別の部屋で・・・
御七日のご縁でいろんな思いを聞かせていただきます。
触れる縁によっていろいろです。
会いたくて会いたくて・・・
今も訳が分からなくて・・・
何かね~・・・
お遺骨というものに触れる機会って少ないのでしょう・・・
まして、お遺骨を側に置きつつ日常を過ごすとなれば尚のこと少なくなります。
核家族となり家からは死の姿が無くなってきました。
また、それを安置して手を合わすということも無くなってくるのでしょう・・・
墓所があれば直ぐに納め、なければできるまでお寺の方で預かってもらい急ぎ日常を取り戻そうとする。
我方のご門徒さんは高齢化です。
子どもさんは殆ど都会の方で暮らしておられます。
故に連れ添いさんを亡くせば一人となり、その方も無くなれば家が絶えてきます。
長く人生を共にされた御主人をお亡くしになられました。
お内仏様の横には中陰棚を設けてきれいにお飾りされています。
お勤めされて後、いろんな話の流れの中で、
「ここでは寝てないのですよ、隣にも家があるのでそこで休んでいます・・・何かね~・・・」
深くも聞きませんが言葉の感じで何となくお気持ちが感じられました。
一人暮らしとなられ寂しくなったのでしょうか、何かに恐れているような・・・
東井義雄さんは、ある日奥さんのと二つ骨壺を求められたのだとか・・・
それを我手に持った時には身が引き締まる思いがしたとか・・・
そこに自らの死を見つめられたのでしょう。
それを床の間にお飾りされて暫くはそういう思いの中で日暮しされたというが、
数日経てば案山子ほどの役割をはたすこともなくなったとか・・・
忘れてしまうのですね。
御主人のお骨壺を安置してのご縁。
それを持ちながらいろいろ考える、
もしかしたら亡くなった人が霊とか幽霊になってそこにいるのでは・・・
滅多なことをしていると災いが起こるのでは・・・
何事があろうとも、阿弥陀如来という仏さまは必ず救うとおっしゃています。
恐れおののき生き行く私を「大丈夫だよ」って抱きしめとって下さいます。
ボツボツご縁をいただきながら、そこ、聞かせていただきましょう!
自分の本当の姿をお内仏さまに映させていただきながら・・・
「お~、怖っ!」私の心・・・
御七日のご縁でいろんな思いを聞かせていただきます。
触れる縁によっていろいろです。
会いたくて会いたくて・・・
今も訳が分からなくて・・・
何かね~・・・
お遺骨というものに触れる機会って少ないのでしょう・・・
まして、お遺骨を側に置きつつ日常を過ごすとなれば尚のこと少なくなります。
核家族となり家からは死の姿が無くなってきました。
また、それを安置して手を合わすということも無くなってくるのでしょう・・・
墓所があれば直ぐに納め、なければできるまでお寺の方で預かってもらい急ぎ日常を取り戻そうとする。
我方のご門徒さんは高齢化です。
子どもさんは殆ど都会の方で暮らしておられます。
故に連れ添いさんを亡くせば一人となり、その方も無くなれば家が絶えてきます。
長く人生を共にされた御主人をお亡くしになられました。
お内仏様の横には中陰棚を設けてきれいにお飾りされています。
お勤めされて後、いろんな話の流れの中で、
「ここでは寝てないのですよ、隣にも家があるのでそこで休んでいます・・・何かね~・・・」
深くも聞きませんが言葉の感じで何となくお気持ちが感じられました。
一人暮らしとなられ寂しくなったのでしょうか、何かに恐れているような・・・
東井義雄さんは、ある日奥さんのと二つ骨壺を求められたのだとか・・・
それを我手に持った時には身が引き締まる思いがしたとか・・・
そこに自らの死を見つめられたのでしょう。
それを床の間にお飾りされて暫くはそういう思いの中で日暮しされたというが、
数日経てば案山子ほどの役割をはたすこともなくなったとか・・・
忘れてしまうのですね。
御主人のお骨壺を安置してのご縁。
それを持ちながらいろいろ考える、
もしかしたら亡くなった人が霊とか幽霊になってそこにいるのでは・・・
滅多なことをしていると災いが起こるのでは・・・
何事があろうとも、阿弥陀如来という仏さまは必ず救うとおっしゃています。
恐れおののき生き行く私を「大丈夫だよ」って抱きしめとって下さいます。
ボツボツご縁をいただきながら、そこ、聞かせていただきましょう!
自分の本当の姿をお内仏さまに映させていただきながら・・・
「お~、怖っ!」私の心・・・