Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

祭りに呼ばれて

2009-09-26 23:44:06 | 農村環境

  今日は年に一度の実家のある地区の秋季祭典である。祭典のことは毎年触れているが、やはり印象深い祭りだから毎年、それなりに日記には記さなくてはならない。ここ最近の祭日の実家への足は電車である。今年も夕方の電車に乗って実家に向かう。昨年は一つ遅い電車だったら「遅い」と言われたから今年はまだ明るいうちの電車である。最寄りの駅に降り立つと、そこには変わらぬ風景が展開される。珍しいことではなく、毎日の通勤時にもその駅は通過しているのだが、かつて通学の際に毎日のように使っていた道を歩くのは感慨深いものがある。もうそんな歳なのだ。駅のすぐ北側に今ではずいぶん小さく見えるグランドがある。子どものころもっともよく遊んだグランドである。子どもたちだけのものではない。年に何度かこのグランドを利用して地区の催しがあった。11月3日は毎年区民運動会が開催された。大人たちのソフトボール大会や野球大会といえば、必ず子どもたちもそこに集まっていた。子どもの目から見れば広い空間だったのに、今見ればとてもグランドとは名ばかりな広さ。子どもの目と、大人の目ではこれほどの差があるのだとあらためて記憶に刻むことのできる対象物である。

  そんなグランドは、今はほとんど使われることもないようだ。そこに残っているバックネットは、すでにその機能がないほどに隙間がある。錆びきったバックネットは昔のままで、支える両側の鉄塔も錆び付いているが、そんな鉄塔に登って遊ぶのも子どものころの楽しみであった。片隅にあるトイレも昔のままだが、さすがに補修がされて少しきれいになっている。その脇にある水のみ場も昔のまま。いかに何も変わっていないかが解る。そしてトイレの脇から実家に向かって段丘を降りて行くのである。かつてはそれほど伸びていなかった木々が鬱蒼とし、まだ明るいとはいえ、夕方にもなると暗がりの中に入る。姪や甥たちも通ったこの道を下って行く。段丘の中断にある家並もわたしの子どものころとほとんど変わっていない。そしてさらに段丘を下って行く途中には歩く程度の道が近道としてあるが、誰もこの道を利用して通学しなくなったのだろう、今年は草が鬱蒼としていて、この季節はいわゆるひっつき草が目立つ。姪が最後のこの道の利用者だったのかもしれない。その道を降りたところにある道祖神は、草の中に埋もれていた。これほど手入れがされないのは、やはり人通りがないというのが理由になるのだろう。いかにも地方の空間たる様相なのだが、いっぽう正面には伊南バイパスの橋脚が何本もそびえている。80メートルはあろう橋脚の連続は圧巻である。ここに来て初めてわたしの通っていたころの風景と異なる物が現れたわけである。約40年もの間同じ風景を刻んできた時は、今変わろうとしている。でも人々の暮らしの風景は変わらない。

  さて長くなってきたので祭りのことは明日にしよう。

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