戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊
戦没戦士第三十三回忌合同慰霊祭
祭主 戦艦大和会会長 古村啓蔵
協賛 徳之島伊仙町長 樺山信忠
昭和五十二年二月
上記写真は父宛に届きました「合同慰霊祭案内状」でございます。
父はこの春、徳之島へ出かけております。
三十三回忌ということもあり多くの方がご出席されておられます。
以前、原為一さんと古村啓蔵さんのお写真を公開いたしました。これはそのときのものでござい . . . 本文を読む
昭和二十年七月 小澤治三郎連合艦隊司令長官の布告です。
ここに改めてご紹介いたします。
機密聯合艦隊艦隊告示第一一四號
布告
第一遊撃舞台ノ大部
昭和二十年四月初旬海上特攻隊トシテ沖縄島周辺ノ敵艦隊ニ對シ
壮烈無比ノ突入作戦ヲ決行シ帝国海軍ノ傳統ト我水上部隊ノ精筆ヲ
遺憾ナク発揚シ艦隊司令長官ヲ先頭ニ幾多忠勇ノ士皇國護持ノ大義
ニ殉ズ報國ノ至誠心肝ヲ貫キ忠烈万世ニ燦タリ
仍テ茲 . . . 本文を読む
戦後1945年9月29日新聞紙上で公開された大和の沖縄突入では,総特攻のさきがけとしてではなく,「沖縄救援の途上」「米機の巨(大爆)弾」を受けて「海上砲台の猛威を果たさず」撃沈された,としている。「沖縄へ最期の逆襲」をする無謀な敵泊地,上陸地点への突入は失敗し,「この世の終わりかと」悲惨な末路を記事にしている。
「戦艦大和」が広く国民の目にさらされ、その存在が明らかとなったのは新聞記事からでご . . . 本文を読む
「空襲警報がなったかなんねぇがったか。そいずは忘れた。んでも、確かにカーチスが浜(七ヶ浜)さ来たのは覚えてっぺ。すごい低空で飛んできてや、機銃ばぶっ放して、すぐまたけぇって行った。誰、パイロットの顔見えたんだおん。たまげたなや。正直、零戦よりかっこえがった(笑)」
父との会話です。これが町史と残されているのか定かではございません。ですが、貴重な証言だと考えました。カーチスは艦載機ではなかったと記 . . . 本文を読む
「大和を語る」本日より再び再開いたします。
これまで「大和を生みし者達」として大和建造の過程とそこに生きた人間を「西島亮二」の視点を中心に語りました。
そして戦闘の様子、状況などは「奮戦スレド徒死スルナカレ」として語ってまいりました。
今回は三章目。私ども家族のこと、そして「ご生還された方が戦後どのように大和とかかわってきたか」を中心に語ります。
本来、酔漢が語らなけらばならない。その本題とも言う . . . 本文を読む
仙台市、青葉城跡にあります「護国神社」です。帰仙の度に立ち寄りますが、最近は女性の数が多くなっているようです。「戦国ブーム」と言われるところなのかもしれませんが、どうやら「伊達正宗」と「片倉小十郎」のコンビは絶大なる人気を誇り、どうやらその影響なのでしょう。カメラ片手の女性を目にします。
その青葉神社境内の脇に小さな展示館がありまして、そこに戦艦大和の模型等が展示されております。
以前、そこに祖父 . . . 本文を読む
大和顛末の最終話といたします。
建造から沈没まで語りました。まだまだ、詳細を詰めるところも多々ございますが、知識のなさ、勉強不足を痛感いたしております。
御拝読。感謝いたしております。
ありがとうございます。 . . . 本文を読む
「もうどうにもなりません!」
傾いた艦橋では2F(第二艦隊)参謀達があちこちにしがみついて立っております。能村副長も必死の思いで、ラッタルを駆け上がって第一艦橋までたどり着いたのでした。
伊藤整一司令長官はじっと目を据えて、能村副長を見ているのでした。
艦の速力は六ノット。傾斜は三○度を有に超えております。
石田恒夫少佐は伊藤司令長官を支えるように立っております。
「艦の傾斜復旧なりません。傾斜は . . . 本文を読む
立て続けに数多くの爆弾、魚雷が命中したときをさかいに、大和の左への傾斜は目に見えて、大きくなっていった。
「艦橋。だいぶ傾いているが、大丈夫か」
発令所の分隊士の声が、私の目の前の伝声管をとおしてとび上がってきた。
私は、このとき、なんと答えたらよいのか、まよってしまった。
「大丈夫、大丈夫と答えよ」
私のすぐ後方に腰かけて、望遠鏡をにらんでいた村田大尉(村田元輝大尉。大和方位盤射手)が叫んでいる . . . 本文を読む