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【スピリチュアリズムの12の救い】(7)魂の経験は失われることがない

2011-01-07 00:02:00 | 高森光季>スピリチュアリズムの12の救い

 霊魂は死によって失われることがないので、魂の体験は、次の段階に行っても消え去ることはありません。学んだこと、成長したことはもちろん、失敗や恥や罪も、次のステップで活かされます。
 このように言うと、「罪や愚行も残るのか」と心配する人がいますが、その必要はありません。高次の霊的存在から見れば、おおかたの人間の罪や愚行は、微笑ましい些細な間違いに過ぎません。大人が幼い子供の言葉や振る舞いを見るようなものです。そしてそれもまた魂の成長のために役立つものです。
 魂が地上で経験したことは、通常の人が死後赴く世界(マイヤーズ通信の言う「幻想界」)で、反芻・回顧されます。死別した愛する二人が再会すれば、二人の間で地上時代の幸せな生活の記憶が再び呼び出されます。
 《互いに懐かしい想い出を持った者たちは誰でも、望みさえすれば、一緒にこの第三の主観状態に入って、地上生活の古い記憶をすべて取り戻すことができるのである。そして再会した二人の帰幽者は、彼らの地上での経験のドラマを一頁一頁取り出して読むことができる。かくして地上時代に積み上げたどのような些細な知識でも思い出すことができる。》(『不滅への道』第21章)

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 すべての魂が経験したことは、「大記憶庫」(「アカシック・レコード」)に記録されていると言われています。
 こうした「記録庫」については、インド系の神秘思想で語られることが多く、スピリチュアリズムではあまり触れられません。しかし、マイヤーズ通信では言及されていますし、その後の「前世療法における中間生=霊界記憶の証言」でも、「図書館」などといった形で表現されています。

 《大記憶は宇宙生命のあらゆる振動の記録を含むといってよかろう。あらゆる経験がこの記録すなわち永遠の年代記に複写されている。》(『人間個性を超えて』第15章)
 《大記憶はエーテルの中に刻まれた人間の主観的経験の総体を含んでいる。……ある時代にあって深く思いを潜め、深く物事を感じ取った人たちの目を通して得られた、いわば一時代の解釈のようなものがエーテル記憶の中に刻みつけられている。……それはある人々の心に刻まれたその次代の真実の印象を表わしているという意味においては正確な歴史である。しかしながらどのように高い才能に恵まれた人でも、その主観的経験というものは、必ず不正確なものだという意味では不正確なのである。》(『不滅への道』補遺1)

 《東洋思想でいうアカシャ記録は、私の被験者には、“生の書”と呼ばれています。そして、精神世界の他のところの近辺に見られる、象徴的な図書館に所蔵されているそうです。》(マイケル・ニュートン『死後の世界を知ると、人生は深く癒される――退行催眠下で語られる魂の世界と転生、数々の体験事例に基づくさらに詳細なケース・スタディ』第3章)
 《〔中間生を想起した〕被験者の中には、自分の魂のグループに再び合流した直後に学術図書室の情景にいる、ということを話題にする人もかなりいます。図書室の情景について語られる内容は首尾一貫していて、スピリットの世界での生の書のタイトルには、被験者の名前がついているといいます。生の書のある場所は、巨大な研究ホールとも見なせ、そのホールは長方形の建造物の中にあり、壁沿いに本がずらりと並べられ、多くの魂が机に向かって勉強しています》(同前書、第5章)

 ちなみに、ここに記録されるのは、カメラで撮影したような「物質的」な記録ではなく、それぞれの魂が経験した出来事の「主観的な記憶」のようです。ですから、歴史の完璧な復元ができるわけではないようです。
 魂は、死後霊界に行くと、地上時代の細かい記憶は薄れがちになります。そこで誰かと再会して再び地上時代の記憶が必要となった時、あるいは霊媒を通して地上の人間と通信しようとする時、魂はこの「記憶庫」の自分の部分を利用するようです。
 ちなみに、霊能者が「サイコメトリー」(所持品などから所持者の人物像や出来事の記憶などを読み取ること。「この時計の持ち主だった○○さんは、失踪した後、どこへ行って、どうした」などと言い当てる)をなす場合にも、この「大記憶庫」が利用されると考えられます。

 だから、どのような魂の体験も(魂に刻まれた体験は)、失われることがないのです。嘘のような話ですが、それは人類全体の記録の中に取り込まれ、留められるのです。

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 さらに、個々の魂の経験は、高次の霊的世界(幻想の世界を超えた世界)で、類魂の間で共有されます。その世界では、同じグループに所属する魂が体験してきたことを、知ることができるようになります。そうしたたくさんの体験を糧にして、類魂全体はより大きな霊的成長を遂げていきます。

 《(5)〈純粋火焔界〉。この状態では魂は、永遠の絨毯の中に自己の本霊(spirit)が織りなしつつある図柄に気づき、同じ霊の中に養われている同類の魂たちの感情生活を知悉する。
 (6)〈純粋光明界〉。ここでは魂が同じ類魂(group-soul)内の前世にあたるすべての魂たちについて知的に把握する。さらには、世界魂ないし地球魂(the world or earth soul)がその身体のうちで経験するすべての感情生活に通暁する。》(『不滅への道』第2章)

 《私はかつて黄色人種に属したことはないが、わが類魂には東洋での生活を経験した者もおり、私は彼らの過去世の行為、感情の中に入っていくことができるのである。この共同生活を通して私は仏教徒や、アメリカ商人や、イタリア画家の地上遍歴のドラマをわが身に感じとり、もしそれに同化することができれば肉体を持って生きることを省略できるのである。》(『人間個性を超えて』第4章)

 《あなたがたは私の類魂分析によって、われわれは個人であるとともに全体の一員であることを理解してくださることであろう。そして第四界、とりわけ第五界まで上ってくるようになると、仲間たちが一つのものの中で結ばれていることの素晴らしさを知り、それがいかに全体の生活を深め、高め、かつ地上にあっては不可避のものたる冷淡な利己心を破壊していくかということに気がつくことであろう。……第四界〔形相界あるいは色彩界〕においては、魂は類魂の生活に気づくようになり、それによって偉大な進歩を遂げる。彼は経験というものの性格、つまり心の可能性を一気に知るようになる……》(『不滅への道』第6章)

 ですから、一人一人が体験したことは、まったくの無になってしまうことはありません。喜びや幸福はもちろん、悲しいことも苦しいことも、すべてが類魂の記憶の中に蓄積されます。そして、その厖大な蓄積が、類魂の霊的な成長の糧になるのです。
 前節「魂は孤独ではない」の最後に述べた言葉、「私たちがするどのような体験も――苦しみも悲しみも――私たち個人のものではなく、類魂全体の体験となる」を言い換えれば、「私たちの経験は、類魂全体の成長のための糧として、永遠に失われることはない」ということになります。
 魂の歩みに、無駄・無意味はないのです。


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