スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

【霊学概論】(7)超心理学

2011-03-21 00:05:32 | 高森光季>霊学概論

◆超心理学

 科学者たちによるサイキカル・リサーチも、二十世紀に入ってまた連綿と続けられた。フランスの生理学者シャルル・リシェは、エヴァ・C(一八九〇―一九四三、本名マルト・ベロー)を対象に、物質化現象を研究し、霊媒から流れ出す流動性の半物質を「エクトプラズム(extoplasm。正しくはエクストプラズムであろう)」と名付けた。
 しかしながら確乎とした証拠は手にすることができず、サイキカル・リサーチは、検証しては証明不十分として却下するという不毛な繰り返しに終始せざるを得なくなっていた。
 こうした中で、サイキカル・リサーチをさらに厳密化し、「科学」としての地位を確立しようとする試みがアメリカで現われた。それがウィリアム・マクドゥーガルとJ・B・ライン夫妻による「超心理学(parapsychorogy)」である。一九二七年に、マクドゥーガルの主導によってデューク大学心理学科で超心理学実験が開始され、それを発展させたラインは一九三四年に『超感覚的知覚』を刊行、同年にはデューク大学に超心理学実験室が開設された【7】。
 超心理学は、サイキカル・リサーチのように、種々雑多な現象や仮説を手広く扱うことを自粛した。J・B・ラインの提唱した「サイ仮説」は、次のようなものである。
 (1) 人間の心は現行の物理科学理論では説明できない能力を持っている。
 (2) その能力には、情報的な側面と力動的な側面がある。
 情報的な側面とは「超感覚的知覚(extrasensory perception=ESP)」、つまり通常の感覚伝達経路とは異なる仕方で情報が伝わること(テレパシー、透視など)であり、力動的な側面とは「念力(psychokinesis=PK)」、つまり心が他の物質や生体に物質的経路を経ず直接作用するということである。
 つまり、超心理学は、霊魂の実在や死後存続を立証しようとするものではなく、あくまで「生きている人間の心の力」に問題をしぼろうとしたのである。
 これはある意味で巧妙な戦略かもしれない。というのも、ESPとPKは、現在の物質に関する理論を部分的に拡張することによって説明できるようになるかもしれない、という印象があるからである。実際、ESPに関しては物質法則の根本原理に違反しないと考える科学者もいる。伝達系がまだ発見されないだけなのだ、というわけである。また、PKも、実際に古典力学的な力やエネルギーが働いているとするのではなく、情報的、量子論的側面に引き寄せていけば、基本原理に衝突せずに説明できる可能性がありそうにも思える。唯物論と超常現象研究は互いに譲歩して妥協点を見いだせるかもしれない、そしてESPやPKによって理論的拡張が進んでいけば、その先に「肉体とは別の知性体」の存在可能性が開かれるかもしれない。
 さらに超心理学には戦略があった。それは、霊媒という気まぐれで扱いにくい存在に全面的に依存することをやめ、一般人を被験者にし、厳密な管理下で、微弱な「サイ能力」を発揮させるように促し、それを統計学的手法を用いて検証しようとすることである。具体的には、カード当てを繰り返して行ないどの程度「有意な数字」が出るかといった実験や、電子的な乱数発生装置(0か1がランダムに発生する機械)を作り、それを念力によって0か1のどちらかに偏らせようと試みるとった実験である。

 超心理学は、その厳密な方法論の確立によって、近代アカデミーの牙城に食い入り、ささやかながらもそれなりの位置を獲得した(第二次大戦中は軍事目的で盛んに研究されもした)。そしてそれとともに超心理学は、研究範囲をESPとPKという限られた領域に自己限定し、スピリチュアリズムの根本命題であり、サイキカル・リサーチが探究目標として受け継いだ、「人間の個性の死後存続」という命題に関して、ほぼ取り下げという姿勢を取るようになった。
 超心理学の研究者で、死後存続を認めている人は少数である(一九七一年の超心理学協会会員を対象にした調査では、回答者全体のわずか一〇%)[グラッタン=ギネス、一九九五年、一一七頁]。ほとんどの超心理学者にとってスピリチュアリズムとは、「非科学的な信仰」に過ぎないものとなってしまった。これは逆に、超心理学が「科学」の中に(つまり実験室の中に)自らを位置づけようと自己退縮しているために(「こういうことを厳正にやるには信者であってはいけない」)起こっている現象である【8】。
 サイキカル・リサーチの「懐疑的・持続的判断留保」と超心理学のいわば「寝返り」によって、スピリチュアリズムは「知」の体制からは排除されることになった。「人間は物である」とする唯物論の支配体制は、超心理学という吹けば飛ぶような一角を無視すれば、まったく揺らぐことなく存続し、霊という主題は学問の表舞台から排除されてしまった。


  【7】――超心理学については、ライン他、一九六四年、ベロフ、一九九八年、笠原、一九九四年、などを参照。
  【8】――超心理学をめぐる問題および懐疑派との論争に関しては、笠原、一九八七年、同、一九九三年を参照。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿