やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

パタゴニアで地球を感じる

2024-02-19 09:42:50 | 南米・中米
ただいま!成田空港からおうちに帰ってる途中。

今!わたし、
パタゴニアの氷河の青い色が
心を透明な心地よさで満たしてる
とでもいうのかね。そんな感じ。

ペリトモレノ氷河 アルゼンチン


南極ブナの森と氷河の近さよ。。。。


大地
花崗岩の岩山
氷河


フィッツロイ パタゴニア最高峰


クエルノス・デ・パイネ チリ


トーレス・デル・パイネ


コンドル


カラカラ ハヤブサ科

みなさんは
地球を感じる
て、思ったことはありますか。

(西遊旅行の旅では)いつもだけど
今回はパタゴニアで特にまた
地球の美しさに感動した。
そして、子供達に見せたいなあて思った。

地球の時間の流れかたが想像もつかないものだけど
目の前の景色はすごい時間が作り上げてきたもの
だから
はるかな気持ちになる。

氷の溶けて流れていくスピードのことや
山が削られていくことを目の前の景色を見ながら考える時
これが地球なんだなあと思う

そういうことは東京の日常では考えないから。




インスタにも写真をあげているよ!インスタ

あたたかい素敵なお客さんたちとの出会い、
いろんな文化の人たちとの出会い、
心の余裕をたくさん作れた気がする!


わたしと右はフィッツロイのときのガイドの女性
南半球の夏はパタゴニア,冬はアイスランドでガイドをしてるって言ってた
もう一人の女性もだけど、環境のことを真剣に考えていて
実践していて、偉いなあて思った。

たくさんの出会いで、いろんな話を聞けて
いろんな刺激があった。
ひとつの生き方にこだわることはなくて、どんなふうにでもできる
て、改めて思った








仁美のインスタこちら








ロライマ山登頂トレッキング ギアナ高地

2024-01-20 17:00:31 | 南米・中米
先月のベネズエラ・ギアナ高地のツアーは、
前半は世界で最大落差のあるエンジェルフォールの下まで
ボートで行き、ハンモックに泊まり、滝の下で泳いだ。


私もだけど、みなさんも滝の水に本気で頭から打たれて爆笑したり
飛び込んだり。五感全て刺激される旅だった。



タンニンをたくさん含んでいて川の色が赤い。












今、乾季なので水量が少ない。


セスナで上空から見るのもすごかった。インスタにあげてる。こちら



ギアナ高地には100ものテプイというテーブルマウンテンがある。
エンジェルフォールはその最大のアヤウンテプイというテーブルマウンテンの上から流れでている。
ジャングルに囲まれたその景色のすごいこと。

そして、このテプイの上は、1000mもの断崖絶壁で下界と切り離された世界があり
そこには豊富な固有の動植物たちがたくさん見られる。








この旅の後半はそのテプイのひとつ、ロライマ山に
歩いて登り、上にテント連泊し、歩いて下りてきた。
この右側の山




ちょうど急な道が斜めにあるところ


最後の取付きのところは岩場をよじ登っていく。






ロライマでしか見られない花 食虫植物のウーテリコラリア


お客様に作って差し上げた旅日記にはもっとたくさんいろんな花をのせたんだよ~
でも図鑑にも「不明」と記されている花もたくさん。

モウセンゴケ ドラセラ






ロライマの山頂から下をのぞくお客さんとその景色
全てロライマ山山頂からの景色

隣のテプイはクケナン

夕日の中、その崖に行くお客さんたち




朝日がのぼるとき、青い光というか青の中にオレンジが割ってるような
超絶美






毎日、南十字星も見えた。

ロライマの山頂はベネズエラ、ブラジル、ガイアナの三つの国境トリプルポイントというところもあり
歩いて行った。一日がかり。
その日は晴れていて本当に美しく、奇岩がたくさんの不思議な景色だった。














ピットと呼ばれる大穴



長い年月をかけて風雨で削られてできた景色。
このロライマ山の山頂にはたくさんの洞窟もあって、あちこちが繋がっていた。
もう神秘すぎる。

ロライマと隣のクケナンの上にだけ住んでいるカエル オリオフリネラ





超小さいけど大人。
4億年前から形を変えていない原始的なカエルで、足に水かきがなく、泳ぐことも飛び跳ねることもできない。
卵からかえるとオタマジャクシではなくカエル!






とりあえず、ほんの一部だけど、写真を選んで
簡単にまとめてみた。
地球の自然の大きさも感じるし、時の流れの止まっているかのような世界で
思いっきり泳いで歩いて笑って・・・の日々だった。
この場所は地球の大陸がまだゴンドアナ大陸だったころから、大陸移動をしていないので
そのころのままの環境が残っているの。
他の大陸は移動して移動先でそこの気候や環境にあわせて動植物も進化していくわけだけど
ここに残ったこれらは、ずっとここで命をつないできた。





帰国 ギアナ高地から

2023-12-25 21:46:03 | 南米・中米
こんばんは!クリスマスですね。
23日から、イブから今日までもずっと
ベネズエラからブラジル、エチオピア、ソウルと
移動してた。
帰国して今、電車で帰っているところ

やはりギアナ高地はすごい!
最高の冒険。
恐竜の出そうな景色に、固有の植物や
あー、楽しかった。
すごかった。黒くなりすぎた、顔が。

もうすぐ駅につき
はーたんとすみれが迎えにきてくれるらしいので
ワクワク。

何からお伝えしてよいか。
メールやコメントやたくさん、返信もお待ちくださいね!
みなさんありがとうございます😊🩷

お客さんたちも家族や友人にどこから伝えよう、と、
言っておられた


写真とりあえず、バラバラだけど
アップします。インスタにも頑張ってアップします!






この大地の山の上は陸のガラパゴスと言われている










エンジェルフォールの下でもまた泳いだ!
また書くね
電車を降ります。笑

良いクリスマスを!!!









塾の先生へ (遠いところに連れて行ってくれる)ポポル・ヴフ

2020-07-07 21:16:23 | 南米・中米
みなさんこんにちは。今日は七夕だったのですね。
タイトルに「遠いところに連れてってくれる」と今書いて、
思い出したのです。

(遠いところ、行きたい~彦星よ~願いを叶えてください~)

さて。今日ははーたんの塾の先生へ、です
ポポル・ヴフを軽く語りながら、遠いところの世界へ。



突然ですが、
いつか、マヤ文明を見に、
グアテマラ(中米)のエル・ミラドール遺跡に行きませんか
ヘリでも行けますが、片道一泊二日、ジャングルの中を歩いていきましょう

もちろん、その他、マヤの遺跡もめぐりましょうね。

はーたんの塾の先生との面談のときに
本を貸してくださいと言ってくださったんですよね。
キルギスの「マナス」とか
グアテマラ キチェ族の「ポポル・ヴフ」ですね。



ポポル・ヴフはマヤの人々の人間創世の神話と物語です。

これ、普通に文学として読んだら、話のぶっ飛び方に
ついていけない感が感じられると思うのです。
神話なのでそんなものかもしれませんが。

書評で三島由紀夫さんがこんなふうに書かれています。


ダイナミックな暗い活力・・そうかもしれません。
でもこれはメキシコの風土ではなく、グアテマラのキチエ族の物語。
マヤ文明の中にもいろんな部族がいて、
グアテマラにだけでもいくつも族がいます。

ちなみにこの本の挿絵はメキシコの画家なのだそう。
ポボルヴフを描いたメキシコ国立美術館所有の未公開の絵を、
この本に使わせてほしいと、
訳者の林屋永吉さんが美術館にお願いしたのだとか。

このポポルヴフは1700年代のはじめに
スペイン人の修道士フランシスコ・ヒメーネスが
グアテマラのキチェ族の村で、
ローマ字で書かれたキチエ語の本を見つけ、
絶対に重要な文献に違いないと一生懸命に翻訳しました。
内容を知ったヒメーネスは
これはキリスト教の影響を受けて、マヤの神話が
着色されたものだと理解したのだそうです。
その後長く、そのように解釈されていました。

実際、たくさんのマヤのオリジナルの絵文字や絵文書はキリスト教化の
邪魔になるとされ、燃やされたのです。

ポポル・ブフの内容は、二人の英雄がそのお父さんの仇をうって
地獄の世界から帰ってくるのです。
地球になにもないところから
人間が最初は粘土で作られたとか、
ストーリーそのものは奇想天外で読むのがちょっと大変かもしれません。
(わたしは読み続けるが困難です。理解するのも)

長い間、このポポル・ヴフの内容は
マヤの純粋な話ではない、聖書の影響を受けたものだとされてきていました。
が、アメリカの考古学者(たしか)リチャード・ハンセンが2009年、
エルミラドール遺跡の中で
漆喰に描かれた、はっきりとした紀元前のポポル・ヴフの
レリーフを見つけたのです。
マヤの遺跡発掘に情熱を傾けてきたリチャード・ハンセンの
快挙!です。そして、このことは、
キリスト教が広まるよりはるか昔の紀元前に、
すでに人々はこのポポル・ヴフの物語を語り継いでいたということの
証明でした。聖書の影響ではないということですね。

たしかその遺跡の中のレリーフはこの二人が山から流れる滝に飛び込んで
地下の世界に落ちたところ・・・

紀元前の人々が、どんなふうに世界を見ていたか、
どんなふうに考えていたか、とらえていたのか、が感じられます。

面白いのはあとがきにも書かれているように
結局人間が神様より知りすぎることがないように
目に霞を吹きかけられて近くのものしか見えなくさせられるのです。
だから私たちには
まだまだ謎が多く、世界のことはわかっていないことがたくさんある、
という現在にもつながっているような気がします。


ということで、この本は
わたしがもっと、マヤ文明の神秘が知りたくなるきっかけにもなったものです。

グアテマラを旅して、
いろんな人々に出会い、
彼らの文化を知ると、いまでもマヤの伝統と信仰が身近なところにも
おじいちゃんの教えとして、若者の中にも息づいていることを知ります。

明日、塾のときに本を持たせますね。笑

今年の二月にいくつかグアテマラの日記書いてますこちらから










青山士さんを辿る パナマ運河と岩淵水門 

2020-04-18 23:47:51 | 南米・中米
パナマ日記の続き →クリック

パナマ運河 ミラフローレス閘門にて 大型船がすれすれでゆっくりと牽引車に引かれながら進んで行くところ@先月


パナマ運河のクルージングのとき、船上で
運河の授業をさせていただいた私なのだけど、
そのとき、パナマ運河開削工事に日本人として唯一携わった
技師の青山士(あきら)さんのお話をさせていただいた。



彼の話は同じ日本人として誇りだし、お客さんたちも
とても興味をもってくださって、その場でネットをつなげたお客さんは
彼を検索し、「こんな本がありますよ!」とか、
「そういえばこの前新聞に出ていた・・・」とか、
女性のお客さんは「なんだか恋しそう
と、盛り上がってくださっていた。

帰国後、わたしも本を買った。


*

1903(明治36)年、当時26歳の青山さんは、
東京帝国大学土木工学科卒業、アメリカがパナマ運河建設の技術者を募集していることを知り、
単身渡米。(と、簡単に書くけど、船で太平洋を渡っていくだけでも大変な時代)
その船からパナマにただ一人、上陸した日本人。

未知の国。パナマ・・・


そこで彼は難工事に挑んでいくの。
初めは 末端測量員(ポール持ち)として。
熱帯ジャングルの中でマラリアに罹患し
死にそうになりながらもチャグ レス川周辺の測量を続けたそう。
熱帯病にワニもいる、サソリもいる、たくさんの人がなくなる、で、
地獄のようだったと思う。そのときの苦労は彼自身も
アメリカの詩人ジエームズ・スタンレー・ギルバートという人の
「チャグレス川の果て」という詩を引用して書いている。

・・・略
それは死につながる
黄熱病が蔓延し
マラリアの毒が燒結を極める道
熱帯雨林の果てには
ワニが口を開けて待っている
悪魔の館が待っている
悪魔が独り住んでいる土地

・・・略

孤独も相当だったみたい。
椰子の生い茂るパナマで、故郷の友人から
書き送られた島崎藤村の詩「椰子の実」を読んだときこみ上げるものがあり・・・と。

あの熱帯の国から、太平洋の向こうの故郷ニッポンをどんな気持ちで想っていただろう・・・
きっと、
「なんでこんなとこに来たんじゃろー」とか
「なにやっとんや俺は」とか
「いや、でも負けちゃいけん」
「負けんけえの、わしは」
と自分を奮い立たせたりとか、
挫折を感じつつも、まじめに一生懸命がんばったんだと思われる。(広島弁で・・ではなかったろうが)

彼は、実際、とても有能だったので、短期間の内に昇進を続け
最終的に設計技師、工事区長になる。


これはパナマ運河鉄道の列車の窓からの眺め。湖も人工。

1914年に全長80kmのパナマ運河は完成。





青山さんは1912年に帰国して内務省技官に。パナマ運河は8割が完成していたときのこと。

1915年、荒川放水路の岩淵水門工事主任になったの。

きたーーーーーーーーーー

わたし、近所なのよ。
あの水門!

水門設計においては周囲の反対もいくつか押し切って
青山さんの案にそって造られ、関東大震災や
戦後の地盤沈下にも耐えたそう。
ここでも犠牲者も出たりしたけど、彼は労働者の方々をよく
ねぎらい、大切にしたそう。自分も一緒に労働したとか。

その後、太平洋戦争がはじまる。
大日本帝国海軍のパナマ運河攻撃計画いうものが存在した。
結局はアメリカ本土への攻撃が優先されたため、運河攻撃は『検討されたのみ』で終わった。
このとき青山さんは日本軍に設計図などを提出するように言われるも
「私は運河を造る方法は知っていても、壊す方法は知らない」と答えたそう

壊されなくてよかったよ

*

昨日、4/17。いいお天気だったので、川ぞいを歩いて
彼が工事主任として携わった旧岩淵水門を見にいってみた。

これまでも見てたけど、そんなに詳しく知らなかったので
今回は、じっくり感慨をもって、見に行った。


今は使われていないけど赤水門と呼ばれている。
この水門の設計施工は放水路の設計・建設の中でも最重要かつ最難関だったみたい。(100年前よ)




今では東京の中でも散策スポットのひとつとされているみたい。



こうして改めて近くから見ると、彼の熱意がまだこの金属部分の赤にも
感じられる。
彼のモットーは言葉は忘れてしまったけど
「後世に、自分が生まれたときよりもいいものを残したい」
だったそう。


赤水門は今は使われていなくて
すぐそばに新しい水門が見える。

赤水門から見た新岩淵水門(青水門)  この先、荒川は隅田川になる。


また、近くには荒川治水資料館があるけど、今はコロナで閉館。





その前にある石碑なんだけど、最高責任者で功労者である青山士さんの名前はない。
工事の犠牲になった方々を弔うもので、これは関係者全員の気持ちであるから、という彼の精神。

彼の大好きな富士山の転石が使われ、このあたりを埋め尽くしていたサクラソウの花が彫られているの。

周囲は八重桜が咲いていた。




すーさんには距離があるので、途中なんどか水飲んだり
休んでいた。笑




桜が終わるとうちの近所、いつも街路樹がハナミズキで美しい。ちょうど咲き始めていてとってもカラフルなの。
偶然なんだけど青山さんが愛した花だそうよ。

これは2018年の桜の時期に、子供たちを連れて朝練で歩いたとき。クリック↓
春休み 早朝トレ2018年3月
このときは、早朝の空気の清んでるとこや、朝日や、桜や、スカイツリーとかのほうに気を取られていた。小生意気な子供たちとね

なので、今回はとても新しい気持ちで
旧岩淵水門を見たの。
これも、
パナマ運河からの旅のつづきだったわけ。








パナマで出会った動物たちと、運河のすごさ

2020-04-15 22:28:06 | 南米・中米
パナマを出国したのが3/16だったのでちょうど一か月前。
(3/16の)パナマでのコロナの感染者は55人だった。
3/12は16人。
その頃のバナマは、いよいよ観光の最後の日って感じで、いろんな施設は次々閉鎖され
規制が厳しくなっているところだった。
最近どうなったかなあって調べたら
4月のはじめで1200人に迫るところだった→調べ間違え?て思うほどびっくりした。
今、パナマでは男女別、曜日別で外出できる日に規制がかかっているのだって。


パナマシティ 今年の3月



*

中米、南米にスペインの侵略者たち(とあえて書くね)
が初めて到達したのが1500年代にはいってすぐ。

南米のインカ帝国や、ボリビアのポトシ銀山、メキシコのアステカ帝国、
など滅ぼされていくのだけど、最初にスペイン人たちがその基盤を作ったのが
パナマで、パナマを拠点に、南米などから奪ってきた金銀財宝を太平洋側から
大西洋側に運んで、本土スペインへ船で運んでいたの。
そのころは陸だったこの地峡を、馬で運んだり、途中からは
川を使ったり。
開拓者たち(侵略者たち)はこのパナマ地峡のある場所こそが、
南北大陸の中で一番細くなっていたことを知り、
太平洋と大西洋が一番近いからこそ、
ここに運河があればどんなに楽かと切望してた。
そして、飽くなき欲求はとどまることはなかった。

財宝を積んだ船は何度も海賊に襲われ、町ごと燃やされたり。
アフリカ大陸からは奴隷たちを連れてきて大変な労働をさせた。

人間の欲とはすごいよのぅ。
なんか、中世の絵が浮かぶ。

旅してみると、歴史とその仕組みがよくわかる。

パナマ運河クルーズ船内で授業をするわたし。この日のクルーズもたまたま最後だった。

船が山登りするっていうこのパナマ運河の仕組みがすごいの。
土地を掘削しながら古代の化石の研究をしたり、環境を壊しすぎないような
研究も同時に進められている。スミソニアン熱帯研究所もあるよ。

パナマ運河、1880年代の後半に(詳しい年は略)フランスのレセップス(スエズ運河拓いた方)
が、工事に着手するんだけど、スエズ運河のように平でなかったこっちの
パナマ地峡は、大変だったの。
そのとき、黄熱病やマラリア、コレラの感染症と難工事でたくさんの労働者が亡くなるし
工事をあきらめる。で、アメリカが工事を引き継ぐことに。

それでも人々はここにどうしても運河を切り開きたかったの。切り開かなければいけなかったの。


今となっては天然の川や湖にしか見えない景色も
人々が作り上げたもの。人類すごいわ、て思った。


こうした歴史と苦労をたくさん知った上で
わたしたちは太平洋側から大西洋側へ船で完全クルーズしたんだ。
船で約10時間。

最後、大西洋に出るとき、感動で涙ぐんだわ。
これまでのたくさんの人々の情熱と血の出る努力や犠牲や、
長い年月の研究や苦労などの末の開通なのだとしみじみと思って。

閘室の中の水の上げ下げで水位をコントロール

閘門が開くところ


日本の牽引車 船は壁からスレスレ。ぶつからないように。

人類すごい。

パナマ運河にて


今、コロナでこんなことになってるけど、
これまでも人類はいろん病原菌や自然災害やのなかを生き抜いてきて
その血がずーっと受け継がれてる。すごい挑戦をしてきた。
そして
先人たちの築いてきたものの上に歴史が・・・と感慨深く思ってしまう。

パナマってそういうことを思わせる国。


パナマの熱帯雨林にはたくさんの動植物もいるし
昔ながらの先住民族も七つあり、暮らしている。

地球の上で共存してるんだなあって
改めて思う旅だったの。


野生のホエザル

ホワイトテイル鳶



ジョフロイタマリン

小さくてかわいいの。


船に乗ってきた野生のノドジロオマキザル






野生のナマケモノ わかりにくいと思うけど


野生のクロコダイル


まだ続きある♪ので、パナマ編、つづく





建築家フランク・ゲーリー

2020-04-01 19:41:00 | 南米・中米
わたしの3月のパナマのツアーは
すべてが閉鎖されるギリギリの中で
催行されたものだった。

意外にもそんな中で、めっちゃ日々は
笑いにあふれていた。人の中にいると、緊張するけど
自然の中にいると、世界の不安とかは忘れる感じだった。
パナマ運河の歴史にふれながら
あぁ、人類の歴史は同じことの繰り返しだし、
地球の歴史の中では、小さな出来事なんだなあと。
伝染病や、侵略や、人間の歩みや。

生まれてきて、死んでいくことも。

こんな旅がしばらくできないことは本当に残念。
パナマもちょうど、わたしたちがいる週がすべての
観光最後だった。

飛行機から見たパナマ

まず、パナマ運河のすごいこととかも書きたいけど
わたしにとっては建築家のフランク・ゲーリーさんの
インパクトが強くて、先にご紹介するね。

フランク・ゲーリーさんといえば、
一昨年、スペインのビルバオに行った時、その街を象徴する
圧倒的超越したデザインの建物が、印象的だった。

2018年のスペイン ビルバオのグッゲンハイム美術館by フランク・ゲーリー

覚えているのはそのときも、
湧き上がる、とか、地元の素材を作った、という、ガイドさんの表現だった。強烈な印象だった。
その土地を歩いてみたからこそ、この彼の表現しようとしたものが、理解できた。

今回、パナマ、
人間の作った英智の結晶とでもいうべく大事業のパナマ運河建設と
熱帯雨林の豊かな動植物、
地質学的に最後に地上に現れた大陸としてのパナマの場所は
いまや、世界貿易の中心。

そうしたものを
フランク・ゲーリーはこんなふうに
表していた

そんなふうに見えるかな?と、
見たら
見えるかも。

バイオダイバシティ ミュージアム 生物多様性博物館@パナマ byフランクゲーリー

動植物の豊かな
民族的にも豊かな、
さまざまな色。彼は
パナマの女性と恋に落ちて、再婚したんだよね。

運命。

1500年初頭に、スペインから来た
侵略者たちが、最初に中南米を征服するための
基盤としたところ。
パナマが奇跡的に細い地峡になっていたこと。
なっていたからこそ。

運命。

今では世界地図が、パナマ中心にしか見えないほど。


パナマのことに続く(こんどこそ)

かわいいTT。タマリン、通称、ティーティー。




ノドジロオマキザル








アエロメヒコ航空で帰れず

2020-03-17 08:37:21 | 南米・中米
今回のパナマの旅は
先月に続いての中米だったけど、
コロナが急速に広がってきて、この一週間、とくにパナマの4泊5日は
入国時16人だった感染者が5日目には55人に。
次々といろんな国立公園、博物館などが、閉鎖になっていき
追われるようにわたしたちはギリギリ、
ほとんどのプランを予定通りできたけど、
現場判断のドキドキツアーだった。
そんななか、協力的なお客さんたちと和やかに過ごすことができて
感謝。緊張することもたくさんあった。
なのに、笑いも多かった。
現地のドライバーさんが、
「日本人とたくさん仕事してきたけど、これまでで一番楽しいメンバーで、自分も一番楽しめた」
と言ってくれた。(わたしのツアーではそう言われること、よくあるけど。笑)

実際私たちが最後で
翌日からパナマの観光は全てなくなるみたい。
もう、ほとんどすべての観光地は私たちのいる間に
閉鎖になっていった。
五日間でどんどん厳しくなっていった。

そして最終日。
わたし、
本当ならあと7時間くらいで
成田着陸予定(18日の早朝)の、
アエロメヒコ航空の機内のはずだったけど、
直前に「コロナによるフライト減便」で、
わたしたちのメキシコ〜成田間がキャンセルされた。
日本メキシコ間のフライトは初夏まで
隔日運行になり4/1まで満席。
振替とか代替えとかいっさいなしの、
急な通告に、なんのホテル手配も案内もなかったよ。

うちの会社が迅速にホテルとフライトを手配できたので、
一日遅れの19日に帰国できることになり、ほっとしてる。
思ったよりすごい速さだった。
お客さんたちもすぐ同意してくださった。

でも遠いよー。
メキシコ→バルセロナ(機内待機)→ドバイ→成田
地球一周。久しぶり。

迷ってる時間なかったし。

みんなで、無事に帰りたいと思うし
その間にすぐに、はーたんのこと
協力してくれようとした日本の近所の友達たちにも
ありがとう。

そして、めちゃくちゃあたたかい、今回のツアーメンバー
お疲れだと思うのにありがたい。

きっと心に残る旅になる、またひとつ。




iPhoneの写真

仁美とノドジロオマキザル
ちゃんとした写真また後日アップするね。
もー!!
見たことないお猿ちゃんたちに、ナマケモノ、超かわいかった。

そして!!

犬と猫とエンベラ族の子供 奇跡の組み合わせ♡

そして、みなさんに

チュ

でも、いま、だめなのよね、これ。

パナマの魅力をまたお伝えするね!
ほんと、人類すごい。
良くも悪くもわたしたち人間の歴史と挑戦を思い知ったし、
地球だなあとおもったの。



















続 ポポル・ブフ さらに深まる好奇心

2020-02-29 23:44:21 | 南米・中米
グアテマラから帰国してから
マヤ文明とかポポルブフに魅せられたことを
ちょっと書いたの、日記に。
そのときの日記

先日、親しいお客さんがブログを読んで
「家にあったの」とわたしに送ってくださった!


送ってくださったこの文庫本は
1977年の印刷・発行。

そもそも、私が今回ポポルブフに出会ったのは
現地ガイドがバスの移動中にすごい熱意をもって
教えてくれたこと。わたしがすべて書き取って
お客さんにも伝えたこと。
その話の内容はかなり、神話的で先がわからず
何が言いたいかもわからず、不可思議なもの。
でもそれがとても印象的だったのが
この物語は本にされるよりもはるか前、前どころじゃない昔
紀元前には口承で伝えられ、マヤの遺跡に
物語の絵が掘られたものが
見つかっていること。(エルミラドール遺跡2008年)
この話のオリジナルは1700年代のはじめに
スペイン人のヒメネス神父がチチカステナンゴの
図書館でラテン語文字で書かれているキチェ語の
本を見つけたこと。そして翻訳したこと。

現地でグアテマラの歴史
1500年代の侵略のことや
キチェ族やカクチケル族の話をたくさん聞いて
とても色鮮やかに
心に残っている。映像で想像できるほど。

日本でもこの不可思議なお話を
訳した人がいる、そしてそれを持っていたお客さんにも
驚いた。笑
わたしが興味をもっていなかっただけなのかもだけど。
過去にはいろんな文明を調べり本も読んでいるけど。

いったいどんな人なんだろ、これを訳した
林屋永吉さんという方は、と思って、
それも調べたら
とても魅力的そうなひとだった。元駐スペイン特命全権大使の
方だった。

若いころにスペイン語を始めたのは
ポーリン・チェックという踊り手がエスパーニャ・カニーで
スペイン舞踊を踊っていたのに魅せられた、
と。チャーミングだわ。

グアテマラの遺跡に驚愕してマヤ神話ポポルプフを
読みはじめたこと。いろんな出会いで翻訳をしたうえに
三島由紀夫さんが書評も書いてくれることになったとか。たしかに
日本にこの神話が紹介されたことがすごいし。
もう亡くなられていたけど。2008年以降に
エルミラドール遺跡に行かれたかなあ。気になる。

本の中盤以降は
林屋さんご本人のあとがきと、このポポルブフを
あとに訳しなおしたグアテマラの学者の
A・レシーノスの解説も面白すぎる。

しかーし。
この本に出会えたのも運命。

世界は広くて、深い。

そうだ、私の心にもうひとつ、残ってるの。
キルギスの叙事詩、マナス。
読んでみたい。読んでみよう。



*

はーたん、今、友達と21:30くらいから
ずっと携帯のテレビ電話で勉強してる。お互い
顔が映るようにセットして。学校の
ブリントを一緒にしてるの。
これいいね。(ちなみにいまPM23:10)新しい
勉強スタイルじゃ。

最近、塾を移った。親友にすすめてもらったとこ。

その塾の先生は、とっても子供のことを
考えていることが伝わってくる先生で。
はじめて指導してくださってるときの
言葉のかけかたとか、
伝え方とか、
いちいち、わたしのほうが感動した。うまいなあって。
「できてないんじゃない、もうすこしだ」
というような伝え方とかね
プロだからというだけでない、あたたかさがある。

今回もコロナで休学になったことも
その対応については、どうするべきかと
どのようにしてくださるのかとか説明が詳細で
親身だーと思ったの。

素晴らしいプロ意識のひとは
勉強になる。
ポリシーが強いから相手に伝わるんだなあと思った。


今、テーブルの横の下で寝てるすーさんが
おならした。笑
犬もおならするんだー。
いつもはこの時間はすーさんも自分のお部屋の
ゲージの中で寝てるんだけどね。





ポポル・ブフ (と、謎)

2020-02-18 12:04:21 | 南米・中米
一昔前、「自分探し」という言葉、流行ったよね。
自分探しの旅とか。
わたしはそういうのうさんくさくて、笑、好きじゃないし興味ないけど、
(本当の自分など探さなくても今のその自分がどれも自分。笑)
たしかに旅に出て、新しい別の世界の中にいると
日常では考えないことや、感覚が、湧き出してくる。それが
自分探しという感覚に錯覚するのかな?
自分はこんなことも好きなんだなあとか、
新しい好奇心の扉が開かれて、そこにどっぷりはまってしまったり。
旅を重ねるごとに、
自分の奥側がさらに深く広がっていくの。
で、なにかがリセットされていくの。

家に帰ってきて、しばらく、遠い世界のことでボーっとしていて
いろんな周辺のちっさなことはほんとうにちっさすぎてどうでもよくなるような。
地球とすごい時間の流れの中のちいさな自分。

ヨーロッパから、アフリカ大陸から、
アジアから、アメリカも南米も
旅をしてみて、歴史を知っていくことは、
人間そのものの本質を知っていくことでもあるなあと。心底から思うわ。

*

マヤ文明。

今回のわたしの旅の記録用手帳は
歴史的な伝説と神話であふれている。
登山ツアーだったけど、お客さんたちもみんなが
まだこの続きを望む、というのはある意味
すごいことだとおもう。

遺跡を見てないからなんだけどね。グアテマラの
エル・ミラドール遺跡に行かなければ。マヤ遺跡の中でも
最古であり、5泊6日のトレッキングで
ジャングルの中を行くの。
ご参加のお客さんたちも「行く」って言われてたから、来年かな?笑

ガイドのマックスに
マヤの創世の神話「ポポル・ブフ」を全部聞いた。
わたしの手帳でその聞き取りに7ページにわたった。

(次回わたしのツアーにご参加の方にもこれを全部くわしく語るね)
魅せられること間違いないから。

人間の創世から
双子の男の子の2世代にわたる活躍なんだけど、
天国とこの世と地獄のことも描かれている。

18世紀のはじめに、チチカステナンゴの図書館で
マヤのキチェ語がラテン語で記されたこの本を見つけた
フランシスコ・ヒメネスが一文、一文、訳したあと、
これは聖書の真似だと断定して、
それから300年。
この神話のレリーフがエルミラドール遺跡から見つかり、
ポポル・ブフは聖書の真似どころか、聖書より
昔からマヤの人々に口承で伝わっていたことがわかったの。
このポポル・ブフを理解していれば
マヤ遺跡探訪が数倍楽しいとおもう。


聖母マリアが双子を抱いている。珍しいでしょ。マヤの文化とキリスト教がミックス

マヤの創世(ホポル・ブフ)の神話の中では
人間を最後に決定的に作ったのはトウモロコシの種、色の違う四種



それに、グアテマラの歴史がはじまった、
ペドロ・デ・アルバラードとキチェ族の英雄
テクン・ウマンの戦いの話。(わたしの手帳の聞き取りで2ページ半。笑)
馬から落ちて倒れているアルバラード(スペインの侵略者の大将)に
近づいて切り殺されたテクン・ウマン。

帰国してからちょっと調べてみたけど
わたしが知ってるほど詳しく書いてある資料は
なかったよ

テクンウマンの身に着けていた戦いの衣装は
グアテマラの国鳥ケツァールのようだった


*

マヤの(土着の)神様 マシモン

タバコをくわえていてお酒が好き。笑
親しみ感じるよね~


そのマシモンもキリスト教会のカテドラルの祭壇に
掘られている。


毎年交代で、このマシモンの像を管理する家があるの。そこに
お参りにいくの。お酒やタバコをもって。

*

マヤのツツヒル族その人々の村
サンティアゴ・アティトランで
マリアさんが伝統的な女性の巻きスタイルの帽子をかぶって見せてくれている

長い髪とこの長い紐状のベルトみたいなのを巻き付けていくの




町を歩けばカルフルな民族衣装


神様や鬼やそれを表現する方法は
人種や文化が違っててもどこか共通。


*

日本に帰ってきて、もういっこ調べてみたけど
なんの資料もないもの。
スペイン語で「en carnado」というらしいんだけど。

アンティグアの町にある、メルセー教会でのこと。

観光客は必ずいく有名な教会なんだけど、
そこの祭壇にあるキリストの像。この町の大きなお祭りの
行進にも駆り出される。


この、イエス・キリストの顔がね。肌がね。
本物に見えるように、当時の職人が
豚の腸を噛み続けて、それをなんらかの薬品と混ぜて
顔に塗って作ったと、
わたしの英語では何度確認してもそう聞いた。

口の中でくちゅくちゅして出して、と。



そんな技術あるの?


血が流れている。

この肌が?

これ、どこにも書かれてない。

ヨーッパの教会でも地元のガイドさんから時々、
本には書かれてない不思議なことをいろいろ聞く。
カソリックの教会にはなにか超越したような
逸話がいろいろある。聖遺物もそうだけど、ほんまなのかな、とか思うような。
なんか不思議で、忘れられない。

ちなみにこのイエスの顔の肉は
1654年にマテオ・デ・スニガという職人が注文して
作らせた技術なんだとか。

どなたか、ご存じだったら教えてださい。
















フエゴ火山 グアテマラ たくさんの成層火山

2020-02-14 21:43:58 | 南米・中米
今朝、いつもお世話になっているベビーシッタさんに
会ってお話してたの。中学になってもよろしくお願いしますとか。
ベビーシッターさん、いつも帰りの遅い
うちの父ちゃんや留守番するはーたんを大変だと思ってて。
「パパも大変だよね」「はーたんも大変だね」
って言ってくださったらしいの、そしたらはーたんが、
「ママも大変だよ」
って

そう言ってたのよー、と、
それをわたしに伝えてくれたベビーシッターさんに感謝。


*

グアテマラといえば、コーヒーだけど。
火山の国でもあり、お客さんたちも
こんなにもたくさんの火山とは!て驚いていらっしゃった。

環太平洋造山帯に
ココスプレートに
沈み込み帯。

日本と同じようにプレート同士がぶつかり、
沈み込むその陸地のほうには
成層火山が多いということもわたしのバイブル「地球のしくみ」(新星出版社)
が写真とともに詳しく教えてくれている。

わたし、地形を見るときに、完全に地球の内部から
ものごとを見るようになっている
何千万年前からとか、どんな地球の内部とか、考えるようになっている。
(学生時代からこうなら、もっと授業も楽しかっただろうな)
地球の内部の熱も、前より意識しておもう。


そういうわけで、
富士山みたいな美しい山がたくさんあって、
ちょうど日本なら秩父から雲海の上に富士山を眺めるみたいな感じが
グアテマラには雲海の上にたくさん
富士山を眺めるイメージ。

これからアップする写真にはピンボケもたくさんあるとおもうけどお許しを。

これは、中米最高峰タフムルコ4220mに登り、
雲海と山々のご来光を見た日

はるか左の方に一昨日の朝にいたアカテナンゴ山や、アグア山、フエゴ山もみえてる。


メキシコの国境も近く、振り向くと、中米二位のタカナ山4092mに
影タフムルコ!(わたしたちの山が雲海に写っているの)


風が強くて、非日常感はんぱなかった。




グアテマラで最も活動が盛んなフエゴ山を、
アカテナンゴ山3976mに登って見た日。前日記のダイアモンドアグア山をみたとき。


富士山が三つ並んでる場所なの。

キャンプ張った場所から、超間近に
噴火見えるよ。↓これは登ってる途中から



10分に1回から3回とか、
爆音と噴煙が上がり、吹き上がったときに、たくさんの
噴石が散らばり、
それが暗くなると赤く、流れていくのが大迫力なの。


美しいだけでなく、わたしたちは
御嶽山のことも思って怖くなったりした。

このグアテマラも、歴史が噴火や地震で
変わってきた国。たくさんの人々が犠牲になっている。

暮らしもなにもかも、のみこむ、火山の力を
感じた。


三脚たてて、星と噴火を撮るのに挑戦したけど
めちゃ難しかった。


こっちはアグア山と月

アグアはマヤの人々が水の山、
フエゴは火の山と呼んでいた。
フエゴ山



ピント合わせに苦労してるのもわかるかしら・・・













だんだん、音も聞こえてくるじゃろ?





この噴火も一晩みてると、小さい噴火には驚かなくり、
大きいのだけを求めるようになる・・・
真夜中のテントの中でもすごい爆音のときには気になって
テントをあけて外をのぞいてみたり。


日中はこんなふうに色がない








と、隣のアグア山 左側にも火山のパカヤ 夜には先っぽが赤くなっていた。


写真がたくさんなので
upしてみたよ♪まだまだまだまだまーだ、あるんだけどね。


この国は1500年代にスペインの侵略が始まって
マヤ文明とスペインの持ち込んだキリスト教の文化がミックス。
マヤだけの生活は少なくなりつつあるけど、残ってる。
そういうのを次はご紹介するね。















グアテマラから帰国 いい旅いい出会い

2020-02-13 09:22:47 | 南米・中米
ブエノス ディアス!
グアテマラからメキシコ経由で、さっき
成田空港へ帰ってるきたよ。
時差が15時間あるので12日がなくて、11日から
13日の朝になってる、変な感じ。

スカイライナーに乗って、
思いかえしてる。

グアテマラの火山と、マヤ文明、
グアテマラの歴史。

これは、朝、3900mのアカテナンゴ火山から
活発なフエゴ山の噴火と
ダイアモンドアグア山のご来光を見ているところ!

ちょうど富士山が近くに三つある感じの景色なんだよ。



おすすめ、ツアーだよ、これ♡


マヤ文明もたくさん知れた。これは
わたしのお誕生日の、マヤの占い。



当たってるし。笑笑
お客さんのも当たってるらしかったから笑った。

山も素敵だったけど
優秀なガイドさんのおかげで
旅が100倍深まり、お客さんたちが
もう一度、今度はマヤの遺跡を見に行きたいと
盛り上がった。

たまらん充実感
これでわたしは、この仕事の中毒なんじゃわ。

お客さんたちが
こんなに笑った旅ははじめて、とても
面白かった、とたくさん言ってくださって
ほんと、嬉しい。

わたしをすごく感動させるものは、
景色もだけど
刺激をくれる人に出会うこと。
わたしより14歳も若いけど、よく勉強してて
いろんなことを教えてくれて、
そして、会話も冗談たくさんで、一緒にいて
とても楽しかった、マックスにありがとう。
彼はマヤとスペインの血をうけている。
そしてお互い心地よく仕事できるのは
お互い同じように感じるもの。
たとえ、これまで、会ったことなくても
違う人生を歩んでいても、なにか
あたたかい心は共通。
今回もそう思えた。

最後の夜に一緒に飲んだ時
思い出にと、
一緒に飲んだラム酒からラベルを剥がして
わたしにくれた。

小さい頃、このラベルの中の女性が持ってる
このボトルのラベルにも女性が写ってるかどうか、
目を凝らして見てた、と、笑わせてくれた。

肉眼でみても、たしかにわからん。虫眼鏡で見てみたい。

また、

写真とかアップするね!!

お客さんたちも、絶対これはおすすめツアーだって
言われていたよ
ツアータイトルは
中米最高峰タフムルコ4220m登頂
アカテナンゴ山3976m登頂

なんかもう、もっともっと、
本を読んでたくさん、ずっと勉強していきたいなあ
ておもう!

地球の物語を知りたい
そして、こんなふうに誰かと語りたい。マックスと話したように。



メキシコ経由でグアテマラへ

2020-02-05 14:41:17 | 南米・中米
慌ただしくて
何もかけなかった

けど、いってきまーす♪


アエロメヒコ


成田空港は、マスクの人が多いです。

わたしもしてます。珍しく。

これから12時間半で
メキシコシティ

そして乗り換え
2時間でグアテマラ!

二つの火山の山に登ってきます。

いい旅になりますように、ワクワク♡

留守中またまたよろしくお願いします。



マチュピチュは

2019-10-04 11:46:05 | 南米・中米


昨日、ペルーツアーの旅日記を作り終えた
なんか出来栄えはたいしたことないような、ごちゃごちゃした感じなんだけど
わたしとしてはとってもとっても心こめてるし、
写真がいろいろよすぎて、笑、選ぶのがたいへんで、それをA4の1ページ1ページに
まとめるのが超たいへん。
つくづく、自分は割り切るとか、要領よく、とか、
切り捨てるとか、苦手なのだとおもうわ。
あれもこれも、という、性格そのままじゃわ。

受け取ったお客さんたちが、喜んでくださったら
嬉しいな😆

はあ、マチュピチュ。

溢れてくる感動を、
このブログ上でもまとめることは無理と思うの
(しかもいま、電車で移動中)

ああスピリチュアル、ああ熊野古道
ああ蘭に、あー深い谷に・・




熊野古道を思い出すよ。






そして!たくさんの蘭の花など
お花がとても綺麗だった。蘭街道と呼べるほど。




この赤いのはカントゥータという、ペルーの国の花


これはチンプチンプ、とメモしてるわ


そうそう、旅日記つくるとき、
自分のメモの字が読めないことが多い。笑



インカ道を歩いてマチュピチュに入ると
普通の観光の方々より、(いきなり、バスで行ってマチュピチュ遺跡に入るより)
感動が大きいのは、仕方ないね。笑

インカの人々が1400年から1500年ごろ、
道を作り、太陽の神を崇め、
暮らしてた。
山中のあちこちに、遺跡が残ってて、それらをつなぐように
石垣の道が残ってる。


これはチャチャバンバ遺跡


これはウイニャイワイナ遺跡

山の斜面に段々
すごい場所なのよ。






この窓からのぞくと







すごいなとおもうのが、6/21のこちらの夏至の日、ペルーの冬至、
窓からちょうど太陽が差し込んで神殿を照らすようになってる
というようなのが、あちこちにあったり。

これはマチュピチュ遺跡の中にある、


南十字星を表している。
真南を向いているの!


半端だけど、
これからいろいろ、用事あってホットヨガにいって。
モンチュラにも寄って、すーさんの散歩して、
夕方から長野に行くの。

マチュピチュは、また、帰りの電車ですこし、内容なおしたり、
また時間あるときにつづきを。

(中途半端なところでごめんなさい)

わたし、3日前に?
おへその下を、火傷してね。かなり、ひどい。
痛いし。みなさんも、火傷に注意。苦笑







レインボーマウンテン ペルー

2019-10-01 15:36:16 | 南米・中米


九月のペルーのツアより。

まずはレインボーマウンテンのほうから。
日帰りで歩いてきた。標高はスタート地点が4500m
ヴィニクンカという展望の山の上が5036m

晴れてとっても気持ちいい一日だった。


今、大人気の場所になっているので
たくさんの観光客(馬でも行けるし)で
わたしがここ10年に行ったあちこちの自然の中では
最大の混み具合だった。(いや、
富士山よりはだいぶマシだね、とお客さんたちと話してた)

最近、人のいない秘境地を歩いてるほうが多かったからなあ。
それでも周辺のダイナミックで不思議な景色は
想像以上に素敵だった。
忘れがたい





馬も一緒に氷河の山をバックに絵になること。


そして青空に、広がる大地と山々がとっても気持ちいい。








雲が動いていって山肌の色をゆっくりと
変えていくの。

ここにテントを張れて夜空を見上げたらどんなにきれいだろう。
あちこち歩きまわれたらどんなにもっといいだろう♪





アウサンガテ6390m

レインボーマウンテンから振り返ったところに
堂々とそびえている。信仰の山。

色、加工しなくてもとても美しい

よくこんなふうになったよね





いつまでも座ってぼーっと見ていたい景色だった。




いいお天気にありがとう


(最初の一枚だけ加工してみた)