スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

浄土の話(8) 番外編 信・安心・楽

2011-07-28 00:28:54 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 どうも超・鳥瞰的に見れば浄土教、特に専修念仏の主張というのは、千年以上にわたる仏教の営為を一挙に簡素化して、阿弥陀仏への「信」ですべてが解決、とする超過激思想だったと言えるのではないでしょうか。 弥陀の慈悲を信じれば、浄土へ生まれる。浄土へ生まれればやがて仏になれる。敷衍すれば、信→往生→成仏という決定された道があるのだから、信が成立したとたんに、成仏が決まる。さらに敷衍すれ . . . 本文を読む

浄土の話(7) 浄土はあるのか

2011-07-22 00:06:14 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 最初はちょっと鬱陶しい話。とばしてくださっても結構です。 近代人にとって、言説(記述的言説・理論)の正当性・真実性は、根拠によって示されます。 ある主張が正しいか否かは、「客観的な根拠があるか、そこから論理的に導かれているか」によって決まると考えています。 まあ、実際のところは、いちいちそんなに厳密に考えているわけではありません。そして、厳密に考えると、「客観的な根拠」はほとんど自然科学にしか存 . . . 本文を読む

浄土の話(6) 宗教の破壊

2011-07-21 00:03:36 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 片や「末法の世」というペシミズムがあり(もちろんそこには戦乱と飢饉による地獄に似た現世情況があったでしょう)、もう一方には「何回も生まれ変わらないと仏にはなれない」という厳然たる修行主義がある。 この中で、一般人は、凡夫はどうしたらよいか。もとの「古神道的世界」に戻るわけにもいかず。私は死んだら六道輪廻で、どうも餓鬼・畜生・地獄にすら行かされるかもしれない。 仏教の一般化・個人化は、こうした「実 . . . 本文を読む

浄土の話・寄り道 親鸞は生まれ変わりを受け入れたか

2011-07-16 19:20:37 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 途中ですが、ちょっと書いておかなければならないような気分になったので(要するにきちんと計画せずばたばたしているわけですがw)、メモみたいなものですが。 前に追加コメントとして書きましたが、『高僧和讃』で、親鸞は法然上人から伝え聞いたこととして、こう書いています。 《命終その期ちかづきて 本師源空(=法然)のたまはく 往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし(111) 源空みづからのたまは . . . 本文を読む

浄土の話(5) 浄土を現出させる情熱

2011-07-15 00:04:40 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 私が好きなお寺の一つに、大原三千院の「往生極楽院」があります。 「瑠璃光庭」と名づけられた苔の庭の中にあるお堂で、阿弥陀・観音・勢至の三尊像があります。 周知のように、この三尊像は、西方浄土から迎えに来た姿をとても生き生きと表わしています。本尊の上部は、周囲の天井から一段せり上げた「舟底天井」となっていて、阿弥陀仏が異空間から降臨してきたような印象を与えます。観音・勢至の脇侍は、日本式の正座から . . . 本文を読む

浄土の話(4) 浄土教の弱み

2011-07-14 00:06:08 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 大乗仏教の経典というのはおしなべてそうなのですが、ガウタマ・シッダッタさんが述べたものではありません。どれも「如是我聞」(私はこう聞いている)という形で、「仏説」と主張していますが、もちろんそれは、ありていに言えば「嘘」です。 この問題は、日本では明治になって、原始仏教の原典研究が進むとともに、大問題となっていきました。「大乗非仏説」――大乗仏教の教えはブッダの教えではない、ということです。 今 . . . 本文を読む

浄土の話(3) 仏教は無神論? 有神論?

2011-07-09 00:03:36 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 阿弥陀如来という存在は、よくよく考えると、不思議な存在です。 この世界とは別個の「素晴らしい世界」を創ってしまうのですから、「神に等しい存在」と言えるでしょう(もちろん唯一神ではないけれども)。 しかも、阿弥陀如来の意図というのは、けっこう過激です。 ぶっちゃけて解釈すると、阿弥陀様の意図というのは、「釈迦仏が統括するこの仏国土は、いろいろと苦難が多すぎる。他の仏の仏国土も同様である。それでは衆 . . . 本文を読む

浄土の話(2) 還相回向=生まれ変わり

2011-07-08 00:35:34 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 もう一つ、浄土信仰の重要な考え方があります。 それは、阿弥陀如来の浄土に生まれて、修行をして「仏」になったら、再びこの世に戻って、無明のゆえに輪廻の苦に沈淪している衆生を救うために活動する、という考え方です。 これが「還相回向(げんそうえこう)」です。(近代の浄土教学ではまったく違う解釈をしているようですが、ちょっと今は置いておきます。) ただしこれは阿弥陀信仰の中心経典である浄土三部経の言葉で . . . 本文を読む

浄土の話(1)「往生」は「成仏」ではない

2011-07-07 00:01:59 | 高森光季>仏教論2・浄土の話
 “浄土”について考えてみたいと思います。 スピリチュアリズムと直接関係があるわけではありません。とはいえ、「死後問題」という点では関係があります。 外野(外道かw)からの批評ですので、非難囂々になるかもしれませんが。 数回続きます。      *      *      * 一つのお話があります。 《あるところに、志の高潔な修行者がいた。彼は様々な修行をして自らを高める一 . . . 本文を読む