’birch99的スピリチュアリズム日常’カテゴリーからの投稿です。
先日、ラジオで’テレフォン身の上相談’を聴いていました。子供が受験してやっと入った
高校で、ある事件を起こし、通いにくくなってしまって困っているという内容の相談でし
た。文字にして書くと、何だ、そんな相談かと思われるわけですが、実は私もこの親と同じ
ような立場を経験していましたので、その苦労・心労はよく判ります。(馴染めなかっ . . . 本文を読む
2回にわたってイエスの宗教批判・現世批判を見てきた。それはこの上なく猛烈で、過激なものだった。「愛の人イエス」などといった見方からはほど遠い、このイエスのありようは、いったいどこから来ているのか。
イエスは「神の国は近づいた」と宣べた。これは前にも見たように、バプテスマのヨハネのモットーだった。イエスはそれを共有した。それは、バプテスマのヨハネの「危機意識」を共有したということであり、またヨ . . . 本文を読む
色んな人が似たようなことを言っているだろうと思うのですが、「今にして思えば」、物心ついてから現在に至るまでピンチや転機には不可思議な出来事が高頻度で起きていたように思います。「助けられた」とか「導かれた」とか、あえてそういう言い方はいたしません。長年、霊的生命の実在を鼻で笑って否定するような人間であり続けていたわけですが、そのくせ自らの身辺に生じた不可思議な現象のあれやこれやについては、それはそれ . . . 本文を読む
ちょっと興味を持った記事が2つあったのでご紹介を。
「iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか
~米国の著名テクノロジー思想家ニコラス・カーが語る“ネット脳”の恐ろしさ」
(ダイヤモンド・オンライン、第85回、2010年9月22日 http://diamond.jp/articles/-/9463)
Nicholas Carrは『ハーバード・ビジネスレビュー』元編 . . . 本文を読む
イエスはユダヤ教支配体制に反逆したが、その反逆は現実の社会的価値に対しても及んだ。
「あなた方は、わたしが地上に平和をもたらすために来たと考えているのか。あなた方に告げるが、そうではなく、むしろ分裂をもたらすために来たのだ。」(ルカ 12:51、マタイ10:34は「分裂を」でなく「剣を」)
「今からのち、一つの家に五人がいれば、三人が二人に対して、二人が三人に対して分裂させられることになる . . . 本文を読む
’birch99的スピリチュアリズム周辺’カテゴリーからの投稿です。
先日新聞を読んでいたら、「あなたは常識に洗脳されている」苫米地 英人 (著)という本の
紹介がありました。ちょっと面白そうだなあと思いましたが未だ読んでおりません。親によ
る洗脳、学校教育による洗脳、社会による洗脳、世間による洗脳、政治による洗脳、メディ
アによる洗脳・・・。
私たちが物事を見る目、秤、尺度等は、その時代の一 . . . 本文を読む
そろそろ核心の問題、イエスが一体どういうことを主張したのか、というところに入っていく。
とは言っても、イエスは、体系的に宗教思想を述べたわけではない。演台の上から、真の宗教とはこのようなものですよ、とお説教を垂れたわけではない。
むしろ、イエスは、治病活動の中で、折に触れ、事に際して、もっぱら現世のありよう(特に政治的・宗教的支配体制)を批判して、いろいろなことをしゃべった。
このあたり . . . 本文を読む
スピリチュアリストは他者を批判することが少ないようです。スピリチュアリストに限らず、スピリチュアルな人々の多くが、議論そのものをあまり得意にしていないようにも見受けます。
「自分がされたくないことをヒトにはしない」という“隣人愛”っぽい振る舞いは、しかし一歩間違えると「自分が批判されたくないから他人を批判しない」という打算や利己主義と紛らわしく、坂口安吾は「自らの行うところは人にも之を許せという . . . 本文を読む
イエスというと、「神の子」というイメージばかりが強調されてしまっていて、祝福されて生まれ、奇跡の力に満ち、迷いもなくひたすら高貴にふるまった、と思ってしまうむきが強いが(特にヨハネ福音書はこういうイメージで書かれている)、共観福音書の記述からは、いかにも人間くさいイエスの姿がほの見える。
◆飲み食い好きでユーモアも
イエスは大酒飲みで大食漢だった。
《「……ヨハネがやって来て食べも飲みも . . . 本文を読む
’birch99的スピリチュアリズム周辺’カテゴリーからの投稿です。
スピリチュアリズムを学ぶにつれ、いろいろと人の役に立つことをしようとか、奉仕活動を
しようという思いがムクムクと沸いてきます。特にシルバーバーチの霊訓やホワイト・イー
グルの霊言に接し、各々の魂の琴線に触れたのなら、当然でしょう。
シルバーバーチは、霊訓の中で、次のように語っています。
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イエスの治病は、死んだとされた者を生き返らせるなど、かなり奇跡的なものであったが、その他の面では、それほどの大きな奇跡(キリスト教では「奇蹟」と書くことになっているらしい。そこらへんのちゃちな奇跡とは違うよと言いたいのだろう)を行なっていない。
共観福音書に書かれた、予言を除く奇跡現象は次のものである(復活も別)。
バプテスマのヨハネの洗礼での精霊の降臨 (マルコ1:9-11、マタイ3:13 . . . 本文を読む
ミソとクソを混ぜたものを目の前に差し出されたら、ヒトはそれを糞とみなして口にしないでしょう。いい味噌が使われていたらもったいないですね。さて、そろそろ陰謀論批判にケリをつけようと思ったのですけれども、困っちゃいました。
そもそも私が何ゆえ陰謀論にこだわり始めたかというと、「スピリチュアリズムによって人生が変わった」と繰り返し述べているようなヒトが、しょーもない陰謀論を垂れ流していたりする事例が散 . . . 本文を読む
イエスの活動――福音書で一応人生の最期とされているエルサレムでの活動の前まではということなのだが――の最大のものは、「病気治し」(悪霊祓いや「死者の蘇り」も含む)であった。
イエスは、まず何よりも「霊的治療家」として活動し、それによって人々に受け入れられたわけで、奇跡を大々的に見せたり、素晴らしい説教をして人々を魅了したから人気を博したのではない。奇跡は限定的なものだったし、説教は難解な譬え話 . . . 本文を読む
’birch99的スピリチュアリズムを基盤として’カテゴリーからの投稿です。
少し「霊的な成長方法」から逸脱してきましたが、肉体の手入れも大切なことです
ので、前回投稿の野口整体の考え方から生み出された「活元運動」にもう少し触れ
て、このシリーズを終えたいと思います。
下記に「整体法の基礎 野口晴哉」より抜粋します。
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イエスは故郷であるガリラヤへ戻る。
ここで気になるのが、「弟子」問題である。
共観福音書では、イエスの最初の弟子は、シモンとアンデレの兄弟だったとされている。兄シモンはイエスから「ペトロ」というあだ名をもらい(ギリシャ語の「岩」を表わす「petra」を男性形にしたもの。イエスがわざわざギリシャ語のあだ名をつけるというのは変なので、イエスが命名したということを疑う説もある)、以後イエスの弟子た . . . 本文を読む