オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

損失回避心理

2018年10月30日 | Weblog
儲け話と損する話があったら誰でも儲け話に飛びつく。

 しかし、儲け話にも投資が必要である。その投資分の半分がそのままにしておくと損になるということになると誰でも儲け話を選択する。結果として儲けるか損をするかは確率的には通常同じである。儲け話が成功するか失敗するかは確率50%であり、何もしなければ投資の半分が損になるが、反対には半分の損失に抑えられているとも言える。儲け話が失敗すれば全投資分として2倍の損失になる。かえって何もしない方が気楽でいい分無駄な労力を使わなくていい。

この儲け話に乗るか乗らないかの選択は、

 投資した分の半分くらいは最初から戻らなくても問題ない範囲であることである。そのくらいの余裕が必要なのである。当然自分の実力以上の投資を続けると元も子もなくなることになる。その破綻は自分だけでなく他人にも損害を与える。このことをもって堅実な投資と言うのだろう。話を金儲けだけにするからおかしなことになるが、建設的な目的、目標に向かって投資するのであれば別の話で何も問題はないはずである。

人間は他からの得たものは過小評価し、自分から奪われたものは過大評価する。

 そして、自分から奪われたものは何としてでも取り返そうとする。得たものと奪われたものを冷静に長期的に比較してみれば損得に変わりはないはずである。奪われたものを躍起になって取り返そうとすればするほど損失は増大し、ドツボにはまってしまう。確かに損失を取り返せる可能性はゼロではないが、大胆な挑戦をすればするほどその確率は低くなってゆく。何もしなければ少しずつ損失が増えるだろうが、失敗して全てを失うことはない。

それでは何もしないかと言うと、

 常に何かに挑戦すべきなのである。要は規模の話で、一度に大儲けすることを画策してろくなことはない。巷に蔓延っている詐欺の類はほとんどが欲に絡んだものである。弱者を食い物にする電話で詐欺は許せないが、欲にくらんで詐欺に引っかかる人達は自業自得とも言える。結局は地道にコツコツと自分の実力の範囲で積み重ねていくしかないようである。時にはこれが大成功する時もあるが、失敗しても取り返しがつく範囲内なのである。

プラス思考とは言うが、

 これは、他から得たものをもう一度見直すことである。損失ではあってもこの損失によって得たものはあるはずである。これをバネにして次への挑戦に生かしていけばいい。これがプラス思考であろう。常に損失ばかりを見つめていると正常な判断を誤ってしまうし、精神衛生上もよろしくないし被害者意識ばかりが募ってゆく。そのような人からは可哀そうではあるが当然のごとく幸運は去ってゆく。これまた自業自得である。

政治の世界でも同じではないだろうか、

 与党は得する話(+)ばかりをし、野党は損失(-)の話ばかりする。いつまで経っても話はかみ合わない。本来であればプラスとマイナスを調和させて現実の政策に反映していかなければならないのだろうが、お互いが足の引っ張り合いで水と油のごとく寄り合おうともしない。プラスをよりプラスにするために、マイナスを最小限にするために与党も野党も一丸となって協力することが国民のためになるのであろうが、政党のことしか考えていない議員さんも困ったものである。

人生も同じではないだろうか、

 「損失回避心理」なるものが人間に備わっていて、これも生きるためには必要なのだろうが、その本能的な心理を理性で抑えて、冷静な判断をすることが求められるのであろう。本能通りに生きることはその他大勢の人達に同調して生きることでもある。何も考えないと本能に従ってしまう。その前にちょっと考えてみることが重要なのではないか。その他大勢とちょっと違った考え方をすれば新たな素晴らしい人生が開けるような気がする。


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