽気で、つぎつぎとバラが咲きだしました。
夏の終わりにバラの剪定をしたせいか、思いっきり咲き出しています。また、満開にならないかなぁ~って。。
太陽に照らされて誇らしげに咲いているバラたちを、眺めていました。

(11月4日午後 晴れ 海とオルゴール小さなガーデンで咲いているイエローローズ)


11月だというのに・・・まだまだ元気にハイビスカスが咲いています。
心も元気になれますように・・・真っ赤なハイビスカスの力強さに心導かれます。

(11月4日午後 晴れ 海とオルゴール小さな庭 赤ハイビスカス)


シンガポールから来店!単語を並べて話していると、お隣にいたお客様が、「英会話できます!」ご親切に、通訳して
くださって・・助かりました。
→こちらから、外国人向けサイトに飛びます。http://experience-kanazawa.com/restaurant/list_noto.html



海とオルゴールのクローズの時間は午後5時です。
午後5時45分日が暮れるのが早いですね。シンガポールのお客様ご来店ありがとうございました。


海とオルゴール一言ノート。何冊目?
後日、一言ノート更新します。


能登の食材・・・金時草や大根や白菜が今、旬をむかえています。
少し、体調がマイナスかも・・って思ったとき、能登の元気な野菜を食すると、自分は元気をもらうことがあります。
海の幸・畑の恵み・・・紅葉の能登半島を満喫できる今ある幸せが、ナイスな日々です。
もうひとつ記事を更新します。あと3時間後くらいに・・・「能登島イルカの近況」報告!





西塚栄治さん縁(ゆかり)の人が来店しました。

2011-11-08 00:19:37 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

11月1日、チューリップの球根を植えて、それから草木の手入れをして、合羽姿で泥だらけになって、庭にいると、
一台の車が駐車場に入り、ドアが開いた。
慌てて、ごめんなさいね。今、すぐ準備します。。。
すると、照れくさそうに、恥ずかしそうに、わたしに、声をかけてくれた。
あの時は・・・どうもありがとうございました。
輪島から来てくれた、故西塚栄治先生の縁(ゆかり)の浦田正人さんでした。
西塚栄治先生が亡くなられた年に、浦田正人さんから電話をいただきました。加賀屋にわたしが勤務していた時に
毎年、七夕の日に、匠の会(石川県伝統工芸士が年に一回集う加賀屋ゆかりの作家たち)で、わたしは西塚栄治先生との
年に一回お会いする日を、励みに頑張っていました。西塚栄治先生も、わたしとの出会いを心待ちにしていたと伺っていました。
二人とも、何をするわけでもなく、お見合いみたいに・・・当時のことを振り返ると、お互い手も握らず、心と心が通う合う・・・
兄と妹のような・・・親戚のような・・・なんとも、純な二人でした。
特別なとっておきの素敵な方でした。
とっておきの作家さんに、とっておきの接待をする役割がわたしの使命でした。
その中でも、同じ輪島ともあり、ぎこちない、輪島べんまるだしでお話する先生のお人柄に、いつも魅力を感じながら、
ほんのひと時の・・・憧れのひと時だったような・・・
加賀屋を辞めてからも、親交があり、お互いを気遣い、どんな時も、気にかけていた存在だった大切な方でした。
生前、わたしのことを、加賀屋で勤務していた時の源氏名、「春菜」でわたしを呼ぶ先生だったので、
浦田正人さんも、わたしを呼ぶ時には、春菜さんと読んでくださいました。
なんだか・・・なんとも言えない気持ちに心がふわふわしました。
西塚先生がお亡くなりになられてからしばらくして井波先生から、出版社より、西塚栄治先生の写真を提供していただきたいとの話がありました。
その時に、なかなか画像ファイルを探すと、画像を小さく縮小してしまい、元のデーターを消去してしまったことを伝えていました。
ところが一枚だけ、元のデーターがそのままあることを数日後に気づき・・・遅かったかな・・
でも、今は必要がなくても、わたしは、西塚栄治先生の写真を保存しています。
体が悪くなり、それでも、わたしのところには、這ってでも来た方でした。
先生の面影を今も鮮明に思い出してしまいます。

浦田正人さんが言う。「先生の今日は11月1日命日に来ました」
なんども、わたしに会おうとし、店の前を通過してしまったって言う・・・
 
俺んとこ 昼電話しても出んぞ
なんで・・先生なんでなん
昼間はいろんなもんから電話がかかってくる うっせぇ~やろ そやし(だから)・・よさり(夜)仕事するげん
作品には、余計な神経は注がず、集中して芸を成す。こだわりと先生独自のセンスがあった。

浦田正人さんが弱気な声で話す。
先生は、作品には厳しい人でした。怒ってくれる先生も居なくなって・・・
寂しいです。自分の初めての作品の出品は、先生もドキドキして初入選には涙を流して良かったなぁ!とか審査
員の方々に、ありがとうと言い、挨拶をしていただき、心から喜んでくれました。

それから初入選した時にはお祝いもしてくれました。
「子供の様に・・弟子の様に・・」だから、妻や両親は、西塚栄治先生には恩を無にしたらいけないと。
闘病中はほんとに大変な時期でした。身体の自由が効かなくなってからも、先生の手助けができで僕は・・・・・(声を詰らせる)

病院への送り迎えなどプリンが食べたいと言えば、プリンを買って先生に届けたこと。
いつも、ありがとうと。
楽しい所にも一緒に行きました。
食事にも一緒に行きました。
浅蔵五十吉先生にも百貫俊夫先生にも先生のお陰で紹介していただきました。
言葉には出来ないほど、感謝してます。絶対に先生のこと忘れません。

わたしは、彼を誘った。加賀屋雪月花エレベーター前。西塚栄治作。
そこには言葉を越えた 人と人との会話があった
やさしい人が・・・やさしい声をかけて これから先も広がる勇気をもらえる迫力をいただいた日でもあったかもしれない。
ひとつひとつの思い。情熱の芸に、もう一度触れさせていただいた最高の命日でした。

浦田正人さんへ。海とオルゴールの春菜の場所へ来てくれてありがとうございました。
またここで(加賀屋)で先生と出会えた瞬間をいただきました。



「あえの風」、西の風館内にて。


浦田正人さんと作品(浦田さん独自の赤を強調した、くじらと東京スカイツリー)。


素晴らしい出会いに感謝。そして浦田さんの作品が世界に羽ばたきますように、心より願っています。