芭蕉の5月8日の足跡を振り帰っております。
先だって、「末の松山」をご紹介いたしましたが、「多賀城碑」へ立ち寄ったのは、一度塩竈へ入ってから再び多賀城へ戻った。こうした史実なのです。
芭蕉は、塩竈から、その後、松島へと舟で向かいます。
「おくのほそ道」で、最も、感動的で高揚した芭蕉がそこにはあります。
故郷です。
その故郷は、枢機な運命に翻弄されるかのような歴史をたどっているように感じます。
時代 . . . 本文を読む
今年はバラ達にとっては、過ごしやすかった秋だったかもしれません。
夏の猛暑が早くに終わって、雨も多かった(台風もありましたが)しべを食べる「かなぶん」が少なかったのです。
その代わり、黒点病がやや流行したかな?
香りは良くても、花弁の傷んだ様子が秋の代名詞だったのですが、総じて良い顔をしてくれました。
キャラメルアンティークです。
愛好家の間では「キャラアン姫」とも「キャラアンちゃん」とも呼 . . . 本文を読む
きみをおきてあだし心をわがもたば末の松山浪も越えなむ 古今集 東哥
いかにせん末の松山波こさばみねの初雪消えもこそすれ 匡房
ほとときす末の松山かぜ吹けば波こす暮にたちゐ鳴くなり 俊頼
うかりける昔の末の松山よ波こせとやは思ひ置きけん 俊成
浪こさむ袖とはかねておもひにきすゑの松山たづね見しより 定家
冒頭より、末の松山の歌をご紹介いたしました。
末の松山は松の歌枕。
それは理解している(と、い . . . 本文を読む
壺碑 市川村多賀城に有
つぼの石ぶみは 高サ六尺余 横三尺計歟
苔を穿て文字幽也 四維国界之数里をしるす
この城 神亀元年 按察使鎮守符将軍大野朝臣東人之所里也
天平宝字六年 参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣■修道而
十二月朔日
とあり 聖武皇帝の御時に当れり
むかしよりよみおける歌枕 おほく語伝ふといへども
山崩 川流て 道あらたまり
石は埋て土にかくれ 木は老 . . . 本文を読む