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パリ五輪の予選が たけなわだが

2月16日から世界卓球団体戦が釜山で行われており、21日に行わ れた決勝トーナメント2回戦で日本は男子&女子共々勝ってベスト8 入りし7月に開幕するパリ五輪の団体戦の出場権を獲得すると共に 個人戦2名の出場枠も獲得した。  男子は予選リーグでナイジェリア・チェコ・台湾・マダガスカル 相手に4連勝で1位通過しオーストリアに勝ってのベスト8で、女子 もルクセンブルグ・イラン・南アフリカ・ブラジルに勝ってこちら も1位通過するとクロアチアに勝ってベスト8入りしたわけだ。  ベスト8で男子は中国に敗れたが女子はルーマニアに勝ってベスト 4に進出したので、3位決定戦がないため銅メダル以上が決まった。 . . . 本文を読む
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セオリーは変わる

 今から40年前のサラエボ五輪スピードスケート男子500で優勝 候補筆頭だった黒岩彰だが、4組目のアウトコーススタートを引 いて10位に終わったのに対し得意のインコーススタートを引いた 北沢欣浩は銀メダルを獲得した。  スピードスケートの500はインコースとアウトコースが入れ替わ るバックストレートでトップスピードになるといわれ、その状態で 大きなカーブを曲がれるインスタートが有利と黒岩彰の現役時代に いわれてきたのだが近年はむしろアウトスタートの方が有利といわ れ始めており驚かされる。  これなどセオリーが変わった典型的な例だろう。 . . . 本文を読む
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バスケ女子日本3大会連続五輪出場権獲得!

 日本時間の昨日深夜にハンガリーのショプロンで行われていた バスケットボール女子パリ五輪世界最終予選の最終戦で、日本は カナダに86ー82で勝って2勝1敗とし4ヵ国の中で3位まで与えられ るパリ五輪出場権を獲得した。  第1Qを20ー20でスタートした日本は第2Qも得意のスピードを生 かした試合運びで得点を重ね、特にエブリンが2本連続の3Pシュー トを決めるなど第2Qだけで10点を挙げる活躍を見せ50-46と4点を リードして前半を終了。  後半はいきなり6失点するなど逆転を許すも完全に流れを渡さず 52ー52に追い付くと70ー67と3点リードで第3Qを終え、第4Qも79 ー79から抜け出して最終的に86ー82で逃げ切った。  3年前の東京五輪で銀メダルを獲得した日本にとってパリ五輪は ホームアドバンテージ抜きの実力が試される舞台だが、今回は開催 国枠ではなく予選を突破しないといけない。 . . . 本文を読む
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日本スケート界初のメダルは銀だったが・・・

 今から40年前の今日84年2月10日は北沢欣浩がサラエボ五輪のス ピードスケート男子500で、日本スケート界初のメダル=銀メダル を獲得した日である。  北沢は一発屋といわれており5組目で得意のインコースを引いて いたわけだが38,30でゴールするとセルゲイ・フォキチェフに次い で2位となり、そのまま銀メダルが確定したのだが実はサラエボで のエースは前年の世界スプリントで総合優勝を飾っていた黒岩彰。  逆に言えば当時マイナーだった冬季五輪ではメダルすら取るのは 難しい時代に黒岩のみがサラエボでのメダル候補で、特に最も期待 できる500mのみがサラエボでのハイライトだったし日本のスケート 競技はメダルがなかったので黒岩にスケート界初のメダルが期待さ れていた。 . . . 本文を読む
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サラエボ五輪開幕から40年

 今年はオリンピックイヤーになるが92年のアルベールビルとバル セロナまでは冬季&夏季を同じ年に行っており、今から40年前に行 われた冬季五輪がサラエボ五輪だった。  この年の冬季五輪は札幌も立候補しており開催地投票1回目は札幌 だったのだが、1回目のイェーテボリ落選票がサラエボに流れた形で サラエボ開催となったわけだ。  ただし当時の日本では開催時期の2月はプロ野球がキャンプイン しておりスポーツ紙などはキャンプの記事がメインで冬季五輪は 一部の地域でしか馴染みがなく当時の日本はほとんど活躍してお らず、スピードスケート男子500の黒岩彰以外はメダルの期待が全 くない事から扱いは小さく黒岩の競技が終わるとほぼ話題はなく なっていた。 . . . 本文を読む
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相変わらず日本サッカーの足を引っ張るマスゴミ

 一昨日まで行われていたパリ五輪・女子サッカーアジア2次予選 でウズベキスタンラウンド日本はベトナムに2-0で勝ち、C組1位 で4ヵ国で行われる最終予選進出が決まり24日&28日の相手がB組1 位の北朝鮮に決まった。  日本は10月26日の初戦でインドに7-0で完勝スタートし29日の2 戦目では開催国ウズベキスタンに2-0、そして一昨日11月1日のベ トナム戦でも2-0と快勝したのだが2戦目のウズベキスタン戦では 15分までに2-0とするとウズベキスタンが攻め込まないため日本も 残り75分をパス回しに費やしたおかげで批判する声が出ていたのは 残念だった。  3つのグループで1位と2位の最も成績のいい国が最終予選に進む ためウズベキスタンは2位通過を狙い、大量失点を防ぐ戦いで攻め ずに時間を潰したのに付き合ったわけで‘何で攻めない’的な批判が 出た形だのには相変わらずのマスゴミぶりだ。 . . . 本文を読む
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日本男子バスケ、パリ五輪出場権獲得

 8月25日からフィリピン・インドネシア・沖縄で開幕したバス ケットボールW杯は今夜順位決定戦最終戦が行われ、日本は一昨 日のベネズエラ人に続いてカーボベルデに勝ってアジア1位を決 め来年のパリ五輪の出場権を獲得した。  20東京五輪で日本女子を銀メダルに導いたトム・ホーバスHCが 率いてNBAプレーヤー渡辺雄太も招集されていた事もあり大会前 から話題になっていた日本代表は、最大の目標がアジア勢1位に与 えられる24パリ五輪出場権獲得が最大の目標。  グループステージでグループEに入った日本は初戦でドイツに63 -81で敗れたものの2試合目にフィンランドを98ー88と歴史的勝利 を挙げ、3試合目のオーストラリア戦は89-109と敗れて1勝2敗で グループステージを終了し順位決定戦に臨んでいた。 . . . 本文を読む
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北京冬季五輪閉幕から1年経ち

 早いもので昨年の今日2022年2月20日は北京冬季五輪の閉会式が 行われた日で、日本は金:3、銀:6、銅:9の合計18個のメダルを 獲得した。  その4年前に行われた18平昌では金:4、銀:5、銅:4の計13個 と自国開催の長野の時の金:5、銀:1、銅:4の計10個を越えてい たわけで、歴代最多メダル獲得となって一時的に沸いたわけだが1 年経った今では昨日最終日を迎えた世界アルペンをはじめ多くの 大会が行われているにも拘わらずマスコミの取り上げ方は静かな もの。  こうしてみるとマスコミは日本のスポーツ種目のほとんどを五 輪で活躍するから注目するだけで、五輪でなければ全く興味なし という現状が見えて来る。 . . . 本文を読む
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五輪マラソン代表選考のMGCを手放し賞賛でいいのか?

 昨日行われた大阪国際女子マラソンはヘブン・デッセが2:21:13で 優勝しメセレット・シセイが2:」22:12で2位、東京五輪1万m代表 の安藤友香は2:22:59で3位となり自己ベスト更新はならなかった。  レースは海外招待選手が解禁になったおかげで25㌔では昨年の優勝 記録を大幅に上回るペースで進み安藤もしっかりついて行っていたが、 30㌔過ぎにペースメーカーが外れると同時にエチオピア勢がスパート すると安藤は付いて行けず最終的に32㌔過ぎでデッセがシセイを突き 放し逃げ切る形で優勝した。  レース終了後マスコミは安藤のレースに対してポジティブな記事を 書いていたのだが、正直言って30㌔過ぎに突き放されるレース展開を 見ると五輪代表になれてもメダルとなると今のままでは厳しいのでは と思うのだ。 . . . 本文を読む
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アントン・ヘーシンクの激

 今から50年前の日本時間の今日72年9月11日にミュンヘン五輪が 閉幕し、日本は金:13、銀:8、銅:8の計29個のメダルを獲得し 前回のメキシコの金:11、銀:7、銅:7の25個から東京の29個に 数字の上では戻せた。  何と言っても体操は男子団体の4大会連続金を筆頭に金:5、銀 :5、銅:6の計16個を筆頭に大会前アニメドキュメント・ミュン ヘンへの道で話題になった男子バレーが金メダルを取り、競泳で もベルリン大会以来の男女金メダルという快挙を演じた一方で引 っかかったのは柔道。  2大会前の東京以来復活し無差別級を含めた4階級から6階級に 階級が増えたにも拘わらず、金メダルを取れたのは中量級から下 の軽いクラスで重量級や軽重量級に東京で取れなかった無差別も 含め金ゼロに終わった。  実はこの大会までは完全トーナメント戦の救済措置として敗者 復活戦から優勝できるシステムだったのだが、重い階級では銅メ ダル1個というのは何とも情けなく思われていた。 . . . 本文を読む
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準決勝の重要性を実感するミュンヘンの奇跡

 今から50年前の今日72年9月8日に行われたミュンヘン五輪男子 バレーボール準決勝で日本はブルガリア相手に2セットダウンから 大逆転で勝ち、翌日の決勝戦で東ドイツに3-1で勝って見事に金 メダルを獲得したのだった。  以前も記したように前回のメキシコシティ五輪で銀メダルを獲得 した日本では4月からアニメドキュメント・ミュンヘンへの道がOA され、いかにも‘ミュンヘンで金メダルを取る’的なムードの中で五輪 開幕1週間前に最終回を迎えていた。  優勝候補の一角と言われた日本は開会式の翌日から行われた予選 リーグでルーマニア・キューバ・東ドイツ・ブラジル・西ドイツに 勝って全勝で1位通過し準決勝進出を決めていたのだが、3試合目で 世界王者・東ドイツに3-0で勝っていたので‘金メダルいける’という 気になっていた。 . . . 本文を読む
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ミュンヘン競泳のW金メダルから50年

 今から50年前の今日72年9月1日に行われたミュンヘン五輪 の競泳女子100バタフライで日本の青木まゆみが金メダルを 獲得し、8月30日に行われた男子100平泳ぎで世界新記録で金 メダルを獲得した田口信教に続いて2個目の金メダルとなった。  共に前半はじっくり力を蓄えて後半一気に加速し残りの25m あたりからのスパートで見事に金メダルを獲得したわけで、田 口は翌日の200平泳ぎでも銅メダルを獲得しミュンヘン五輪の 日本は最終的に金:2&銅:1という複数メダルの獲得。  日本勢の金メダル獲得は56メルボルン五輪の男子200平泳ぎ で古川勝が獲得して以来3大会ぶりの金メダル獲得で、複数金 メダル獲得は36ベルリン五輪の4個以来という快挙だった。 . . . 本文を読む
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ミュンヘン五輪開幕から50年

 今から50年前の今日72年8月26日に、ミュンヘン五輪の開会式が 行われミュンヘン五輪が開幕したわけだ。  生まれてから3度目の五輪で初めて五輪開会式のTV中継を見たの だが華やかな雰囲気に驚いたし、生まれて8カ月後に開幕した東京 五輪の開会式もこんなだったのだろうかと小3の私は思ったものだ。  ご存じのようにミュンヘン五輪の日本は男子体操が全盛時で金メ ダルを8種目中5個獲得していた一方、体操と同じく金メダルを量産 していたレスリングが2個に減り正式種目に復活した柔道は金メダル 3個を獲得したものの中量級から下の3階級で重量級・計重量級・無 差別級の3つはウイリアム・ルスカらに取られていた。  ただし今、考えて見ると70年代のミュンヘンから共産圏が台頭し 始めていたのだ。 . . . 本文を読む
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アニメドキュメント・ミュンヘンへの道・最終回から50年

 今から50年前の今日72年8月20日は男子バレーボール日本代表を 描いたアニメドキュメント・ミュンヘンへの道が最終回を迎えた日 である。  ミュンヘンへの道は72年4月からTBS系で日曜19:30にOAされて いた番組で、男子バレーボール日本代表がミュンヘン五輪で金メダ ル獲得を目指す様子を実写映像とアニメで制作していた。  この番組は最後に‘ミュンヘン五輪開幕まであと〇日’という形で終 わるわけだが、ちょうどミュンヘン五輪開幕の1週間前に最終回を迎 えており本来ならこういった番組は結果が出た後にOAするのではな いかと思ったりしていたものだ。 . . . 本文を読む
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平成最初の五輪=バルセロナ五輪終了から30年

 今から30年前の昨日92年8月10日未明に行われた男子マラソンで 森下広一が黄永祚との競り合いで40㌔手前で突き放されたものの、 銀メダルを獲得しただけでなく中山竹通が4位で前年世界陸上の金 メダリストの谷口浩美が途中の転倒から盛り返して8位と全員入賞 という快挙となった。  そして終了後に閉会式が行われ、16日間の熱戦に幕を閉じた。  このバルセロナ五輪からサッカーやバスケットボールなどでプロ の出場が可能になりNBAのスーパースターで固めた男子バスケット のアメリカ代表が大人気になったり、逆にサッカーはプロではある がU23の大会になるなど競技によって温度差が出ていた。 . . . 本文を読む
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