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東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

【雑談】「Xメン」をサカナに人類の進化を考える(笑い)

2011-06-19 17:18:17 | 高森光季>その他

 なんかちょうどTVでやるみたいなので、便乗の漫談(笑い)。
 まあ、B級映画です。映像はそれほどちゃちではないけど。
 内容は要するに、超能力を持って生まれてしまった「ミュータント」とそれを恐れ憎む人間との間の葛藤・闘争。このテーマは以前からあるもので、私は昔に読んだ、竹宮恵子の『地球(テラ)へ』を思い出します。萩尾望都にも似たようなテーマのものがあったと思います(けっこう少女漫画ファンw。そういえば『イティハーサ』というのも面白かったですねw)。割合よく取り上げられる主題ということですね。

 人間はこれから先、進化してもっと高い能力を持った存在になるのか。――これはなかなか興味深い問いです。
 こういった考え方が出てきたのは、当然、ダーウィン(及びウォーレス)の「進化仮説」以後の話です。それ以前にも人間が仏菩薩になるとか守護天使になるとかカミになるとかいう考え方はありましたけれども、それは現世とはずれる世界でということで、この物理的地球に生きているホモ・サピエンスが「より高等」になるというのとは別の話です。
 「人間は現在の人間を超えた存在になるべきだ」と真っ正面から説いたのは、ニーチェではないでしょうか。「超人」ですね。スーパーマン。ただこれは不幸なことに血統・人種優劣説と結びついてナチスのホロコーストの補強論理になってしまった。
 ニーチェの超人は、精神的に強大になり、自らの価値を自らが創る、ということで、別に超能力うんぬんの話ではありませんでした。
 「人間が進化すると超能力を持つ」という考え方はどのあたりから始まったのでしょうかね。超能力者(霊媒)がぼこぼこ出現したスピリチュアリズム全盛時代でも、そんな話はあまりなかったように見えます。おそらく第二次大戦から直後の冷戦時代、アメリカやソ連で「超能力研究」が軍事的になされるようになり、SF文学などでも取り上げられて、「科学と超能力のちょっとした蜜月時代」があった頃のことではないでしょうか。あるいはシュタイナーあたりか。
 人間の生物器官的進化を考えるのだったら、視力・聴力が上がるとか、羽根が生えるとか、体毛がなくなるとか、食べる量が少なくなるといったことでもいいのでしょうけれども、あまりそういうものは魅力がないですね。空を飛ぶのは人類の夢だったわけですが、どうも背中に重たそうなものが生えて、それを懸命にバタバタさせるのは疲れてかなわんようなので、まあ飛行機も発明したし、断念。えら呼吸ができるようになったとしても、海の中は物騒だし。
 と考えると人類は案外かしこい。進化するんだったら、物質的な能力ではなく、「超・物理的な」能力がいいな、と皆思っている。深読みすると、人間は超物質的な存在になりたいのだけれども、自分が実はそういうもの(霊的存在の一種)だと思うことは頑なに拒否している、ということになりませんかね(笑い)。

      *      *      *

 人間はもとは超能力を持っていたのだが、進化の過程でそれを捨ててきたのだ、という考え方もあります。これについてはこのブログの「人類の進化」(2)でも書きましたので、よろしければご参照ください。ただ、そう考える人でも、たとえばシュタイナーや神智学派などは、この先、再び「超能力」を取り戻すことを想定しているようです。このあたりの議論はなかなか真偽がつかめないので、難しいです。

 スピリチュアリズムではどうなっているのか。
 シルバー・バーチ大師は「人間はみな進化のある段階までくると超能力者になっていくのか?」という問いに、次のように答えています。)

 《答えは“イエス”です。なぜならば人類の進化は潜在している資質を高めることにほかならないからです。ヒトは身体的進化はすでに頂点にまで達しております。次は精神的進化と霊的進化です。長い年月をかけて徐々に全人類が自己の心霊能力にますます目覚めていくことでしょう。しかし、心霊能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標となりません。霊的身体のもつ能力を全部発揮しても、魂そのものは少しも進化していないということも有り得ます。本当の意味で霊的に進化しはじめるのは、人のために役立つ仕事を目的として、霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時です。》(霊訓②、108-9頁)

 なかなか意味深なことをさらりと言っています。人類は未来には超能力を発揮するようになるだろうが、そのためには精神的・霊的進化――つまりは心がもっと高尚なものになること――が必要だということ、そして、現状では超能力を発揮したからといって、その人が霊的に進化した存在だということにはならない、ということです。
 超能力者は「超人」「聖人」ではない。それはスピリチュアリズムやサイキカル・リサーチ(心霊研究)の100年以上の研究でも明白です。霊媒や超能力者が残念ながら必ずしも「高等種族」ではないことは、誰もが知っていることです。

 このことは「Xメン」でも露骨に出てくるわけで、人間と共生しようとする「善きミュータント」と、「んなもの滅ぼしちゃえ」という「悪しきミュータント」が出てきて、結局はそこでの戦いになる。
 これは超能力につきまとう問題で、未熟な人間(つまりほとんどすべての人間)が、へたに超能力を持つとろくでもないことになる。まあ、普通の男性なら、透視ができたり幽体離脱(巡行透視)ができたりすれば、だいたいやることは決まっているわけで(爆)、けしからんことになる。アポーツ(物体引き寄せ)ができれば、ちょっと日銀の金庫から、とかになるし、予知ができれば競馬で一発、となる。さらには人を呪い殺すことまでやりかねないわけで、世界は大混乱になるわけです。
 (実際の話、スティーヴンソン博士の共同研究者だったかが、インドで取材していると、超能力婆さんが、お隣の食卓にあるナンをすーっと宙に浮かせ、塀のところではちゃんと高度を上げ、手元に来る時には高度を下げて、見事引き寄せたという記録があります。隣家の人はそれを知っていて、いつも文句を言いに来ていたとかw)
 Xメンが炎の光線とか冷凍光線といった「キッチュ」な能力を登場させているのは、あんまり何でもありだと物語がぶっ壊れてしまうからでしょうけれども、まあこれも物騒なもので、地下鉄で肩がぶつかったからといって火を吹かれたり凍らされたりしたらかなわん。だから「ミュータントは危険だ」という人間側の感情もあながち思い上がりだとは言えないわけで。
 (ちなみにこんな奇抜な能力が発生するのは、科学的には進化は「ランダム」であるという考え方があるからかもしれませんね。でもランダムだったら、触るものがおはぎになってしまう超能力や、ミミズをダンスさせる超能力があってもいいのではないでしょうかねw。さらにちなみに言えば、私は進化は「種の集合的無意識」[=類魂]が強烈に願う時に、突然にして起こる、という仮説を提唱したいと思っていますw)

 だから超能力なんかなくていいんだ、ということになるか。
 まあ、有効な場合もあるわけです。2ちゃんねるの体験談から。

16 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/03/13(火) 05:32
  うちの兄が1歳ぐらいのときの出来事。
  当時、家の前に用水路が流れていて、兄は遊んでいるときに誤って落ちてしまった。
  母は、そのとき台所で洗い物をしていたが、ふと嫌な予感を覚えて外に飛び出した。
  何かに導かれるように用水路の下流方向へと走り始めたところ、
  50mぐらいして流されている兄を発見。
  母は用水路に飛び込んで兄を救出した。
  兄が流され始めたとき母がとっさの行動と取らなかったら、いまごろ兄は仏壇の中でした。
  「水に落ちた音でもしたの?」と母に尋ねたところ、
  「洗い物をしていたし、そういう音は聞こえなかった」
  「じゃあどうしてわかったの?」
  「なんとなく」
  母の力というのは恐ろしい思いました。
  うちの母はこれといったとりえもありませんが、
  このときだけは間違いなく超能力者だったと思います。

21 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/03/13(火) 08:38
  高校時代、家のそばで痴漢に襲われたことがあります。
  こわくて声も出せずもがいていると、突然玄関が開き、
  母が飛び出してきて事なきを得ました。
  家からは絶対に見えない場所で起こったことだったので
  なぜ飛び出してきたのか尋ねると「胸騒ぎがして」とのこと。
  カラオケばかりしててしょうもないおばちゃんだと思って
  ましたが、この時ばかりは母に大感謝しました。

 こういう危機的状況でのテレパシー(思念伝達)(守護する霊的存在からの警告という場合もある)や、超常的治癒能力(霊的存在との協働の場合もある。本ブログの『霊的治療の解明』参照)といったものは、よき超能力なのではないでしょうか。
 つまるところ、バーチ大師も言っているように、望ましい超常能力というのは、「善きことをなすために、善き霊的存在と協力関係を持てるようになる」ことでしょう。本来、善き宗教というのは、こういうことをめざしていたはずだと思いますけれども。素朴に言えば、そういうことがあちこちで行なわれるようになれば、この世はもっと素晴らしい世界になるのではないでしょうか。
 「霊的存在」(特に「善い霊的存在」)を想定することは現代ではなぜかタブーになっていますから(悪霊だけならOKのようですw)、Xメンにしてもその他のSFにしても、悪しき超常能力の跋扈を描くことになってしまうわけですね。実際のところは、悪しき超常能力の発揮を阻止している善き霊的存在がいることは確かなようですけれどもね。

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1 コメント

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はいはいすごいすごい (名無し)
2015-07-14 17:21:13
ミュータントはユダヤ人とその他有色人種、セクシャルマイノリティーの暗喩にしか見えないがな。
あれがB級なら邦画は全てゴミ。
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