Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

歴史から学ぶ

2009-09-25 12:28:28 | 歴史から学ぶ
 『生活と自治』9月号(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の現場の深窓は「〝天国と地獄〃の島」というインパクトの強いものである。「この7月、今世紀最大の皆既日食に沸いた鹿児島県・奄美大島。だが東洋のガラパゴスと謳われるこの島の自然が脅かされている事実は、あまり知られていない」というタイトルの添え書きにこの記事の狙いが見えてくる。「紺碧の海と緑の照葉樹林に覆われた山、そしてアマミノクロウサギに代表される独自の自然を砲く島。これが人々の奄美大島に対するイメージ」というが、「実際にはこの島の山中には林道が拓かれ、皆伐地が点在している」のが現実。50年で回復すると言われる照葉樹林は成長が早く、そのために林業に走った。ところが皆伐によって露になった地面には赤土がむき出しになり、雨で土が流される。海に流れ着いた赤土は漁業にダメージを与える。すぺてが連鎖している。この連鎖をもたらしたものが、奄美振興開発措置法だと記事は指摘する。沖縄に先立って日本復帰したのが1953年。本土並みの生活水準を目的に交付金によって住民生活は改善されていった。そして1970代に入ると製糖業と大島紬という二大産業が低迷し、その代わりに公共事業が増大していった。「奄美人が本来持っていたアイデンティティも壊されていった」と言う。

 1995年「アマミノクロウサギ裁判」は奄美の固有種が原告になり生存権を求めるというもので、日本の法律では動物が原告にはなれないため、裁判所は訴えそのものを退けたという。しかし判決文には「自然が人間のために存在するとの考え方をこのまま推し進めてよいのかどうかについては、深刻な環境破壊が進行している現今において、国民の英知を集めて改めて検討すべき重要な課題」との言葉が盛り込まれという。「地域住民が行政や国と現状について対等に話し合える場は、法廷にしかなかった」と言うように、公共事業が増加する中で、自然や地域を見守る人たちの悲鳴がそこにはあった。しかしそんな画期的な裁判も島の行く末にはほとんど関係がなかった。奄美振興開発措置法は延長し続けられている。長年議員を務めてきたという島内の男性の言葉を紹介しているが、そこには「昔に比べて魚もとれないし、仕事がなければ若い人はいなくなる。この辺は年寄りばかりですよ。だから土建でもなんでも、仕事があるのはいいことです」とある。つまるところこの言葉に現されている現象は、島民が本土並みの暮らしをするために描かれた物語の結末であって、方向が異なればまったく違った今を展開していたのかもしれない。それに気がついている人たちもいるが、現在まで刻まれてきた歴史を覆すことはできない。列島改造に始まった国土開発は奄美に限ったことではない。今の姿を子どものころからなんとなく予測していた自分。しかしそんなところで悩んでいても世の中はどんどん進んでいった。考えてみれば農業が、地方が衰退したのは自らの刻んできた歴史。けして国や行政のせいではないのだろうが、金に目のくらんだわたしたちにはどうにもできないことだった。この歴史こそが今後のわたしたちの進むべき道を照らしていると思うのだが、なかなかそれを学ぶ視点は人々にはない。「遅い」ということはないものの変化には耐えられないという心がある。それは高齢化社会であるからなおさらである。

 そんな社会を変える意味で政権交代があるのなら良いが、政権とはそんな小さな要望に応えるためにはない。なぜならば多数決であることは確かだから。ではどうするのか、ということになるが、国民の意識が単に自然破壊だけに目がとどいてもどうにもならない。やはり自らの踏んできた歴史を、よく見直してみる機会を持つことだろう。キーワードだけの知識を得ても、片手落ちということになる。
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