前に紹介しました津城寛文氏の著作の部分的紹介とそれに関連してウィルバー問題を少し書いてみます。 同書は、表題通り、他界的宗教=死後問題と社会的宗教=公共宗教とを並行して論じつつその間をつなぐものがあるかを探ったものですが、意外なことに、その序章はケン・ウィルバー論から始まります。それは諸思想を手際よく分類するウィルバーの図式(「個人的/集団的」「内面/外面」の軸による四象限図)を参照して、問題の . . . 本文を読む
ちょっとあちこち嗅ぎまわっていたら、こんな文章に出くわしました。 《釈迦は、これらの苦しみ〔四苦八苦〕を直視し、乗り越えるために長い間努力した。そしてついにどんなことに出会っても、平静な気持で人生を送れる境地に達した。これが悟りである。したがって、釈迦の解決すべき課題は来世にあったのではなく、現世にあったのである。悟りを得た者が、すなわち仏である。逆にいえば、仏に成るというのは悟りを得ることであ . . . 本文を読む
どうも超・鳥瞰的に見れば浄土教、特に専修念仏の主張というのは、千年以上にわたる仏教の営為を一挙に簡素化して、阿弥陀仏への「信」ですべてが解決、とする超過激思想だったと言えるのではないでしょうか。 弥陀の慈悲を信じれば、浄土へ生まれる。浄土へ生まれればやがて仏になれる。敷衍すれば、信→往生→成仏という決定された道があるのだから、信が成立したとたんに、成仏が決まる。さらに敷衍すれ . . . 本文を読む
時折引用させてもらっている「In Deep」さんの翻訳記事です。面白いので速報。////////////////////////////////「人の心の中にはもともと神と来世がある」:オックスフォード大学の研究結果イギリスのオックスフォード大学で、先日、この種の研究では最大規模の調査が3年間の調査期間を経て終えたことが報告されました。その調査とは、・人間は生まれながらに自分の中に神(あるいはス . . . 本文を読む
著者の津城寛文氏は、1956年生まれ、筑波大学教授で、『〈霊〉の探究――近代スピリチュアリズムと宗教学』(2005年10月、春秋社刊)の著者です。この本については、TSLホームページ「各論編」の「宗教学とスピリチュアリズム」http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-5.htmlで紹介しました。 同氏は宗教学者ですが、宗教学の分野で「死後生」「霊魂」「他界」の実在問 . . . 本文を読む
◆神道とスピリチュアリズム 神道というものは、仏教と同様、はっきりと定義ができないものである。それは、全世界的に見られる「シャーマニズム・アニミズム型の原始信仰」を基底にし、そこに仏教・道教など様々な外来宗教の影響が加わって、時代によって異なる相貌を形成してきた。原始の精霊信仰、古代の氏族(人格神)神道、中世の神仏習合神道、近世の民俗神道、そして近代の国家神道及び啓示型神道(新宗教)といった具合で . . . 本文を読む
◆仏教について スピリチュアリズムは西洋社会において勃興してきたものであるので、仏教に対しての言及は少ない。インペレーターの霊信は人類史における宗教の発展について述べ、インドとエジプトの重要性を指摘しているが、細かく教義や史実を論じているわけではない。 仏教については、そもそも仏教とは何かという定義ができないほど多様な教義があるので、簡単に論じることはできない。常に「正統」に固執して血みどろの戦い . . . 本文を読む
浄土信仰に関する愚見を書いていたところに、ちょうど本屋さんで一冊の本に出逢いました。 井原今朝男『史実 中世仏教』第1巻、興山舎、2011年3月(本体2800円+税) 400頁に及ぶ大著です。この著者の方、ものすごい博捜力を持っておられるようで、面白いトピック満載の面白い本でした(なんという稚拙な表現)。中世仏教については、寺院(宗派)・教理などの面から見た通史研究はたくさんありますが、社会史ま . . . 本文を読む
最初はちょっと鬱陶しい話。とばしてくださっても結構です。 近代人にとって、言説(記述的言説・理論)の正当性・真実性は、根拠によって示されます。 ある主張が正しいか否かは、「客観的な根拠があるか、そこから論理的に導かれているか」によって決まると考えています。 まあ、実際のところは、いちいちそんなに厳密に考えているわけではありません。そして、厳密に考えると、「客観的な根拠」はほとんど自然科学にしか存 . . . 本文を読む
片や「末法の世」というペシミズムがあり(もちろんそこには戦乱と飢饉による地獄に似た現世情況があったでしょう)、もう一方には「何回も生まれ変わらないと仏にはなれない」という厳然たる修行主義がある。 この中で、一般人は、凡夫はどうしたらよいか。もとの「古神道的世界」に戻るわけにもいかず。私は死んだら六道輪廻で、どうも餓鬼・畜生・地獄にすら行かされるかもしれない。 仏教の一般化・個人化は、こうした「実 . . . 本文を読む
◆キリスト教批判 初期のスピリチュアリズムでは、キリスト教への批判はそれほどあからさまなものではなかったようで、米国でも英国でも「親キリスト教スピリチュアリズム」勢力が生まれたくらいである。 だが、スピリチュアリズムのキリスト教批判は、次第に明確・強烈になっていき、それは一八八三年のインペレーターの霊信において頂点に達する。この霊信は、イギリス国教会牧師であったステイントン・モーゼズとインペレータ . . . 本文を読む
◆真理の絶対性と宗教の相対性 超越世界や超越存在を認めない唯物論では、宗教とは、死の不安の宥和や世界の統一的把握のために、人間がその文化風土に合わせて作り上げてきたものだと捉える。だが、霊界からの働きかけを認めると、事態はまったく異なって見える。 霊学的に言えば、諸宗教は霊的存在からの啓示に淵源がある。それに人間的な歪曲が加わって諸宗教の様々な姿が生じてくる。地上の人間が起源なのではなく、「上」が . . . 本文を読む
途中ですが、ちょっと書いておかなければならないような気分になったので(要するにきちんと計画せずばたばたしているわけですがw)、メモみたいなものですが。 前に追加コメントとして書きましたが、『高僧和讃』で、親鸞は法然上人から伝え聞いたこととして、こう書いています。 《命終その期ちかづきて 本師源空(=法然)のたまはく 往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし(111) 源空みづからのたまは . . . 本文を読む
私が好きなお寺の一つに、大原三千院の「往生極楽院」があります。 「瑠璃光庭」と名づけられた苔の庭の中にあるお堂で、阿弥陀・観音・勢至の三尊像があります。 周知のように、この三尊像は、西方浄土から迎えに来た姿をとても生き生きと表わしています。本尊の上部は、周囲の天井から一段せり上げた「舟底天井」となっていて、阿弥陀仏が異空間から降臨してきたような印象を与えます。観音・勢至の脇侍は、日本式の正座から . . . 本文を読む
大乗仏教の経典というのはおしなべてそうなのですが、ガウタマ・シッダッタさんが述べたものではありません。どれも「如是我聞」(私はこう聞いている)という形で、「仏説」と主張していますが、もちろんそれは、ありていに言えば「嘘」です。 この問題は、日本では明治になって、原始仏教の原典研究が進むとともに、大問題となっていきました。「大乗非仏説」――大乗仏教の教えはブッダの教えではない、ということです。 今 . . . 本文を読む