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【スピリチュアリズムの12の救い】(8)一人一人に見守ってくれる「霊的存在」がいる

2011-01-10 00:03:40 | 高森光季>スピリチュアリズムの12の救い

 一人一人の人生の歩みを、影から見守ってくれている「守護霊(背後霊・指導霊)」がいます。

 《あなたのそばにはいつも、あなたより優れた者がいる、その人はあなたに寄り添い助言を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。この世のどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、あなたのために尽くしてくれる、その人があなたのそばに居る。こう考える時、これ以上の心の慰めがありますか。》(カルデック『霊の書』上、214頁)

 《一人の守護の天使が一人の守護される者を持つ。父が子供を見守るようにその者を守護する。その子が正道を歩めば、これを喜び、その助言に耳を傾けぬ時は、これを嘆く。》(同、216頁)

 《諸君等が行く処に彼等はあり、人里はなれた処、らい病患者の家、どんな堕落漢の巣窟にも彼等はいる。》(『霊の書』下・138頁)

 《最大の不信の徒の心をもとらえて放さぬ教理がもしあるとすれば、この守護霊の存在、即ち守護天使の存在の教理であろう。》(『霊の書』上、214-5頁)

 それは多くの場合、類魂(あるいは心霊族)の仲間で、より先に進んでいる魂です。

 《背後霊は必ずしも指導する目的のみで付くのではない。そういう場合が一番多いのではあるが、時には背後霊自身にとっての必要性から付くこともある。が、その場合でも人間を教え導くという傾向は自然に出てくる。また時には特殊な使命を帯びた霊が付くこともある。性格に欠けたものがあって、それを補ってやるために、その欠けたものを豊富に有する霊が選ばれることもある。反対に霊の側に欠けたものがあり、それを身につけるために適当なる人間を選ぶという場合もある。これは高級なる霊が好む手段である。己の霊的向上のために、敢えて指導が困難で不愉快な思いをさせられる人間に付くことを自ら希望する霊もいる。その人間と苦労を共にしつつ向上していくのである。中には霊的親和力によって結ばれる場合もある。地上的縁の名残りで結ばれることもある。何ら特殊な使命を帯びていない人間の背後霊は、魂が向上するに従い背後霊が入れ替わることがしばしばある。》(モーゼズ『霊訓』序論)

 《古参の魂は既に四、五回の地上生活を経験している。がしかし未だ充分には純化していず、霊的進化に必要なだけの地上経験をしていない。しかしながらこうした場合、二つの方法で必要な経験を獲得することができる。①類魂の記憶の中に入ることによって。②その魂のカルマ――何度かの地上生活によってつくり上げたパターン――を引き受けた若い魂と霊的な関係を保つことによって。》(『人間個性を超えて』第4章「再生」)

 《母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当る霊は何人かおります。》(『シルバー・バーチの霊訓』1、179頁)

 守護霊の存在を明らかにし、それへの信頼を説いたのはスピリチュアリズムの大きな特色ですが、20世紀になると、「臨死体験」や「前世療法」の研究においても、こうした「大いなる存在」に関しての言及は頻繁に見られるようになります。特に前世療法では、前世と今世の間=中間生で、こうした「大いなる存在」にしばしば出会うことが報告されています。
 前世療法家のマイケル・ニュートンは言います。
 《被験者の大半が、スピリットの世界で最初に出会うのはガイドだと報告しています。しかしながら、ある人生の死の直後にソウルメイトと出会うケースもあります。ガイドとソウルメイトは同じものではありません。》(『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』第2章)
 《どんな被験者もトランス状態に入ると、必ずなんらかのかたちで自分のガイドに出会うことになります。多くの場合、被験者は顔や声を認識する以前に肉体のない人物の存在を感じます。こういった霊的な教師を認知した人々は暖かい、愛情に満ちた、創造的なパワーをよりいっそう身近に感じるようになります。》(同、第8章)
 《私の被験者たちは、人生でどれだけ霊的なガイドに依存しているか、彼らを役立てているかを私に示してくれました。いつしか私は、神ではなくて、彼らこそ私たちの存在に直接的な責任を負っている存在だと信じるようになりました。これら経験豊かな教師たちはこの世の時間にして何千年も私たちとともにあって、この世に生まれる以前の、この世に生きているときの、そして死んだ後の幾多の試練を支援してきたのです。》(同、第7章)
 前世療法家によって「大いなる存在」「偉大な存在者」「マスター」、そして時には「ハイヤー・セルフ」とか「宇宙意識」とかと呼ばれたりもするこうした存在は、スピリチュアリズムが明らかにした「守護霊」にほかなりません。

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 守護霊は、金銭や名声をもたらしてくれるのではありません。魂が成長の道を踏み外さないように、そっと支援してくれるのです。現実には気づかないことが多いものの、魂は無意識のうちに、あるいは眠っているうちに、こうした守護霊からのアドバイスを受け取っています。

 《真摯なる者、純心なる者、誠意ある者にとっては神学がまことしやかに説く悪魔も閻魔も存在せぬ。……善性への親和力が善なるものを引き寄せるのである。まわりには守護に当たる霊が控え、自ら求めぬかぎり邪霊の餌食とはならぬ。悪の誘惑や罠が特別免除というのではない。試練の時に味わわされる雰囲気も免れることは出来ぬ。魂が悲しみと懊悩の暗雲に被われ、罪の重荷に打ちひしがれるやも知れぬ。すなわち、あたりに見る不幸と悪に己の無力さを感じ、良心の苛責に苦しめられることもあろう。が、そうした懊悩も悲しみも良心の苛責も、所詮は魂の経験の一部であり、その体験の力を摂取して、魂は一段と向上して行く。それは進歩の手段として守護霊が用意せる試練であり、故に細心の注意をもって悪の勢力から保護してくれているのである。》(モーゼズ『霊訓』12節)

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 霊的な導きを得たい時、おおぎょうな神に祈る必要はありません。お金や供物を積む必要もありません。一人一人の後ろで見守ってくれている守護霊に、「自分が成長できますように」と祈り、心を合わせていくだけでよいのです。

 《寒々として霊性を寄せつけぬ地上生活にありては、そなたたちの魂と、その欲求を叶えしめんとして待機せる背後霊との間の磁気的霊交が、真摯なる祈りによりていかに強く促進されるものであるかをそなたたちは知らぬ。……祈りというものがいかに豊かなる霊的恵みをもたらすかを知れば、そなたもより多く祈るようになることであろう。……真実の祈りは、守護せんとして待機する背後霊への魂の奥底からの叫びの、直情的発露であらねばならぬ。……祈り――魂の無言の希求を読み取り、それを叶えさせんとして遥か上界との連絡の労を取らんとして待機せる背後霊を通じての神への直情的叫び――これは形式の問題ではない。一語一語述べる必要もない。ましてや宗教的慣習、紋切り型の用語等によって拘束する必要などさらさらない。真の祈りとは魂と魂の直接の交わりであり、日頃より交信せる見えざる仲間への魂の叫びであり、磁気的連絡網を通じてその要求が電光石火の速さで送り届けられ、かつその回答が思念の如き速さで送り返される。その一連の営みを言うのである。言い換えるならば、悩める魂を、慰め癒すことの出来る霊の手にあずけることである。それには言葉も身構えも形式もいらぬ。むしろそうしたものへのこだわりが消えた時こそ最も真実味を帯びる性質のものである。必要なのは背後霊の存在の認識と、それとの霊交を求めんとする直情的衝動のみである。》(モーゼズ『霊訓』13節)

 あなたは孤独ではありません。あなたのことを心底愛し、心配してくれる大いなる存在がいます。本当に、これ以上の慰めが、救いがあるでしょうか。


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