憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

小さなヒビだったのか?

2021-04-17 16:13:55 | 小室
上皇の御学友明石元紹氏は

「眞子さまと小室さんの問題は、瓦解(がかい)への引き金を引いたにすぎない。」AERA.dot 4/16(金) 18:23配信 

と語った。
あれは、瓦解の始まる小さなヒビだったのだろうか、と思う。

上皇と上皇后が手を取り合ってスケートリンクへ滑り出た姿だか、ダンスする姿だったかに
「こんなものを見るために我々は皇太子を守ってきたのではない!」
と、憤然として皇太子から離れた学友達がいたという記事を読んだことがある。
明石氏と同じように学習院の幼稚園時代から上皇の御学友になり、疎開先で起居を共にして育った方々だったが、明石氏も離れることは無かったが内心ゲンナリされていたのかと思う。
生前退位の一連の番組中、上皇を語る明石氏はどことなく第三者的で時折辛辣だったが。



御学友が憤然としたというのは、このような姿だったのか?
確かに現在の皇室の有様はここから始まっていたと言えなくもない。

国民は美智子妃殿下の美貌にのぼせあがっていたので、何も見えていなかったのでしょう。



それにしても、眞子内親王が瓦解の引き金となったとは凄いですね。
清王朝は辛亥革命が引き金となって消滅しましたが、眞子内親王の一人の男への執着が2000年続いた皇室を終焉させるとは。

孟姜女は泣きて万里の長城崩れゆく。 

2000年の皇室を瓦解させるほどの執念で想われた小室はどんな気持ちなのでしょうか。
小室文書からも行動からも、いや、婚約内定会見でさえ、眞子内親王への積極的な愛情を感じられないのですが?


黄昏の皇宮・・・御学友明石氏が語る皇室の終焉

2021-04-17 11:23:33 | 皇室
イギリスの中国学者で清朝最後の皇帝溥儀の家庭教師を務めたレジナルド・ジョンストンは1934年『紫禁城の黄昏』(原題Twilight in the Forbidden City)を溥儀に捧げて著した。

上皇の御学友明石元紹氏 が皇室の終焉を語っている。

朝日新聞は左系ですから明石氏を語るところを皇室への批判とのみ読むかたもいるだろうが、よく読めばこれは皇室の現況を招いた二つの思想への批判だろうと私は思います。


小室さん文書問題を上皇さまの同級生が嘆く「皇室の時代は終わった」〈dot.〉
AERA.dot 4/16(金) 18:23配信
 司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた陸軍情報将校、明石元二郎の孫であり、上皇さまの同級生として知られる明石元紹氏(87)。学習院の幼稚園で明仁親王に出会い、80年以上の歳月が過ぎた。戦時下では明仁皇太子とともに日光で疎開生活を送り、高等科ではともに馬術部で青春を過ごした。皇室を見守り続けてきた明石さんは、眞子さまと小室圭さんの結婚問題に何を思ったのか…。 
帝国ホテル写真館で元婚約者からプレゼントされた靴を履いてポーズをとる小室。
この後「三人で家族写真を」とうながされて「家族ではありませんから。」とピシャリとはねつけた佳代さん。
写真代は元婚約者が支払う。


二つの思想 その1
 日本の皇室を他国の王室と同じとする思想。
「もう、生まれながらにして特権的な身分を持つ王室や皇室が存在できる時代は、終わったのでしょう。それどころか、もう取り返しのつかないところまで来ている。眞子さまの結婚問題を通じて、わたしはそう感じました」  お金でトラブルを起こし、自分たちの要求だけを28枚の文書にまとめた小室さんという男性の生き方。そうした男性を魅力的だと受け止める内親王のふるまいからは不安しか感じない、と明石さんはため息をつく。 


二つの思想 その2
 個人的な理解によるキリスト教思想。
国民の幸せを祈り、世界の平和を願う――。  それが皇室の人間の大切な務めであるはずであった。

終戦から間もなく、明仁皇太子の教育を担う参与となったのは慶応義塾大学塾長を務めた小泉信三だ。近代皇室は欧州の王室から帝王学を学んだ。英国王ジョージ5世の在位期(1910-1936年)。第一次世界大戦などの混乱によって多くの国で君主制が廃止された。その激動期でも英国民が安定感を失わなかったのは、ジョージ5世王の主義と信念の一貫に負うところがあった。  小泉は福沢諭吉の『帝室論』や英国王の伝記をもとに、そう君主の姿を説いたのだ。王の生活は責任と負担ばかりで、慰楽と休息が少ないこと。無私聡明(そうめい)、道徳的に信用ある人格を持つためには、どうするべきか。その教材が英国王の伝記『ジョージ5世伝』であった。 

「無私の心で国民に心を寄せる―。その役目を担うのは天皇だけではない。皇室のすべての方のお役目でもあるはずです」(明石さん) 

赤字の部分は、国学を代表とする伝統的な天皇、即ち聖帝の姿です。
 明治以降、伝統的天皇に欧州王室の良いところを合わせたら東西融合の新しい帝王像となるという考え方はあったようだ。
しかし、それはあくまでも東洋的な理想の聖帝論を軸としていた。
 小泉信三がキリスト教的世界観から理想とみた『ジョージ5世伝』をテキストに選んだのが間違いの始まりだった。
 クリスチャンはクリスチャンの世界観で世界を見る。
 仏教徒は仏教の世界観で世界を見る。
 ゲーム脳になると世界がゲームの世界に見えるそうだ。
 頭の柔らかい時期、バーニング夫人、小泉信三からキリスト教的世界観での理想の人間像を吹き込まれた英明ではない上皇はキリスト教に変にかぶれて思い悩み聖帝になり損なってしまった。
そこが若き日ジョージ5世に出会って、その姿に感銘を受けながらも、聖帝を目指して名君になられた昭和天皇との違いである。

「皇室が国民の考えを理解し寄り添うのはいい。しかし肝心なのは、理解することによって、何が生み出されるのか、です。皇室の人間としての立場や取るべき行動は一般の人たちとは異なります。きゅう屈な皇室を出て、一般の人たちと同じ生活を、ただ喜んでいるだけでは皇族としての務めは果たせません」(明石さん)

→この部分、「平成流」と平成流を継承する令和の皇室への批判だろう。

 先の小泉信三は皇室の役割について、「民心融和の中心」だと説いた。皇室のメンバーには、そうした自覚が必要だと明石さんは話す。
 
→これを説くのに『ジョージ5世伝』をテキストにするのは、無理があったのではないでしょうか。
いうまでもなく『ジョージ5世伝』はキリスト教的世界観から書かれている。
どこの国でも同じような言葉で理想の人間像を語る。
しかし、同じ言葉でもその背後にあるものが同じとは限らない。
「民族融和の中心」という言葉の背景にあるものも西洋と東洋では同じとは限らない。

 海外の王室も日本の皇室も時の権力や政治、そして外交に利用され、翻弄されながらも国民に対して誠実さを示し、互いの信頼関係を築くことで存続してきた。  そのためには『無私であれ』、『私』よりも国民の幸せを願った生き方への覚悟が必要だ。だが、それを若い世代の皇族方に望むのは酷であり、不可能な時代になった、と明石さんは言う。「公」を優先させる皇室で、生きよと望んだところで、矛盾しか生じない。 
 
→ほらね。これでは皇室が「自分達皇室が生きる残るためには、国民に無私の姿、寄り添う姿を公に見せなくてはならない。」
という志向になっても仕方ない。
「皇室が存続するために無私になる。」って、思い切り矛盾した考え方ですね。
皇室自らが矛盾したことを考えているから、存続に疑問を持つ者も出てくるのでしょう。

「眞子さまの結婚問題が皇室への敬愛や支持を失わせるきっかけとなったのは、確かです。ただ、若い世代の皇族方にそうした皇室教育を行ってきたご両親方や祖父母世代にも責任はあると思っています。皇室制度そのものに、すでにほころびは生じていた。眞子さまと小室さんの問題は、瓦解(がかい)への引き金を引いたにすぎない。皇室はもはや異質な存在になりつつあると感じます。日本は、皇室を必要としない国へと成熟したのではないでしょうか」

→皇室は昭和で終わっていた。昭和天皇は聖帝を理想とした最後の天皇だった。
 明石氏が本当に批判したいのは、上皇上皇后でしょうか。
 「ご両親」では無く「ご両親方」は、秋篠宮殿下夫妻と令和の天皇夫妻を指すものでしょうから、上皇上皇后の教育に問題がある。と。
その上皇上皇后の教育方針とは・・・。

明石氏のコメントに「皇室は終わった。」という思いを強くする人もいるだろうが、私はかすかな希望をもっている。

憲法に男系男子継承の条項が有る限り皇室は終わらない。
入れ物さえ残しておけば、いつか英明な真の天皇が即位する日が来るかもしれない。
憲法が女系天皇を認めたその日、名実ともに天皇の歴史は終わるのだ。