昭和49年、酔漢は塩竃市立第二小学校6年7組に在籍しておりました。この年の秋から冬にかけては、酔漢と同じ世代の人達はかなり大きな変動と社会的にも大きな影響を受けた年ではなかったでしょうか。このブログでも、連合赤軍による国際的事件を扱いました。で、プロ野球でも10連覇をめざした読売巨人軍がセリーグで中日ドラゴンズにリーグ制覇をされるのではないかという熾烈なペナントレースを争っていましたし、なんと言 . . . 本文を読む
晩ご飯の時、テレビは、「リボンの騎士」の再放送を放映していました。オープニングタイトルとテーマ曲が画面から流れてきました。(オーケストラを駆使したあの音楽は今でもスゴイ。トムジェリ並みの音響効果だったと思います)スタッフの紹介が字幕で流れていたとき、「おかあさんこの人のおかあさん知ってるよ」といきなり母親が話しはじめました。「えっだれ?」と言ったときには、字幕は当然流れておりました。
「『丸山正 . . . 本文を読む
現在、塩竃市立第二小学校の校舎は、北側と西側にあります。西側の古い校舎は酔漢が幼稚園(小学校に入る前年)の頃に完成したものです。ですから当時は今の古い校舎の事を新校舎と呼んでいました。で、今の校舎のあったあたりは、同じ位置に2階建ての木造校舎がありました。
酔漢は4年5組。木造校舎の2階、真ん中あたりの教室です。
宮崎ばっぱ(担任の先生)は、中原誠名人の講演会に出席できる4名を選びました。酔漢も . . . 本文を読む
連合赤軍によるハーグ事件という、遠い世界で起きた事が、よもや僕等の身近なところで繫がっていたなんて、想像すらできませんでした。まして、小学生ですから、主義だの主張だのは理解できません。ただ僕等の頭の中には、浅間山荘事件の記憶がまだ新しく残っておりましたし、単に、恐ろしい集団、それこそ、本当に存在したならば、ショッカー(仮面ライダー)と同レベルでの認識でしかありませんでした。浅間山荘事 . . . 本文を読む
放課後、僕等は先生(エツジ)の言う事も聞かずに、学校の裏門から社会的に(国際的に)大きな事件を起こした、犯人の実家を見に行きました。家の前は黒塗りに各新聞社の旗をフロントに取り付けた車でいっぱいでした。さすがにあの時代、テレビのリポーターはおりませんでしたが。それと警察のパトカーが数台止まっていました。家は雨戸で締め切られ、当然中の様子は見えません。近所のおばちゃん達など野次馬が遠めで眺めている様 . . . 本文を読む
この話を書くのに、題名をどのようにしようか、悩みました。一つの教室が僕等と3つのキーワードを結びつけていましたので。で、いろいろ考えた末、そのままタイトルといたしました。今日はそのはじめ、ものすごい事件(社会的な)が起きたその日が始まりです。
1974年、僕等は小学校6年生でした。最初の話にも書きましたが、当時塩竃市立第二小学校は児童数が多く、宮城県では岩沼第二小学校に次ぐ人数だったと記憶して . . . 本文を読む