29日宮内庁は悠仁親王殿下の成年式の詳細と関連行事の日程を発表。
同時に政府は9月6日付で 悠仁親王殿下に「大勲位菊花大綬章」を授けること を閣議決定しました。
『皇室令』の一部をなしていた『皇室成年式令』


※1947年5月2日 皇室令廃止以降、皇族の成年式は「皇室成年式令」の規定を基本として、その時々でアレンジを加えて催行されてきています。
➡ここで復習 加えられた二つの大きな変更点
賢所外陣で行われていた「加冠の儀」を皇居宮殿で行うようになった。
女性皇族の成年式を行うようになった。
宮内庁が発表した日程は「皇室成年式令」に定められたものと骨子は変わりませんが、アレンジされている部分もあります。

ご内宴
「皇族成年式令」では、成年式を祝う宮中饗宴が行われるのは、天皇の成年式と皇太子の成年式だけで、親王王の成年式には行われません。
”一連の行事内容は陛下や秋篠宮さまの先例とほぼ同じ。一方、陛下や秋篠宮さまの際は公的な行事として宮殿で開いた食事会を、今回は都内の民間施設で開く。内宴は私的、昼食会は公的な行事としていずれも秋篠宮ご夫妻が主催する。公的な昼食会も民間施設で開く理由について、宮内庁は「宮殿は天皇の諸行事が行われる場であり、宮家主催の行事を宮殿で開くことは適切ではない」としている。”(毎日新聞)
今上と皇嗣殿下の成年式当時、御二人は昭和天皇の男孫でしたが、皇太孫ではありませんでした。
「皇室成年式令」施行下なら、宮中饗宴は叶わなかったでしょう。
徳仁親王と文仁親王が「皇太子の成年式」並みに華やかに成年式を行って貰えたのは、昭和天皇と上皇ご夫妻(当時の皇太子夫妻)の御意向があったからでしょうね。
「皇室成年式令」が廃止された後は、骨子さえ守れば、アレンジは自由なのです。むしろ、どのようにアレンジされているか、に、時の関係者の中で強い発言力を持つかたの考えが現れていると見るべきではないでしょうか。
(今上の成年式では、皇太子ですらない徳仁殿下の纓が天皇の立纓 の如くおっ立っていたのは、美智子さまのセンス、でしょうね。たぶん。)
秋篠宮皇嗣殿下はいわゆる内廷皇族ではありませんが、皇太子皇嗣です。
宮内庁の言い分は、秋篠宮殿下が皇太子に準ずる皇嗣であるということを全く認めていないものです。
秋篠宮皇嗣殿下と悠仁殿下を「次代の天皇、次々代の天皇」であることを受け入れられない今上と雅子さまの姿がチラつきます。

「大勲位菊花大綬章」
日本最高位の勲章ですが三笠宮寛仁親王、桂宮宜仁親王、高円宮憲仁親王も授与されています。男子皇族は成年に達したら誰でも貰えると、読んだ記憶があります。
皇族男子なら誰でも貰える勲章はOKだけれど、祝宴を宮殿で開くのは絶対に許さない、、、今上と雅子さまの御意思でしょうね。