スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

業(カルマ)について

2011-08-26 00:10:59 | 高森光季>仏教論・その他
 この問題は以前に書きましたし(「カルマについての試論」上・下)、その時あまりすっきり書けず、その後もそこから何か整理できたわけでもありませんので、ポイントを羅列するだけですませます。 近代仏教は、霊魂や他界の存在を捨象しようとするので、仏教の根本前提だと思われる輪廻についても、回避しようとする傾向になります。 それと、もう一つ、仏教が輪廻を「腫れ物」視するのは、「業思想が差別を助長した」という認 . . . 本文を読む

中有のこと

2011-08-25 00:38:42 | 高森光季>仏教論・その他
 仏教では生まれ変わるまでの「中間状態」があるとします。一般には「49日」です。 これも起源や論拠がよくわからないものです。インドでは「7」が聖数で、7日ごとに儀礼をしていて、それが7回済んだところで、「まあこのくらいで」と思ったのかもしれません(笑い)。 マイヤーズ通信でも、死後、幻想界へ行く途中に「冥府」という移行プロセスがあるとしています。ただし、前世記憶研究ではあまりはっきりと言われている . . . 本文を読む

六道説批判

2011-08-23 00:15:37 | 高森光季>仏教論・その他
 私の見解では、ブッダの探究はウパニシャッド以来のテーゼを引き継いで、それに答えを出したものだというものです。それは 《人間は何度も生まれ変わる。それを脱け出る(卒業する)には、叡智が必要である。》 というものでした。(別にこの見解は特殊なものではないでしょう。) そしてこの前半の「基本前提」は、仏教のその後の発展においても継承されたと考えています。主題後半の「叡智」の探究も、あくまでこの前提に立 . . . 本文を読む

仏教に対する切実な憤激

2011-08-22 00:21:17 | 高森光季>仏教論・その他
 私がこれまで仏教に対して経験してきた辟易する点は、曖昧さです。 「仏教ってAでしょ?」「さとりってBということ?」「仏様ってCなんじゃないですか?」という問いに、だいたい「そうではない」と答えられることが多い。「じゃあ、どういうことですか」と尋ねると、教典を引用するか、ジャーゴンだらけの難解な説明をされるか、あるいはAとも言えるけど、非Aとも言える、とか。 で、一番腹が立った(失礼)なのは、「死 . . . 本文を読む

イデアとしての厭世主義

2011-08-19 00:43:38 | 高森光季>仏教論・その他
 仏教を超鳥瞰的に眺めると、やはりそこに浮かび上がってくるのは、「厭離」の強い色彩です。 これは当然のことで、仏教の開祖ブッダの初期設定が「生は苦である」だったわけです。もっともブッダの出発点はもう少し複雑で、「苦の連続である輪廻から脱け出るためにはどうしたらよいか」というもので(生を忌避して自殺しても生まれ変わってしまうから解決にならない)、これは前にも書きましたように、先行するウパニシャッドの . . . 本文を読む

無我・有我――今来さまへの返信として③

2011-08-18 00:21:23 | 高森光季>仏教論・その他
 やっぱり「無我」というのは語弊がありますね。私のような凡夫にはわからないということもありますが、仏教の人たちも結構変な解釈をしているのではないかと思える時があります。たとえば、「無我だから私はない、だから死後の霊魂などというものもあるわけがない」とか。 そして特に、これは、現代唯物論の説、「私は脳内の電気信号の束に過ぎない」「私は様々な構造の結節点に過ぎない」という説に、ひどく似通う印象を与えて . . . 本文を読む

人をさとらせることはできるか――今来さまへの返信として②

2011-08-17 00:56:43 | 高森光季>仏教論・その他
 《ちなみにゲルク派ではまず自身が仏とならなければ他者を救済することはできないらしいです。菩提心という視点からみると自らがまず仏陀となり、そのあとで生きとし生けるものすべてを悟りの境地へ導くのが「王者の菩提心」、あらゆる生き物とともに悟りの境地へ渡ろうとするのが「船頭の菩提心」、全ての他者をまずは悟りの境地に赴かせ、最後に自分が悟りに向かうのが「牧夫の菩提心」というらしいのですが、ゲルク派は本当に . . . 本文を読む

実在・空・仮設――今来さまへの返信として①

2011-08-16 00:45:50 | 高森光季>仏教論・その他
 今来さまからご批判・ご教示をいただいた点、およびそこから派生することについて、書いてみたいと思います。 まず、「空を即座に何か哲学的な難しいものと考えて」いる、「西洋哲学」的に捉えている、というご批判は、まったくおっしゃる通りです。「空」「無」を「非存在」と捉えてしまっていました。 しかし、弁解ではないのですが、これはまがりなりにも西洋の合理主義的思考に染まった多くの現代人にとっては、ごく自然な . . . 本文を読む

余談・思い出話「如来蔵思想は仏教にあらず」

2011-08-11 00:03:29 | 高森光季>仏教論・その他
 仏教に関する雑文を書いているうちに、思い出しました。 もう一昔前になると思いますが、当時駒沢大学に所属していた仏教学者の方お二人ほどが、「如来蔵思想は仏教ではない」という説を発表しました。で、私はそれをリアルタイムで、外野から見ていました。 「如来蔵思想」というのは、単純に言うと、すべての人に仏になる要素(「仏性」ぶっしょう)が埋め込まれている、ということでしょう。大乗仏教の中で生まれた思想で、 . . . 本文を読む

仏教って何だろう・再び

2011-07-29 00:57:19 | 高森光季>仏教論・その他
 ちょっとあちこち嗅ぎまわっていたら、こんな文章に出くわしました。 《釈迦は、これらの苦しみ〔四苦八苦〕を直視し、乗り越えるために長い間努力した。そしてついにどんなことに出会っても、平静な気持で人生を送れる境地に達した。これが悟りである。したがって、釈迦の解決すべき課題は来世にあったのではなく、現世にあったのである。悟りを得た者が、すなわち仏である。逆にいえば、仏に成るというのは悟りを得ることであ . . . 本文を読む

【雑談】源信さんのお母さんは偉かった

2011-07-06 08:51:57 | 高森光季>仏教論・その他
 ちょっと調べているうちに見つけて、感動したので。 恵心僧都・源信(942-1017)は、日本浄土教の祖と仰がれる偉人です。早くに父を亡くしましたが、聡明な人で、9歳で比叡山に入門し、15歳で講師に任じられたと言います。その時にもらったご褒美をおかあちゃんに送ったところ、「あんた、何勘違いしてるの」と一喝されたというのです。  ウィキペディア「源信(僧侶)」から。 《天暦10年(956年)、15歳 . . . 本文を読む