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新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

受難週の聖書日課の祈り 金曜日(受難日)

2016年03月25日 | 日記

3月25日(金)受難日(イエスさまが十字架に架けられた日)

 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

   ルカによる福音書 23章32~49節


 イエスさまが十字架にお架かりになったとき、回りにいた人たちは口々にイエスさまのことを罵りました。それらの言葉は、実に人間らしい考えに基づいた、人間の言葉そのものではないかと思います。

 イエスさまが十字架にお架かりになった理由は、人間的な考えで理解できるものではありませんでした。その理由を知りたいなら、人間的な考えや、人間の言葉とは正反対のことをイメージしてみる必要があるのかもしれません。そうすると、遠くに立ってイエスさまの十字架を見ることしかできなかった婦人たちは、実は神さまの救いの御業を見ていたことになるのではないでしょうか。

 

 

 

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