オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

少子化社会への悲観に対する反論

2008年06月02日 | Weblog

少子化社会が問題だという論調がマスコミを賑わせている。

 その論点は、高齢化社会と対になって述べられる。端的に言うと、高齢者の面倒を見る若者が減少していることを危惧している。どうやら、この論調を支えているのは自ら高齢化社会に突入する世代の人達であろうか。しかし、高齢者の面倒を見るために出生数を増やすべきだというのは何かおかしい。労働人口が減り経済に与える影響が大であるという言い方もあるが、右肩上がりの経済が見直されている現在、戦後の殖産振興の考えを引きずるのはいかがなものかと思う。人口増加率までも右肩上がりでないと安心できないとでも言うのだろうか。

冷静に考えると、日本は国土面積に比し人口が多い方で、

 人口密度も高い。国土は山地がほとんどで、狭い平野部に大勢の人がせめぎあって生活している。1995年国勢調査によれば、日本の人口密度は337人で、人口500万人以上(1994年中央)を有する国の中では、バングラデシュ(818人)、韓国(448人)、オランダ(377人)に次ぐ。実質的な人口密度はもっと高くどう考えても適正な人口とは思えない。そのような環境から生じた「少子化社会」であろう。どちらかというと正常な自然の制御作用だとも思える。人口が多ければそれだけ経済活動が活発になるかというとそうでもない。中国は反対に少子化政策をとっている。

「産めや増やせや」というスローガンは、

 敗戦直後の人口減少を補うものであった。この戦後ベビーブーム世代が高齢者となりつつあるからと言って、その解決策が少子化対策によりこれを負担する若者の数を増やすべきだというのは賛成できない。後世の若者に「ツケ」を回しているだけである。第一、政治の力で人口を意図的に増やしたり減らしたりするのはどう考えても好ましいものではない。阻害となっているものを取り除いて改善するくらいはあるだろうが、国民に向かって「子供を大いに産みましょう」はないと思う。

二人の夫婦から二人の子供が産まれて、

 各人が平均寿命まで生きるとすると、人口はそのままで増えないと思うだろうが、そうではない。増えるのである。出産年齢を25~30歳として考え、この間に二人の男女が生まれるとして、話を簡単にするため、この二人(現実は家族以外の者と結婚する)からまた男女が生まれるとすると、最初の二人から出発して、奥さんが30歳で夫婦子供で4人に、60歳で夫婦子供孫で6人となる。1997年の日本人の平均寿命は女性が 83.82歳、男性が 77.19歳であるので、平均寿命までに二人の夫婦は6人家族となり3倍に増えたことになる。

これを人口増加がない1倍のままとするためには、

 女性一人あたりの出生数を二人の3分の1の0.67人にしなければならない。平均寿命まで生きられる人が半数だと考えても、出生数は1.33人となる。1997年の日本の一人あたりの出生率は1.39であり、それほど悲観する数字ではないと思う。この数字は、人口が緩やかに増加する数字である。そう考えると、これまでの人口増加が急激すぎたという感覚のほうが正常かも知れない。

ただし、少子化への急激な変化が、

 身体の生理現象の変化によるものであれば大問題である。高齢化社会の問題どころではない。この減少傾向が将来にわたって永遠に続くというのであれば、早晩人口は減少に転じ最終的には日本人は滅びてしまう。「環境ホルモン」などという変な物質が自然界で悪さをしているようだという報告がある。「環境ホルモン」が誤解を招くと言うことで、「内分泌かく乱化学物質」などという変な名称になりはしたが、おおもとは化学物質の中にホルモンの代わりをする物質があり、これが身体機能に悪影響を及ぼし、生殖機能に異常をきたしているという事実を発見したところからはじまっている。政府は実体が解らないため具体的な対策ができないという逃げ腰になっているが、事は重大である。疑わしきも含めて早期の対策を行うべきであると思う。

人口は少なければ少ないなりに豊かな国家を築くことは可能である。

 豊かさと人口は比例しない。豊かさを求めるなら反対に適正な人口をいかに維持するかが課題である。問題は少子化社会そのものではなく、その変化に対応できない国の施策である。厚生省の試算によると、社会保障国民負担率は2025年には50%を越えると言われているが、これは現在のままのお粗末な施策を続けた場合で、これをそのまま現出させてはいけない。負担を押さえてなおかつ目的を達成できる方策を見出さなければならない。

将来もさることながら現状を見てみると、

 あちこちで無駄なことが多すぎる。半分以上は無駄になっているのではないかという印象である。投入した資本に対し効率が悪いのである。現状を見直すとともに、将来に向かっての有効な施策を打ち出さなければならない。少なくとも現状を見直すことは今すぐにでも可能であり、見出した問題点を具体的にひとつずつ解決して行く延長線上に将来の有効な施策が見えてくると思う。

人口ピラミッドで突出している世代は、

 生まれてから死ぬまでずっと突出している。その世代が若者の頃は高齢者は少なく、その余裕分は自分達の老後のために蓄えることが可能であったはずである。その蓄え分を使い果たして、なおかつそれ以上のツケを後世の若者に回すのはやはりおかしい。べつにこの世代が悪いわけではない。これを運営している「政治」が悪いのである。先の見通しも考えず節約を怠ってその場限りの大盤振る舞いをしたツケが具体的に現出しているのである。

社会保障は長期的な視野に立った政策が必要であるが、

 現行方式はどういうわけか単年度収支である。余ったときには新たな事業(箱モノと言われる公共事業)につぎ込み、足らなくなったら国民の負担増を強いる。こんな政策は即刻やめるべきである。厚生年金が赤字になって破綻しそうになったため、自分が受け取る年金を自分自身で現役時代に積み立てる「完全積み立て方式」へ移行する話が出ているが、移行時期(自分より高齢の人がいなくなるまで?)には、自分の分と、高齢者の分の「二重の負担」が発生すると言う。結局は過去の国の無策のツケを現役世代に回しているだけである。高齢者の分はこれまでに積み立ててあるはずである。その分は誰が何に浪費してしまったというのだろう。この問題を先に解決しないと集金方式をいくら変更してもいつまで経っても無駄はなくならない。

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