数々のご指摘を頂戴いたしました。
本当に感謝いたします。改めて御礼申し上げる次第でございます。
「おせっかい焼き様」ありがとうございます。
(写真は昭和52年4月7日、靖国神社で行われました慰霊祭のパンフレットの一部です。
多くの方からお話を聞くことができました。詳細は別として今後語ります。
清水芳人さん 当時 大和副砲長 から頭をなでられました。)
本日、ここで、酔漢がこの時期何故「大和を . . . 本文を読む
大和通信室へは、GFからの命令、戦況、多々情報が逐一入電してきます。24時間、稼動し、勤務は交代性(当宿直4交代)。沖縄の戦況は、GF本部とほぼ同時に把握できております。
この時期、海軍本部より2F司令部の方が戦争の顛末を冷静に分析していたのではないか。そう考えております。
この章、酔漢の史観を含めて私見を語ります . . . 本文を読む
大和が沖縄へ向う、その背景を少しばかり語らなくてはならないと考えました。
硫黄島、沖縄。この昭和20年初頭は、歴史の転換点として大きな意味を持っております。
大和通信室へは、刻々と戦況が報告されております。
祖父はどんな思いで平文にしていたのでしょうか。 . . . 本文を読む
前回、昭和20年正月の様子をご紹介いたしました。以前、大和艦上での写真を合わせてご覧頂きましたが、この写真が昭和20年1月7日と推察いたしております。海軍はレイテの敗戦を境に、海上部隊はほぼ作戦不能となっております。
空母は新鋭の信濃のみ。(沈没の経緯は語りました)
航空作戦を主とする「天號作戦」が開始されます。 . . . 本文を読む
お久しぶりでござしました。こんなにも更新出来なかったことは、過去にございませんでした。まったく時間が会社に取られております。休みもあったのですが、身体のケアだけで終わるような一日でした。
「呉局ウ556司令部」は大和からの郵便暗号です。
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初詣。酔漢は塩竈神社が恒例でございました。
やはり、丹治さん、そして丹治さんの弟さんなどと、除夜の鐘を聞きながらの初詣は、おもせかった!
今ここは藤沢市。横須賀におりました酔漢祖父家族です。鶴岡八幡宮は初詣のメッカ。いやぁ、この人ごみは半端じゃありません。 . . . 本文を読む
前々回の記事におきまして、ご指摘がございました。「呉局ウ556司令部」附きと申しますのは「第二艦隊」を指すのではなく「大和」本体を指すものだという事でした。郵便暗号です。「akagi1765」様、ご指摘、誠にありがとうございました。案外遺族の中でも知らなかった方が多いのではないのでしょうか。酔漢は父から「二艦隊」と聞いておりました。この場ではございますが御礼申し上げます。 . . . 本文を読む
ようやく、更新が出来ました。この間、皆様のブログに遊びに行くことも出来ず、やきもきしておりました。「仕事人間」にはなりたくないものの、そういう訳にもまいりません。大和沖縄までの経過の中でこの「人物を語らなければならない」と考えました。「伊藤整一、第二艦隊司令長官」です。母校講師(酔漢は「非常勤」でした)仙台出身「星亮一先生」が見事な人物伝をお書きになられております。 . . . 本文を読む
祖父が海軍を志した動機。これは本人に聞くのが一番いいのですが、そうもまいりません。周りの方々からのお話をかいつまみますとやはり「百姓は嫌だ」になるのかと考えました。七ヶ浜には祖父が相続しても問題はない(現行法では)土地はあったのですが、全部放棄しております。祖父は七ヶ浜村から海軍を志します。 . . . 本文を読む