酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 三笠逸男上曹

2011-02-25 11:04:13 | 大和を語る
東京上野動物園に「パンダ」が帰って来ました。 (今日のお話がパンダから始まるにはそれなりに訳があるんです。しばしお付き合いの程を・・・・) やはり、そこはブーム世代ですから、パンダなる生き物は実際目で確かめてみたい。そんな衝動に駆られてはおりました。 「来週、東京さぁいぐど」と父。 「いきなりなにっしゃ?」 「『大和』の慰霊祭さぁでがけっぺ!去年、徳之島さぁ行ったときに三笠さんから『来年は東京、靖 . . . 本文を読む
コメント

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 能村次郎副長

2011-02-22 10:33:57 | 大和を語る
東北随一の繁華街「国分丁」その三丁目には「一心」という日本酒のコレクションでは髄一の居酒屋がございます。 そのビルの名前「ダイハツ板垣ビル」 そこは「酔漢」でございますので、チェックは怠りません。 一度、青森の地酒「田酒」などをいただきながら、旬の肴を摘まんでおりました。 仙台在住の方でありますれば「板垣フルーツ」は御存知であろうかと思います。 「エスパルの中にあるフルーツショップ」と言えばお分か . . . 本文を読む
コメント (4)

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 石田恒夫少佐

2011-02-21 10:05:58 | 大和を語る
昭和五十七年八月十五日付け、父宛書簡です。 当時、戦艦大和会会長「石田恒夫元少佐」からのものでございます。 同様の書簡は、大和会会員の皆様へ送られたものだと思います。 この書簡ど共に、同封されておりましたのが、祝詞の写しでございました。 先ずは文面をご紹介いたします。 残暑御見舞申し上げます。 不順な気象の中で日一日と秋に向かって矢の如く進む支陰を嘆じています。 今年は戦艦大和で大変お世話になり . . . 本文を読む
コメント

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 準特攻 四

2011-02-18 11:15:20 | 大和を語る
昭和六十年年末12月に塩竈に届きました「戦艦大和会会報『かわら版』」です。 当時の会長は元第二艦隊司令部副官「石田恒夫」さんでした。 石田さんが会長時代、事細かい会報が送られてまいりました。 特に、会計の項目では、使途明細など一円単位で知らしております。 さすが、経二十四期卒です。 写真は、ちょうどパイセスが大和の沈没地点を特定し、遺品数点を引き上げた頃です。 ネクタイ中央の鉄くずは大和のものです . . . 本文を読む
コメント

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 準特攻 参

2011-02-15 11:36:32 | 大和を語る
コメントへの返礼が滞りました。 この場を借りまして、お詫び申し上げます。 再度、再度「一億特攻のさきがけ」を検証してまいります。 「一億総特攻」について、この言葉が使われた時期を推察してまいります。 「海上特攻作戦は、作戦の担当者としてこんなに辛いことはなかった。命令する立場として『お前死んでこい』と平然と申しわたすにはよほどの修養を積む必要があった。ところが、作戦課の周囲にいる人たち、みずか . . . 本文を読む
コメント

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 準特攻 弐

2011-02-08 09:58:04 | 大和を語る
戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊 戦没戦士第三十三回忌合同慰霊祭 祭主 戦艦大和会会長 古村啓蔵 協賛 徳之島伊仙町長 樺山信忠 昭和五十二年二月 上記写真は父宛に届きました「合同慰霊祭案内状」でございます。 父はこの春、徳之島へ出かけております。 三十三回忌ということもあり多くの方がご出席されておられます。 以前、原為一さんと古村啓蔵さんのお写真を公開いたしました。これはそのときのものでござい . . . 本文を読む
コメント

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 準特攻

2011-02-04 10:09:27 | 大和を語る
昭和二十年七月 小澤治三郎連合艦隊司令長官の布告です。 ここに改めてご紹介いたします。 機密聯合艦隊艦隊告示第一一四號   布告     第一遊撃舞台ノ大部  昭和二十年四月初旬海上特攻隊トシテ沖縄島周辺ノ敵艦隊ニ對シ 壮烈無比ノ突入作戦ヲ決行シ帝国海軍ノ傳統ト我水上部隊ノ精筆ヲ 遺憾ナク発揚シ艦隊司令長官ヲ先頭ニ幾多忠勇ノ士皇國護持ノ大義 ニ殉ズ報國ノ至誠心肝ヲ貫キ忠烈万世ニ燦タリ  仍テ茲 . . . 本文を読む
コメント (5)