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酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 矢矧 最期

2010-10-06 12:48:25 | 大和を語る
前回の写真をそのまま再び掲載いたしました。古村第二水雷戦隊司令官と原矢矧艦長です。 丹治様からのコメントにもございますが、古村啓蔵司令官は第二水雷戦隊司令官着任の前は戦艦武蔵艦長でもございました。 武蔵艦長時代は髭を蓄えた艦長でした。以前もお話いたしましたが、渾名は「ゴリラ」でございました。 久しく、この話題から遠ざかっておりました。ほぼ一か月が経ちました。 本来「くだまき」は笑いを意識いたしまし . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 矢矧 四

2010-09-29 11:04:33 | 大和を語る
矢矧の奮戦を再び語ります。が、本日、本編としては、いささか時間に制限がございます。 これから仕事です。 ですが、父のアルバムから一枚の写真をご紹介いたします。 この写真、昭和52年4月7日。徳之島で行われました慰霊祭での集合写真です。 写真の題はこのように記載されております。 「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没戦士 第三十三回忌合同慰霊祭参加記念」 「於 徳之島犬田岬 52.4.7」 酔漢父が . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 矢矧 三

2010-09-09 11:00:35 | 大和を語る
不幸にして艦が停止するや、わが矢矧は敵攻撃の生き目標となり、いながらにして雷爆銃の集中攻撃をうけるに至った。もちろん損傷少ないわが砲銃は一刻たりとも黙してはいない。全員必死の奮闘により、少なくとも七、八機の敵機は確かに撃墜撃破したものの、いよいよ苛烈となった敵雷爆撃の命中炸裂によって、わが高射砲機銃は架台も人も、もろともに、相次いで空中高く吹き飛ばされてしまった。 (原為一 矢矧艦長 手記より抜粋 . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 矢矧 二

2010-09-01 13:18:05 | 大和を語る
「矢矧」魚雷数本ノ巣ト化シ、タダ薄黒キ飛沫トナッテ四散 上記は大和元電測士吉田満氏が著されました「戦艦大和ノ最期」からの抜粋です。 「矢矧」の奮戦はこのたった一行からは伝わりません。映画「男たちの大和」は、大和が主人公でございましたので致し方ないのかもしれませんが、「坊ノ岬沖海戦」があたかも大和一艦だけの戦いのような描き方がされております。 酔漢はこれまで「冬月」「涼月」「朝霜」と第二水雷戦隊の . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 大和の厨房です

2010-08-07 07:19:35 | 大和を語る
来週、帰省いたします。盆の時期に帰省するのは、こちらに来て初めてのことです。渋滞の想像がつきません。新幹線も指定券。これも十五年ぶりのことなのでした。来週更新できません。ご容赦下さい。 ひー様のブログからです。今回、大和の厨房を少しだけご紹介いたします。 . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 矢矧 一

2010-08-04 11:58:24 | 大和を語る
矢矧の記録を整理しております真っ最中。先週、軍艦「矢矧」海戦記なる本が出版されました。これを読み込んでおりました。矢矧を語る覚悟を決めて一か月、その顛末を整理しておりましたが、全くタイムリーに本が出版されました。 この本との出会いに運命的なものを感じた酔漢でございます。 お知らせ下さいました丹治道彦東北工業大学准教授に心より感謝申し上げる所存です。 . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 史料を整理いたしております

2010-07-28 09:34:35 | 大和を語る
暑い日が続いております。丁度、住んでいるところの真下の道が江ノ島までの近道ですので、週末になれば車が渋滞。 片瀬の海岸他連日大賑わいの今年の夏です。 故郷宮城もそうだと、先だっての「河北」にございました。菖蒲田浜、外人浜。海水浴場としては桂島の浜が好きでした。 今月初め、父の四十九日の法要を済ませました。みなと祭りとぶつかり、久々に故郷の祭りを堪能致しました。 さて、実家の父の書斎を整理してお . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 大和三 

2010-07-21 11:10:13 | 大和を語る
激しい雷撃が続いております。大和は左舷を中心に雷撃を喰らっております。艦の傾斜が激しくなっておりました。 十三時三十七分に立て続けに左舷に三本の魚雷が命中。 十三時四十四分までにさらに左舷に三本。右舷に一本の命中を記録しております。 (多くの証言が入り組んでおりますが米軍記録による雷撃被弾の数値です) 「皆頑張れ!皆頑張れ!」 有賀幸作艦長は防空指揮所から声をからして叫んでおります。 「総員、がん . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 大和 ニ

2010-07-14 11:10:36 | 大和を語る
艦長伝令塚本高夫ニ曹は防空指揮所で、黒田砲術長からの「三式弾時限信管秒数ゼロ」の指示を聞きました。 第一次第一波攻撃中に主砲を発砲し、有賀艦長がどれだけ叱声を砲術長へ浴びせたか、自身は側にいるから知っているのでした。その第一次攻撃終了間近に艦長は「主砲、副砲射ち方中止」を下令していました。そして第一次第二波攻撃中の今は再び「主砲、副砲射ち方開始」とはなっております。ですが、主砲の発砲は別です。主 . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 大和 一

2010-07-01 05:11:30 | 大和を語る
大和の奮戦を語ります。少し間が開きましたが、祖父がいた場所も特定できました。暗号、通信に携わった方々が殆ど生還されておられません。大和の図面からその史実を推察することが出来そうです。 大和、第一波攻撃終了直後、第二波攻撃が開始されます。 昭和二十年四月七日。十二時五十八分の出来事です。 . . . 本文を読む
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