祖父はこの時期、(昭和17年~19年秋)まで、大和へは乗艦しておりません。
祖父の大和乗艦は、昭和19年(1944年)12月23日付け海軍の人事異動に端を発します。日本海軍はレイテ沖海戦後、「GF」(連合艦隊)は事実上解体。第二艦隊のみが唯一の水上部隊となります。司令長官「伊藤整一」祖父の上司でもありました。
「奮戦スレド徒死スルナカレ」二艦隊の訓令です。
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ひー様のブログで以前、「青葉神社」内、展示室の記事がございました。祖父の遺影が紹介されました。少し祖父を紹介いたします。
そして、祖父の顛末への第一番目の疑問が一號艦構造にもあったのでした。 . . . 本文を読む
さて、建艦もそろそろ進水間近となってまいりましたが、本日は、少し祖父を語ります。
本来は主人公だった?はずですが、本人が登場するまでまだ時間がかかります。
夏と言えば当然海。「よこちん」では恒例の「ある大会」が開催されます。 . . . 本文を読む
お久しぶりでございます。本当に自身の仕事が佳境に入ります。不定期な更新を与儀されております。語る事は何とかなるのですが、史料を整理しながらですので、その時間が取れなくなります。ご容赦下さい。一度コメントを頂きました「ドライな奴」様と昨日お会いいたしました。「初耳の用語が多くて、でも船ってこう作られていたんですね」と話されておりました。 . . . 本文を読む
大和の建造過程を語ります際、よく聞きますのが、例えば46サンチ主砲がどうこうであるとか、日本光学の測距儀がどうこうとか語れますし、多くの人が「これは凄い」と知っておられることだと存じます。ですが、大和が船として存在しております事実を船の視点から語られる機会が意外な程少ない事にも気づきます。
そう言った視点から「くだまき」を語っておる次第でございます。 . . . 本文を読む