

前記事に過ちがありました。
それで、軽井沢の「大日向地区」から渡辺さんと原さんを呼びよせたのではないか、と推察をしたのですが、それは過ちでした。
お詫びして、前記事の該当部分を削除いたしました。
那須町「大日向地区」は存在しました。
存在しましたが、後述するようにほぼ消滅状態のようです。
だから、検索してもヒットしなかったのでしょう。

27日朝5時にネットニュースに流された読売新聞の記事。
両陛下硫黄島に心寄せ 旧島民と懇談 那須に入植 開拓史に光
2025/08/27 05:00
天皇、皇后両陛下は26日、那須町の那須御用邸で、太平洋戦争の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)出身で戦後に同町の大日向地区に移住した女性2人と懇談された。戦後80年の今年、旧島民による開拓史に光が当たることに対し、関係者からは期待の声が上がった。(近藤龍、木村彩乃)
懇談には、旧島民とその親族計4人が出席した。両陛下は、戦時中の悲惨な体験に深くうなずきながら、真剣に耳を傾けられたという。
「(両陛下が)温かい気持ちで接してくれてありがたい。皇室が硫黄島をいつも気にかけてくださって感謝しています」。旧島民の渡部敦子さん(95)は、懇談後の報道陣の取材に応じ、感慨深げに語った。
同じく旧島民の原ヤイ子さん(94)は、1946年に開拓団の一員として入植した「開拓1世」。原さんは、両陛下が今年4月に硫黄島を訪問されたことについて「ありがとうと言いました」と振り返った。
那須歴史探訪館(同町芦野)によると、戦況が激化していた44年7月、硫黄島の1000人以上の島民のうち、高齢者や女性、子どもが軍によって本土に強制疎開させられ、終戦を迎えた。16~45歳の男子は軍属として動員するために島に残され、ほとんどが戦死した。
終戦直前の45年8月12日、東京都が那須の国有林約16ヘクタールの払い下げを受け、「東京都那須農場」を設立する。大日向地区の開拓はここから始まった。
戦後、小笠原諸島や八丈島など島しょ部からの強制疎開者に土地が割り当てられ、硫黄島出身者は46年に21戸が入植した。農業の知識は十分ではなく、また知識があったとしても亜熱帯気候の硫黄島と寒冷な那須とでは気候が大きく異なり、作物を育てるのは容易ではなかった。
県内の近現代史に詳しい同館の作間亮哉学芸員は、大日向地区周辺について、「地質的にも水が抜けやすく、那須岳から吹き下ろす冷たい風『那須おろし』の影響もあり、農作物の栽培には適していなかったのではないか」と指摘する。当時の生活は厳しく、セリやオオバコなどの野草を採取して空腹をしのいでいたという。結核や栄養失調で倒れる人も少なくなかった。
生活が安定するようになったのは、戦後20年以上たってからだ。収量の少なかったコメやムギの栽培から酪農への転換が進んだ。さらに近くに 灌漑かんがい 用のため池としてりんどう湖も整備され、開田が進んだ。
しかし、親類を頼って東京近辺など町外へ転出した旧島民も少なくなかった。高齢化も進み、同地区に現在も住む旧島民の「開拓1世」はわずかだ。島は68年に米国から返還されたが、政府は火山活動などで「定住は困難」として帰島を認めていない。
作間学芸員は「他の島からの入植者は返還後に故郷に帰れたが、硫黄島民は帰りたくても帰れない。彼らだけの苦しみがあったはず」と語る。「那須の開拓史は他の地域に焦点が当てられがちだった。両陛下が懇談の場を設けられたことで、旧島民に注目が集まることは意義深い」と強調した。
那須の開拓史で有名なのは
「日本遺産」に認定された明治期の華族農場を中心とする那須野が原。


那須疎水取水口
戦後、満州からの引き揚げた「千振開拓団」が入植した千振地区

千振地区には平成の天皇皇后が訪問
歌碑がある。

たうもろこしの畑続ける那須山麓
かの日を耐へし開拓者訪ふ
かの日を耐へし開拓者訪ふ
平成17年9月2日 天皇皇后両陛下他訪問時
那須野が原、千振地区は那須開拓史上大いに知られているようですが、那須大日向が知られていないのは、その歴史的背景が上の二つの地区と違うからでしょうね。
野が原はなんと言っても「日本遺産」と認定され、千振は満州で開拓を成功させた「千振開拓団」が入植、苦難はあったが開拓に成功したことは見ての通りです。両地区とも現在は開拓地そのものが観光資産となっている様子。
「大日向地区」はほぼ消滅?
大日向地区には、硫黄島から二十数戸が移住したが、厳しい生活に離農が続き、現在住んでいるのは4戸だけになった。
地区周辺は別荘地になり、往事がそのばれるものは殆ど残っていない。
最も厳しい時代を知る開拓1世で、那須に残っているのは原さんだけになった。
(朝日新聞有料記事抜粋まとめ)
硫黄島への帰島を願いながら続けられた不毛の地の開拓作業を思うと、胸が締め付けられるような思いがします。
硫黄島から那須の開拓地へ入植した人々がいたこと、私は初めて知りました。
しかし、那須に頻繁にご静養に行かれていた今上ご夫妻は知らなかったのでしょうか。

戦後80年慰霊の旅、硫黄島訪問関連で「今上ご夫妻、硫黄島戦争体験者ご面会の図」が欲しいからと、静養のついでにお呼び出しとは…

今上ご夫妻との面会を終えて、疲れ切って複雑な表情を浮かべる二人の女性。
「こんなことのために私たちは呼び出されたの?」「陛下が話を聞いてくださるってこんなことだったの?」とでも言いたげな…
報道記事の「(両陛下が)温かい気持ちで接してくれてありがたい。皇室が硫黄島をいつも気にかけてくださって感謝しています」
「ありがとうといいました」
という言葉が空しく聞こえます。
那須歴史博物館の学芸員は
「両陛下が懇談の場を設けられたことで、旧島民に注目が集まることは意義深い」
と語るが、、、たしかに、私のように硫黄島民のその後を知って驚く者もいるだろうが、陛下はどうなの?
懇談を済ませて部屋を出たら、途端に「愛子は今頃何しているかしら」「早く来てくれるといいですね。」と、おしゃべりしながら愛子さまの到着を待ちわびていらっしゃると思いますよ。
面会時間を静養初日の夕方に設定したのは「うっとおしい事はサッサと済ませて、後はゆっくりのんびり」したかったからじゃないのぉ~?