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憂国の花束

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祖国日本よ! 誇り高くあれ。

【訂正】那須町大日向地区について

2025-08-27 23:32:20 | 令和の天皇家




前記事に過ちがありました。

渡辺敦子さん(95)原ヤイ子さん(93)が暮らしていると書かれた那須大日向地区の情報を得ようとして検索しても出てくるのは、軽井沢の「大日向地区」「大日向開拓地」ばかり。
それで、軽井沢の「大日向地区」から渡辺さんと原さんを呼びよせたのではないか、と推察をしたのですが、それは過ちでした。
お詫びして、前記事の該当部分を削除いたしました。

那須町「大日向地区」は存在しました。
存在しましたが、後述するようにほぼ消滅状態のようです。
だから、検索してもヒットしなかったのでしょう。



27日朝5時にネットニュースに流された読売新聞の記事。

両陛下硫黄島に心寄せ 旧島民と懇談 那須に入植 開拓史に光
2025/08/27 05:00
天皇、皇后両陛下は26日、那須町の那須御用邸で、太平洋戦争の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)出身で戦後に同町の大日向地区に移住した女性2人と懇談された。戦後80年の今年、旧島民による開拓史に光が当たることに対し、関係者からは期待の声が上がった。(近藤龍、木村彩乃) 

懇談には、旧島民とその親族計4人が出席した。両陛下は、戦時中の悲惨な体験に深くうなずきながら、真剣に耳を傾けられたという。 

 「(両陛下が)温かい気持ちで接してくれてありがたい。皇室が硫黄島をいつも気にかけてくださって感謝しています」。旧島民の渡部敦子さん(95)は、懇談後の報道陣の取材に応じ、感慨深げに語った。 

同じく旧島民の原ヤイ子さん(94)は、1946年に開拓団の一員として入植した「開拓1世」。原さんは、両陛下が今年4月に硫黄島を訪問されたことについて「ありがとうと言いました」と振り返った。 

那須歴史探訪館(同町芦野)によると、戦況が激化していた44年7月、硫黄島の1000人以上の島民のうち、高齢者や女性、子どもが軍によって本土に強制疎開させられ、終戦を迎えた。16~45歳の男子は軍属として動員するために島に残され、ほとんどが戦死した。 

終戦直前の45年8月12日、東京都が那須の国有林約16ヘクタールの払い下げを受け、「東京都那須農場」を設立する。大日向地区の開拓はここから始まった。 

戦後、小笠原諸島や八丈島など島しょ部からの強制疎開者に土地が割り当てられ、硫黄島出身者は46年に21戸が入植した。農業の知識は十分ではなく、また知識があったとしても亜熱帯気候の硫黄島と寒冷な那須とでは気候が大きく異なり、作物を育てるのは容易ではなかった。 

県内の近現代史に詳しい同館の作間亮哉学芸員は、大日向地区周辺について、「地質的にも水が抜けやすく、那須岳から吹き下ろす冷たい風『那須おろし』の影響もあり、農作物の栽培には適していなかったのではないか」と指摘する。当時の生活は厳しく、セリやオオバコなどの野草を採取して空腹をしのいでいたという。結核や栄養失調で倒れる人も少なくなかった。 

 生活が安定するようになったのは、戦後20年以上たってからだ。収量の少なかったコメやムギの栽培から酪農への転換が進んだ。さらに近くに 灌漑かんがい 用のため池としてりんどう湖も整備され、開田が進んだ。 

しかし、親類を頼って東京近辺など町外へ転出した旧島民も少なくなかった。高齢化も進み、同地区に現在も住む旧島民の「開拓1世」はわずかだ。島は68年に米国から返還されたが、政府は火山活動などで「定住は困難」として帰島を認めていない。 

作間学芸員は「他の島からの入植者は返還後に故郷に帰れたが、硫黄島民は帰りたくても帰れない。彼らだけの苦しみがあったはず」と語る。「那須の開拓史は他の地域に焦点が当てられがちだった。両陛下が懇談の場を設けられたことで、旧島民に注目が集まることは意義深い」と強調した。 

那須の開拓史で有名なのは
「日本遺産」に認定された明治期の華族農場を中心とする那須野が原。


那須疎水取水口

戦後、満州からの引き揚げた「千振開拓団」が入植した千振地区

千振地区には平成の天皇皇后が訪問
歌碑がある。

たうもろこしの畑続ける那須山麓
かの日を耐へし開拓者訪ふ
平成17年9月2日 天皇皇后両陛下他訪問時

那須野が原、千振地区は那須開拓史上大いに知られているようですが、那須大日向が知られていないのは、その歴史的背景が上の二つの地区と違うからでしょうね。
野が原はなんと言っても「日本遺産」と認定され、千振は満州で開拓を成功させた「千振開拓団」が入植、苦難はあったが開拓に成功したことは見ての通りです。両地区とも現在は開拓地そのものが観光資産となっている様子。

「大日向地区」はほぼ消滅?
大日向地区には、硫黄島から二十数戸が移住したが、厳しい生活に離農が続き、現在住んでいるのは4戸だけになった。
地区周辺は別荘地になり、往事がそのばれるものは殆ど残っていない。
最も厳しい時代を知る開拓1世で、那須に残っているのは原さんだけになった。
(朝日新聞有料記事抜粋まとめ)

硫黄島への帰島を願いながら続けられた不毛の地の開拓作業を思うと、胸が締め付けられるような思いがします。
硫黄島から那須の開拓地へ入植した人々がいたこと、私は初めて知りました。
しかし、那須に頻繁にご静養に行かれていた今上ご夫妻は知らなかったのでしょうか。



戦後80年慰霊の旅、硫黄島訪問関連で「今上ご夫妻、硫黄島戦争体験者ご面会の図」が欲しいからと、静養のついでにお呼び出しとは…


今上ご夫妻との面会を終えて、疲れ切って複雑な表情を浮かべる二人の女性。
「こんなことのために私たちは呼び出されたの?」「陛下が話を聞いてくださるってこんなことだったの?」とでも言いたげな…

報道記事の「(両陛下が)温かい気持ちで接してくれてありがたい。皇室が硫黄島をいつも気にかけてくださって感謝しています」
「ありがとうといいました」
という言葉が空しく聞こえます。

那須歴史博物館の学芸員は
両陛下が懇談の場を設けられたことで、旧島民に注目が集まることは意義深い」
と語るが、、、たしかに、私のように硫黄島民のその後を知って驚く者もいるだろうが、陛下はどうなの?
懇談を済ませて部屋を出たら、途端に「愛子は今頃何しているかしら」「早く来てくれるといいですね。」と、おしゃべりしながら愛子さまの到着を待ちわびていらっしゃると思いますよ。

面会時間を静養初日の夕方に設定したのは「うっとおしい事はサッサと済ませて、後はゆっくりのんびり」したかったからじゃないのぉ~?


26日 今上ご夫妻 ダンマリで3度目の静養へ

2025-08-27 01:59:20 | 令和の天皇家
今週は予定を発表させなかった今上ご夫妻
今夏3度目のご静養にこそっとお出まし。

居候3杯目はそっと出し
3度目は黙って出かけるご静養


26日、午後3時を過ぎるころから、「X」上に東北道での目撃情報が投稿されるようになった。

夕刻、報道各社が今上ご夫妻が26日から那須御用邸で静養に入られたことを一斉に報じたが、何日までご滞在かは不明。




今夏、三度目のご静養。
ネットの「遊んでばっかり」という声を気にされたのか、
とってつけたように「硫黄島」から疎開して那須の住人となった元島民とご面会。
今までかれこれ30年毎年那須で静養してきたのに、何を今更?
「どうぶつ王国」で遊ぶのに忙しくて「硫黄島」まで気が回らなかった?

「硫黄島」の住人に対しては、硫黄島での地上戦に備えて戦争中に強制疎開が行われ、その一部が那須町の開拓地に入植したように報じられていますが…
よく読んでみると、そうでもないようです。

今回招かれた御二人のうち
渡部敦子さん(95)は戦後川崎市で暮らし、40年前に硫黄島出身者が多い開拓地に移住。同級生たちと「いつかは硫黄島へ戻ってまた開拓しようね」と話し合っていたが、40人いた同級生たちのうち健常者は少ないと語る。
原ヤイ子さん(93)は硫黄島東部の出身。3隻あったうちの最後の疎開船で東京葛飾に疎開。東京大空襲で祖母を失うも、46年東京都の斡旋で開拓地に移住。
上記お二人の情報は、朝日新聞の有料記事
南国の楽園が一変、硫黄島から極寒の那須へ 開拓民に聞く苦難の人生
2025年4月13日
からの抜粋ですが、
今回、招かれたのがこの渡部敦子さん(95)と原ヤイ子さん(93)だったということは、朝日新聞が取材した4月の時点で那須御用邸に招かれることが決まっていたのでしょうか?

朝日新聞の記事は有料記事なので、転載も紹介もできないのが残念です。
本記事には「硫黄島」と住民の当時の状況について、興味深い話が書かれています。




両陛下、慰問顔をつくってカメラの前にお出まし。
ぜーったい、部屋に入るまでは別の顔をしていらしたに違いありません。

両陛下、那須でご静養 元硫黄島民とご懇談 4月には硫黄島ご訪問
産経新聞
天皇、皇后両陛下は26日午後、静養のため那須御用邸付属邸(栃木県那須町)に入られた。両陛下は御用邸敷地内で、先の大戦で日米両軍が激戦を繰り広げた硫黄島(東京都小笠原村)から疎開し、那須町で暮らす女性らと面会された。
疎開当時の話などを聞き、天皇陛下は「随分大変でいらっしゃったんじゃないですか」とおもんばかられ、皇后さまも「怖くていらっしゃいましたね」と寄り添われた。
戦後、那須町大日向地区には硫黄島から疎開した人たちが入植。寒さや過労などで多くの人が結核や栄養失調となり、命を落としたという。
戦後80年の節目を迎えた今年、両陛下は硫黄島を4月にご訪問。側近によると、高齢化が進む戦争体験者や、戦後復興の苦難の道を歩んだ人々らの話を聞く機会を非常に重要とお考えだという。今回の面会もこうしたご意向を踏まえ、調整された。

朝日新聞4月13日の有料記事中でも、「大日向地区」という場所が出てきて、満州からの引き揚げ者による「開拓団」が入植し、「硫黄島からの移住者」も混じっていた。とあり、上記の女性二人も現在は「大日向地区」に住まわれているようです。

(大日向地区についての想像が過ちであったので、削除)

硫黄島からの移住者に面会されるという、立派な目的があるのなら、予定発表して堂々と行かれたら良いのにね。
面会の場(御用邸ではなく、附属施設)に愛子さまが同座されなかったのは、愛子さまは後からお出でになるということでしょうか。

己の中に善悪の規範を持たない今上ご夫妻のなされようは、てんでバラバラで、ご都合主義で、何が飛び出すのか予測がつきません。
「加冠の儀」に何が飛出すか、、、無事に終わりますように。


22日ー2 愛子さま、悠仁殿下「成年式」行事に対抗

2025-08-23 23:19:00 | 令和の天皇家
より続く
22日TICAD宮中茶会を愛子さまアピールの場にする気満々だったであろう今上ご夫妻と宮内庁でしたが、アピールポイント愛子さまのカーツィィが宮内庁youtube動画には入っていません。

第9回アフリカ開発会議に出席する各国首脳夫妻等のための宮中茶会

何が不味かったのでしょうか。不思議ですね。

カーテシーで頭を下げたのが良く無かった?
でも、ね。
エリザベス女王にカーツィィする紀宮さま 
よく見ると皇太子妃美智子さまもカーツィィされています。


エリザベス女王にカーツィィするノルウェー王太子妃メッテ・マリット妃



此等がOKなら、愛子さまのカーツィィもセーフだと思うのですけれども。

相手がエリザベス女王やチャールズ国王でなく、いつ何時その地位を失うかも知れないアフリカの部族長にメッテ・マリット妃 並みのカーツィィしたのがマズかったのでしょうか~?


誰にカーツィィするのか分からなくなって?
カーツィィとも握手ともつかない中途半端なお辞儀をしたのがマズかったのでしょうか~?
愛子さま、ずいぶん練習されたでしょうにね。

何があったのか分かりませんが、宮内庁は愛子さまのカーツィィを動画にもインスタにも掲載しなかったわけですが、このまま終わるとは思えません。
先頃、設置が発表されたインスタの月1「愛子さまコーナー」に来月、新潟県ご訪問と一緒に載せる予定かもしれません。

何としてでも愛子さまを悠仁殿下より上に押し上げたい今上ご夫妻、とんでもない愚挙に出ました。

なんとまあ22日宮中茶会と同日に発信されたのは、愛子さまの悠仁殿下「成年行事」への真向対抗のご覚悟でした

まさかそこまで!?

ついにヤッチャイましたね

愛子さま、9月6日から2泊3日の日程で新潟県ご訪問へ 防災推進国民大会ご臨席
8/22(金) 17:47配信 産経新聞
宮内庁などは22日、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さまが、防災推進国民大会(通称・ぼうさいこくたい)臨席のため、9月6日から2泊3日の日程で新潟県を訪問されると発表した。 

大会は内閣府などの主催で平成28年から開催されている日本最大規模の防災イベントで、皇室からのご臨席は初めて側近によると、愛子さまは両陛下とともに、自然災害に心を痛め、被災地に思いを寄せられている。 

愛子さまは7日の大会でセッションを聴講するほか、8日には、16年に起きた新潟県中越地震の経験や教訓を伝える施設を視察される。 

6日は秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの成年式が執り行われるが、愛子さまは関連行事に臨席後、新潟に入られる。



関連行事参加後に新潟へご出発だそうですが、どこまで立ち合われるのかは不明。
「加冠の儀」の後、装束を改められた悠仁殿下が宮中三殿へご出発されるのを参加した皇族全員がお見送りするのですが、そこまで?
もしかしたら、それも装束にお着換えになる時間待機していのが嫌で「午後の準備がありますので」と抜けられるかもしれません。
なんといっても「中抜け御免」の雅子さまのお子さまですから…

平成28年2016年開始以来9年、皇族が出席されたことの無かった大会に突如この日程での愛子さまのご出席。
悠仁殿下は6日加冠の儀、7日伊勢入り、神宮行在所ご宿泊 8日神宮、奈良樫原神宮 9日武蔵野山陵 10日祝宴
と連日「成年式」行事が続きます。
愛子さまの6日から8日にかけての新潟県ご訪問は、「悠仁殿下『成年式』に国民の眼を集中させたくない」という意図のもとに計画されたのでしょうね。
しかも宮中茶会当日に発表とは、芸が細かい。

9月8日、悠仁殿下は奈良から、愛子さまは長岡からご帰京。
東京駅でお二人を鉢合わせさせてどうするつもり!?
と、驚きましたが、悠仁殿下は空路でお帰りでした。

悠仁殿下の「加冠の儀」をしなくてはならなくなったものの、「何んとしても邪魔してやりたい。甥を継承者として認めていない。」という今上愚夫妻の強い御意思を天下に示したかったのでしょうか。

新潟県もこのような底意地悪い御訪問をよく引き受けたものです。
9月6日 東京から新潟への移動のみ
9月7日 午前防災メッセを覗いて 午後歴史博物館 と一日ぶらぶら
9月8日 午前生ける宝石ニシキゴイをご覧になり、
午後は2004年、21年前に新潟県中越地震で被害を受けた山古志を御視察。

防災国民大会、山古志視察を目的とした訪問なら、どうみても1泊2日に納まる日程です。
どうしても9月6日に出発させ、悠仁殿下が帰京する8日に帰京させたかった、というのでなければこのような日程にはならないでしょうね。

新潟県知事花角英世氏は「愛子天皇」派ですか?
新潟選出の議員は「愛子天皇」派が多いの?

ああ、そういえば、、新潟県は小和田恒氏の出身地。継ぎ接ぎの変なお墓も有りましね。


秋篠宮皇嗣殿下の「立皇嗣の礼」祝賀行事をボイコットした過去がある久子さまも、絡んでいるような気がします。


9月6日から新潟へ行かせ、12日長崎へ行かせ、、悠仁殿下の「成年式」を軽んじる手は打った。これで報道が悠仁殿下一辺倒になることは無い、と、ほくそ笑む今上一派。
やだね~

40年ぶりの盛儀を静かに寿ぎたいと思う者は、見たくも無いものを見ることになりそうです。

東京駅での鉢合わせは無かったものの、東京国際空港と東京駅、夫々の到着時間が気になる所です。
日程から推し測ると、どちらも夕刻。報道陣はどちらへ走るのか。

今上側はどうして此処まであからさまに悠仁殿下を「これでもか、これでもか」と踏みにじるのか…おおかたの胸にも浮かぶ答えは口にするには余りにも穢いものです。


今上ご一家長崎訪問公式日程・・御日程は公的私的が臨機応変

2025-08-17 01:30:03 | 令和の天皇家
内閣府は8月13日付官報に今上ご一家の長崎訪問の公式日程を発表した。


我々は既に今上ご夫妻の英国訪問で、令和の行幸啓の日程には公的部分と私的部分が混在していることを学んだ。
国賓日程と個人日程が混在していた英国訪問。そして令和の天皇の感想は個人的日程部分に重きが置かれていた。

今回の長崎行幸啓が疑惑の目をもって取り沙汰されるのも、全行程公式訪問と見せかけて、個人的な日程を紛れ込ませているのではないかという疑いを払拭できないからではないか。

・長崎原爆被災者慰霊を名目にした実質お楽しみ旅行
・9月6日から9月10日にかけて行われる悠仁殿下の「成年式」関連行事に国民の関心が向くのを阻むための今上ご一家アピール旅行

ネットではこの二つの疑惑が囁かれているが、、、

御日程中、一番スッキリしないのは特別機使用の行幸啓に12日乾門ご出発から13日昼食まで愛子さまが同伴されることだろう。
同じ原爆被災地でも広島には同伴されなかった愛子さまを何故今回は同伴させるのか。不思議ですね。

13日午前は(これまでの例によれば)長崎原爆ホームで「寄り添う」パフォーマンスロケをご家族でして、午後、愛子さまが帰られた後、ご夫妻は長崎県美術館をざっと見て、ハウステンボスにご宿泊。
ここらが「観光旅行?」という疑惑を招いているのですが、、、


ホテルニュー長崎 長崎駅まで徒歩五分
長崎県美術館もすぐ近く。
長崎県庁、長崎市役所も近いですが、今回は御訪問無し。
地方行幸啓恒例の県勢市勢ご説明は知事市長がホテルへ出向くのか。

ホテルの地図は距離が曖昧です。長崎駅近くのホテルと平和公園、原爆資料館の実際の位置関係はこんな感じ。


恵みの丘長崎原爆ホーム
母体はカトリック女子修道会「純心聖母会」 です。
長崎は歴史的にカトリックと縁が深い。


ハウステンボスに一泊されるので、「お遊び旅行」と言う声も上がる。
二泊三日の三日目佐世保市体育文化館で行われる「第40回国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式 」にご臨席、とあれば、ハウステンボス泊まりも言い訳は立ちます。
行幸啓に最高の待遇を提供するのは、地元の誇り?それとも義務?

ホテルオークラJRハウステンボス・・素敵なホテルです。

9月、予約可の日が並ぶ中で13日のみ予約不可。




カフェテラス「カメリア」日本料理「さくら」
中華料理「桃花林」鉄板焼き「大村湾」
スターライトクルーズバー「シリウス」
全て、12日は休業、13日はランチ、もしくはディナーから営業

ホテル内のコンビニも

大浴場も、、

今上と雅子さまが、ご滞在中は休業

「天皇皇后」が御宿泊されるということは、こういうことなのですね。
全館貸し切り
総部屋数320室のホテルを全館貸し切り
すごいね。

雅子さまファーストのゆーったりとしたご日程、最高のご待遇が用意されているとはいえ、今上と雅子さま、愛子さまの長崎訪問がネットで噂されるほどお遊び旅行なのか、真面目な行幸啓なのか、公式日程だけでは判断できません。
今上と雅子さま、愛子さまが、どのような心をもって行動されるかで、決まるのでしょうね。
わかりやすい行動をされるかたですから、見ていれば判るでしょう。たぶん。

特別機
前後左右に凄まじい数の護衛車両とバイクを並べ、交通規制してノンストップで移動
随行員SPの人員おびただしく引き連れ
ホテルも施設も貸し切り
ヒャッホー
パレードでお手振りすれば国民が歓声をあげる
行く先々頭を下げない者はなく、チヤホヤされ
美味いもの食べ放題
ホテルで、帰ってから御所で、公務を称賛するマスコミ、ネットの報道を楽しむ

オプション高みから自分達のために振られる提灯の波を見物する提灯奉祝

そうか、今上ご一家には公務もレクリエーションなのだと考えればすべてに辻褄が合うが…
ご一家には公務自体がテーマパークのアトラクションみたいなものなのでしょう。
自分たちだけのために用意されたアトラクションなら楽しみかたは自由、遅刻も自由。



15日戦後80年全国戦没者追悼式 (少し加筆)

2025-08-16 12:38:00 | 令和の天皇家
8月15日を終戦記念日と聞いて育ったので、沖縄では15日以降も戦闘が続き、沖縄戦が公式に終結したのは9月7日であったことを恥ずかしながら今日の今日まで知りませんでした。
沖縄の戦争遺跡を訪問し、語り部の方々の体験を聞いたし、様々な機会に沖縄と戦争に関する記事を読んで来たのに、です。
8月15日は終戦記念日との刷り込みが余りにも大きかったので、何を読んでも、お話を聞いても、15日以降も沖縄では戦闘が続いたという部分が取り分けて記憶されることが無かったのでしょう。
思い込み、刷り込みとは恐ろしいものです。

全国戦没者追悼式の記憶

全国戦没者追悼式に出席のため静養先の那須からヘリコプターで帰京し、タラップを降りられる昭和天皇=1988年8月13日、東京・港区の迎賓館前庭(時事)


全国戦没者追悼式でお言葉を述べられる昭和天皇=1988年8月15日、東京・千代田区の日本武道館(時事)
昭和天皇最後の全国追悼式。

「さきの大戦において、戦陣に散り、戦禍にたおれた数多くの人々やその遺族を思い、今もなお、胸がいたみます。――全国民とともに、我が国の発展と世界の平和を祈り、心から追悼の意を表します」

昭和天皇のお言葉は毎年ほぼ同じでしたが、短いお言葉の中に天皇の万感の思いがぎゅっと詰まっている、、、そんな感じでした。
平成の天皇や令和の天皇の長い長いお言葉を聞かされていると口下手と言われた昭和天皇の御心溢れる短いお言葉が懐かしくなります。


2018年8月15日、翌年の退位を前に、平成最後の全国戦没者追悼式


「認知症」が囁かれてのご退位でしたが、上皇の本質が不敵不屈であることを垣間見た思いがいたしました。


2019年8月15日 初めての「全国戦没者追悼式」


あらためて見ると、今上と雅子さまの安倍さんを見遣る眼が不穏です。



2024年 「過去を顧み深い反省の上に立って、、、
平成から令和のはじめは花開いていた百合の花が蕾に近くなり


今年は百合も菊も固い蕾になってしまいました。
大きなパイナップル、、、

「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、、、」

「語り継ぐ」という言葉に注目が集まったのですが、、、、

なんなの!?
15日夕方、テレ朝系TVニュースを見ていたら、、、

いきなり今上のお顔が画面いっぱいにどアップ


続いて、挑むようにこちらを見る雅子さまがぬーっと


上皇ご夫妻にチラっとカメラを振って、最後はこの画面
否が応でも愛子さまが目立ちますね。
上皇ご夫妻と今上ご夫妻の思いを受け継ぐのは愛子さまです!というカメラワークです。

またこの画面は「天皇皇后上皇上皇后に次ぐ皇太子は愛子内親王」という(今上ご夫妻と?)「愛子天皇」派の考えも同時に主張するものでしょう。
思いを引き継ぐ、という婉曲な表現になっていますが、テレ朝の主張は明らかに「愛子天皇」です。

「上皇から今上へ、今上から愛子さまへと引き継がれている平和への思い」の具体例として、沖縄豆記者との交流が上げられているのですが、、、





平和への思いを受継ぐ愛子さま?
でもねー、沖縄では、戦争体験者の話を笑顔で聞いていらっしゃいましたね。

以上を伝えるびっくり動画:
「語り継ぐ」平和への思い 天皇陛下と戦後80年【スーパーJチャンネル】(2025年8月15日)

解説無し追悼式動画:
【速報】全国戦没者追悼式 天皇陛下お言葉 新たに「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」の文言加わる 終戦から80年

昭和天皇の慟哭されているようなお言葉と比べるのは間違っている、とは解っているが、、、
今上と雅子さまに身を絞るように平和を願い求めるお気持ちはお有りになるのだろうか、せめてそうした者の思いがお解りになっておられるのだろうか。
上皇ご夫妻から今上ご夫妻に引き継がれた思いを引き継ぐのは愛子さまだという方々には、昭和天皇の無音の慟哭を理解されているのは、上皇でも今上でもなく秋篠宮皇嗣殿下だと申し上げたい。