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【スピリチュアリズムの12の救い】(9)退歩はない

2011-01-14 00:07:22 | 高森光季>スピリチュアリズムの12の救い

 霊的成長の道には、停滞や多少の後ずさりはあっても、不条理な「退歩」はありません。人間が精神的により劣った生物に生まれ変わることはありませんし、ある程度の霊的成長を遂げた人が、突然悪人や愚か者に生まれ変わることもありません。過ちを犯したからといって、豚に生まれ変わったり、みじめで悲惨な境涯に生まれ変わったりすることはありません。魂は今回の生で学び得た水準を出発点にして、さらなる成長の道を歩むことができます。魂が獲得した「宝」は、「天に積まれた宝」であって、失われることはありません。

 《進化は常に向上です。もっとも、進化は必ずしも直線的なものではありません。渦巻状に同じことをくり返しているようで、実際には着実に向上しています。》(『シルバー・バーチの霊訓』10、124頁)
 《地上でもっていた天賦の才、素質、能力は死とともに消えてしまうのではありません。逆に死がより大きな自由をもたらし、それを発揮する機会を広げてくれます。》(『シルバー・バーチの霊訓』2、150-151頁)

 もちろん、魂が自ら堕落の道を選んでしまうことはあります。
 《善悪の判断を誤り背後霊の指導を拒絶した時、そこには退歩と堕落があるのみである。進歩が阻止され、喜びの代りに惨めさを味わう。罪悪そのものが罰するのである。》(モーゼズ『霊訓』6節)
 《想像的知覚のないところでは個人は次第に霊的に悪化していくのであり、表面的には良い生活を送っていても内面的には知性の混乱した思考の霧の中に迷い、注意しなければ来世においては低次の世界に沈んだり、まったく魂が洗われないままで再び地上に戻ってくることになる。》(『人間個性を超えて』第14章)

 けれども、反省し、改悛すれば、再び魂は成長の道へ戻ることができます。
 ある人が、機会があって前世療法を受け、過去の自分の一生を思い出しました。そこでは彼は非常に優れた知性を持っており、ある学問に邁進していましたが、次第に自らの知性に慢心し、他人を軽侮するようになりました。その反発として、人から攻撃され、おとしめられた彼は、酒色に溺れる悲惨な後半生を送ることになりました。生まれ変わってきた彼は、若いうちは、まったく成績不振の駄目人間でした。しかし、ある時、ちょっとした事件を契機にして、彼は「人に教える」という道を歩き始めました。そうすると、仮死状態にあった彼の知性は、甦ってきました。彼は、特に名声を得たわけではありませんが、秀逸な教育者として多くの青少年を指導しています。彼は前に持っていた知性を取り戻し、さらに人に奉仕するという徳性も身につけるようになったのです。
 道徳性や人間性、芸術的な才能や感受性といったものも同じです。魂の体験が失われることがないのと同様、魂が達成した成長は、失われることはありません。人が大切にしていることは、その人自身が破壊しない限り、取り上げられることはありません。


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