オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

寛容の精神

2010年11月07日 | Weblog

寛容の精神は、本来は宗教上の処し方についての態度であった。

 宗教を信じない者、他の宗教を信じる者に対しても寛容であることが求められた。自分達の信ずる宗教を信じない異端の人に対しても寛容でありなさいと説いた。現在ではこれから派生して、少数意見や反対意見を表明する言論の自由を認める民主主義の基本原理になっている。しかしながら、この民主主義の「寛容」とは、意見の表明を認め、その存在を容認することであって、少数意見や反対意見に同調し自己の意見を全面的に修正する事を意味しない。

「寛容」の精神にも限界がある。

 まず第一に、少数意見や反対意見が理性や良心や真理に基づいたものである必要がある。利害損得や体面や感情から発するものに対して「寛容」である訳には行かない。これらは、個人もしくは特定の集団からの意見表明であり、理性や良心や真理に至るまで徹底的に論争し戦うべきなのである。そして、最終的に意見が分かれてもその結果に寛容である事が民主主義の基本原理である。民主主義は基本的人権、自由権、平等権に基づき自由で平等な意見表明を許してはいるが、最終的には十分な論議を尽くした後の多数決原理によって結論を生み出すものであり、最初から無条件に寛容の精神を発揮するものではない。

最後に、自分達の意見なり体制を破壊する主張に対しては「寛容」であってはならない。

 自分たちが「寛容」であるためには、異端の者に対しても「寛容」を求めるのは当然である。異端の者にも周囲の者に対して意見の表明を認め、その存在を容認する事を当然の条件として求める。その条件を満たさない者に対しては「寛容」であることはできないし、この場合は自己を守るために手段はさておいて徹底して戦う事になる。これが民主主義の「寛容」であろうと思う。世界の民主主義国は徹底してこの考えを貫いており、この考えに反する行動は民主主義に反する。ただし、①少数意見や反対意見が理性や良心や真理に基づいてないこと、②自分達の意見なり体制を破壊する主張であること、の判断は意見が分かれるところであり、例えば現代の悪の枢軸国や国際テロ社会に対する判断が「寛容」の精神の限界を超えているかは明確に断言できない。

こんなことを考えて、日本の領土(国境)に関する主張を検証してみると、

 日本国としては「寛容」の精神で処しているように見える。強硬手段に訴える方策を回避して寛容である事を選択してきた過去があり現在がある。「寛容」の精神は表面的には素晴らしい平和的な考えであるが、「寛容」の精神にも限度がある。前述のように「理性や良心や真理に基づいたものでないこと」「自分達の意見なり体制を破壊する主張であること」の判断をしっかりとする必要がある。日本国としてこの判断に間違いがないと確信すれば、断固として「寛容できない」旨の主張を理路整然と表明すべきである。この時に利害損得や体面や感情などを交える事は絶対禁止であり、交えた途端に「寛容」の精神の限度である証明が崩れてしまい、外交交渉は感情論、精神論、損得論の泥沼に転落する。

日本の領土(国境)に関しては、

 まずは、真実を明らかにすることに全精力を注ぎ込まなければならない。はっきり言うと日本の国境を侵犯した時の具体的な事実である。日本国政府が外交交渉に際してこのような事実を相手国に正式に表明した事はあまりないし、私自身、国のこのような積極的な姿勢を感じたことはない。水面下の調整は確かに必要だとは思うが、みんな水面下に埋もれて、全世界に対して日本国の真実に基づく意見を表明しようとする態度は感じられない。相手国を刺激しないための配慮であるかもしれないが、それは「寛容」ではなく、正義を貫かない卑怯なやり方である。真実に基づいて正々堂々と意見表明し交渉すべきなのである。

領土への侵犯もしくは不法占有は自国の体制を破壊する行為である。

 御存知の通り、国は土地と人民と政府によって成り立っている。そして、土地は領土と領海と領空から成っている。この領土を不法に占有することを主張するものは、面積の大小はあったにせよ国を破壊する主張をするものに間違いない。この不法占領に対して国として「寛容」であることは最初から許されないのである。「寛容」の限度を超えている。結果はどうであれ、断固として自国の主張をすることは民主主義の法治国家として当然のことなのである。反対に主張しない事が国際的には理解されないだろうし、協力を得る事もできない。正義を貫くために多少の犠牲を覚悟しても自国の主張を正々堂々と表明する事は、独立した主権国家として当然のことであり、具体的な外交交渉はその後になされるものなのである。最初から結果を見越して真実を曲げる、もしくは真実に目をつむる行為に対しては卑怯者国家といわれても仕方がない。


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