水・金の夜、欠かさず体育館に詰めていると
時折、事前の連絡なく
OB達の訪問を受けることがあります
「お帰り~よく帰って来たね」
社会人・高校生となった彼ら
竹刀を納めて、今は他の競技に注力する者
剣道を再開したいが、環境が整わない者と様々
近況を語り、また尽きぬ思い出話・・・
そんな時は会話に夢中になるあまり
画像の記録を怠りがちです
6月最後の稽古終了間際には
嘗て年少者の指導で長く活躍してくれた指導者が
関西から来葉、目と目で交わす言葉
ほんの僅かの時間でしたが、久しぶりの親交を楽しみました
距離や時を隔てても鶴沢に思いを寄せてくれる
そんな大切な仲間の存在に支えられています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/71/d31ed12a93fb357f67595a85ac5b6b76.jpg)
そして7月に入りました
この月には特別な思い入れがあります
以下は問わず語りにつきお目こぼし下さい
子供と共に初めて鶴沢の体育館にやって来たのは
平成6年7月
当時は鍵当番・お茶当番、会計などの役員制度があり
当初から会の運営に関わることとなりました
子供の卒業と共に親も役割を終えるのが通例のところ
なぜか一人残った私
元会長の意気に触れたこと
平成の初頭に会員数2名”市内最小最弱”だった
鶴沢剣友会に寄り添っていたかったからでしょうか
何とか会員数を増やしたい…が妙案は浮かばず
稀に子供の数は揃った時期には指導陣が不安定になる
もはやこれまでと天を仰いだこと数回
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9c/f320066800084dc311957bd2212c2b6a.jpg)
そんな折、テレビの番組が目が留まりました
地道な活動を続けるも国内では評価に至らなかった芸術家が
欧州に渡り、かの地で誰もが知る存在になったとのこと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/2f/b02f8e8615c61fb5a55af0c466aeb5e9.jpg)
洞窟様のアトリエで日本からの取材を受けた
件の芸術家
「石の上にも三年と言うことわざがあるでしょう? あれは嘘です」
「正しくは石の上にも三十年です」と決然と言い放ちました
”石の上にも三十年”がストンと胸に落ちました
以来、多くを望まず足元のみを見て歩んで来ました
満願の来年、私の目に映るのは希望か落胆か
愚かな事務局の格闘は続きます
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