オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

テレビの不満と将来

2011年08月27日 | Weblog

いつからテレビは商売ベースになったんだろう。

 以前は、提供する番組が主体で、これを提供するスポンサーがいて、控えめ気味に提供主の告知とちょっとした宣伝があった。この頃は広告主の宣伝が主体で、宣伝効果を上げるための番組構成となってしまったように思える。昔はこれほど商売根性丸出しではなかった気がする。私にしては、本末転倒もはなはだしいと思っている。宣伝効果の物差しになるのが視聴率であり、視聴率が取れれば番組の内容は何でもいいといった雰囲気でもある。最大公約数的な万人が興味を示す番組とは、情報量がほとんどないに等しい。情報には希少価値が必要であるが、希少であると思うのは特定の集団だけであって、大多数の一般大衆が興味を示すものではない。「面白い」「楽しい」「笑える」「馬鹿みたい」「有り得ない」「どきどきする」「キモイ」などといった一過性の興味を永遠につなぎ合わせた番組が展開されている。

テレビがデジタル化されて放送手段だけは進化した。

 しかし、放送内容は質が低下したとしか思えない。まず、ひとつが商売根性丸出し番組の占領である。テレビそのものを商売道具にしている。別に悪いとは思わないが、視聴者に選択権を持たせて欲しい。見たくもない宣伝を強制的に見せられるのには古い人間かもしれないが、我慢できない。この頃では、視聴率を稼ぐための番組宣伝まで入り込んできている。地デジ、衛星などのテレビ放送だけでなく、この頃はインターネット経由のテレビ放送も見ている。無料の放送に宣伝が入り込むのは仕方ないとして、有料の放送にも宣伝が入り込んで蔓延している。私的には商売根性丸出しの放送は最初から嫌悪感を持つ。そんなにまでして宣伝しないと売れない商品にいいものがある訳がなく、どう考えても催眠商法や詐欺や霊感商法と同等に思えてしまう。あまりにひどいと情報を絶つ(チャネルを替えるか電源を切る)が、細切れのショットでいやおうなく入り込んでくるコマーシャルは防ぎようがない。無意識下のサブリミナル効果を放送で使うことは禁じられているが、是非暴力的な繰り返しも禁止して欲しいと切に願うものである。

コマーシャルカット機能を持ったテレビが出てきたら喜んで買うのだが、

 そんな機能を実現しようとするメーカーはない。音声を消してくれるだけでもいい。できれば映像も環境映像かなんかに変えてもらえればもっと喜ばしい。技術的に難しいことではないと思う。是非検討してもらいたいと思う。とにかくコマーシャルがうるさくて番組そのものを落ち着いて見られない。コマーシャルが必要悪だと言うのなら、せめて不必要な繰り返しは止めてもらいたい。視聴者は馬鹿ではないので少なくとも1日1回視聴したら1日くらいは覚えている。執拗に何度も繰り返さないと覚えてもらえないようなコマーシャルは、そのコマーシャルそのものの質が悪いとしか思えないし、その質の悪いコマーシャルを何度も見せられたのでは、見る側も迷惑である。大きな声で「いい加減にしろ!!」と言いたい。この頃では、見たい番組を予約録画してまとめて見るようにしている。気に入らない番組は消去できるし、コマーシャルはスキップして見れる。スキップするとき子気味のいい快感を覚える。

そんなに嫌だったら、テレビを見なければいいと言う人もいるだろう。

 有料テレビでコマーシャルなしの放送があったら、たぶんコマーシャル漬けのテレビ番組はほとんど見ないだろう(たまには興味本位で見るだろうが・・・)。有料テレビでコマーシャルがないと言ったら天下のNHKであるが、このような有料テレビがNHKしかないのも困ったものである。しかも、この頃はNHKも番組宣伝やNHK事業の宣伝みたいなことを流している。料金は出すので、是非コマーシャルを根絶したチャネルを作ってもらいたい。リアルタイムでなくても収録や録画で十分であるし、あえてリアルタイム性は追求する必要はないし、テレビ番組はほとんどが収録や過去の録画でリアルタイムの生放送はほんの一部である。こんなことを言うと、著作権問題を掲げて猛反対するグループがいるだろうが、すでに放送した内容の再配信は許されるだろうし、放送してもらったほうが何がしかの著作権料を回収できて、お互いの利益になると思うがどうだろう。

テレビのチャネルは驚くほど増えた。

 しかし、テレビ局もこの多数のチャネルを持て余し気味である。過去に放送した古い番組を繰り返し放送している。昔の映画や他国の番組(韓国が多い)で番組枠を潰しているケースもある。こんな番組はリアルタイムのテレビで放送する必要はないのではないかと思ってしまう。アーカイブデータを使ってオンデマンド放送すればいい。見たい人が見ればいいのである。テレビ局側が一方的にその時の事情により垂れ流し配信するのでなく、視聴者が膨大なアーカイブデータから選択して視聴するのである。これが本当の視聴者の望むところだろう。当然ながらコマーシャルはカットして有料で視聴することとなる。コマーシャル入りの廉価版もあっていいだろうが、これを視聴者が選択できるようにしてもらいたい。

劇場中継や音楽やスポーツのライブ中継の録画配信はもっと充実してもらいたい。

 変なバラエティー番組を見ているよりもよっぽどいいと思うが、野球やサッカー、相撲などを除いてそんな番組は少ない。これまたこんな番組をじっくり見る人が少ないんだろう。CD売り上げカンウントダウンの番組はあちこちで毎日細切れ情報が垂れ流されている。日本国民はせっかちで落ち着きのない忙しい民族になってしまったようだ。時にはじっくりと時間をかけて鑑賞したいと思うが、インターネット配信放送でも少ない。場末のクラブでのディナーショーでもいい。時にはじっくり見てみたいものだ。そんなマイナーなコンテンツにはテレビ局は見向きもしない。今では簡単にテレビ撮影できる時代になったんだから、著作権の問題はあるのだろうが、是非一般家庭や芸能人宅や商店街だけでなく、そのような場に進出してもらいたい。

将来的には電波によるテレビ放送は廃れてゆくだろう。

 地デジになったばかりで何を言うかと反感を持つ人もいるだろうが、方向的にはネットワークテレビに向かうことは間違いないし、次の主役はネットワークテレビである。実は、すでに環境は整っていてネットワークテレビに移行しても何にも問題ないはずなのである。唯一問題なのは現在のテレビ配信会社がネットワークで配信することを拒絶していることだけなのである。これまで築きあげた膨大な設備とテレビ配信の既得権が雲散霧消してしまう。確かにインターネットとテレビは融合しつつあるが、まだ中途半端である。いくらテレビにインターネット機能をつけても、テレビそのものの放送形態がインターネットとは乖離しているのでいつまで経っても融合することはない。いっそのことテレビとは別にテレビのコンテンツをインターネットで配信すればいいのだが、そうしてしまうとテレビは衰退してしまう。電話とインターネットが融合してスマートフォンになったので、是非テレビとインターネットが融合してスマートテレビになって欲しいとつくづく思うこの頃である。


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